袖振り合うも多生の縁
人間には『縁』と言われるものがあるといわれている。
町の往来でたまたま通りすぎたときに互いの袖がふれあうだけでも、何かしらの縁があるとも言われる、はたしてそれは本当だろうか。
現代においては、たまたまSNSでつながった人でも、何かの縁があるというこどだろう。
だが、すべての出会いに縁があるとは当然思えない。
では、縁がある人とはなぜ縁があるのだろうか。
そんなことを考えながら、図書館で過ごす日曜日であった。
ということで、今週読む本。
「西行花伝」
谷崎潤一郎賞を受賞した、作家辻邦生による西行伝である。名作だと聞いてはいたが、なぜかずっと気になりながらも読むのを避けていた。私個人のことを言えば、西行とは『縁』があり、当然読んでしかるべき書物でありながら、縁がないため手にとることがなかった。ようやく縁がつながった、そういうことだろうか。
「形態の生命誌」
あたりまえだが、人間とは形を持っている。目に見える物質も形を持っている。
物質を形として認識するのは人間が五感を備えているからにほかならないが、それにしても、生命というのはなぜ『形』を持ったのであろうか。地球の生命体にあってはほとんどが有機、つまりは炭素化合物でできている。
最近、人間の意識は素粒子に宿る、というような言説をよく目にする。そうであるならば、なぜこんな脆い炭素という物質で、地球の生命は形を成したのだろうか。
我々の体が、例えば水晶であったなら、細胞はめったに壊れたり他の細胞に冒されず、肉体の死というものを遠ざけることができる。
なのに我々の体は簡単に癌になったり熱により蒸発してしまう。それもきっと、炭素化合物との縁や、形というものとの縁があって、いまの世に形を成して存在しているからであろう。
「ノーベル文学賞を読む」
ノーベル文学賞というものとは縁なく過ごしている。
今からそれを目指して120歳ぐらいまで書き続けたら、もしかしたら縁ができるかもしれないが、日本の古典的な純文学作品を目指しているうちは、やはり縁はないであろう。
「日本人も知らない日本酒の話」
酒で失敗したことは数多く、酒でできた縁があるわけでもない。それでも、酒とは切れない縁ができてしまっている。せめて悪縁とはならないように気をつけたい。
ちなみに著者は海外の方であるが、日本酒は世界に通用するお酒である。今は一部の嗜好者しか日本酒を嗜まないが、安く気楽に飲めるようになったら、海外の多数の方と日本酒に縁ができるであろう。
「心技体の鍛え方」
自分がたいした選手だったわけでもなく、今現在何かの運営に関わっているわけではないのに、武道経験者と会うと何かしらの縁を感じる。
会ったときの空気でそれが分かる。
再び私事を言えば、剣道とはすでに『縁』を切っているつもりが、自分が思っている以上に縁があるのか、思い出すと再び縁ができる。これにもきっと何かしら意味があるのだろう。
また、会った瞬間に懐かしさを感じる出会いがある。そういう人との関係は自然と大事なものとなる。
これなどもまた縁を感じずにはいられない。
「物理パラドックスを解く」
この宇宙では、物質のほうが反物質よりも多いのはなぜか。
ダークマター、ダークエネルギーは何か。
ビッグバン以前に何があったか。
意識はどこで生まれるのか。
過去へ行くことはできるか。
ブラックホールの先はどうなっているのか。
人間に量子テレポーテーションは可能か。
自由意思はあるのか。
平行宇宙はあるのか。
宇宙とはそもそも何か。
未だ人類が解を見ないこれらの問いを著者は投げかけている。
私が普段疑問に思っていることと同じような問いを発する者に、何かの縁を感じている。
「宇宙に上手にお願いする共鳴の法則」
8月から9月にかけて筆を休めていたが、実は、ヘミシンクやいわゆるスピリチュアルの実践を行っていたためである。
人はなぜ生きているのか。その答えを探すために超意識と言われる中で、過去世といわれるものや宇宙の意識体と出会うという、それは確かにリアルな体験をするわけだが、その体験が、今この現世において人間が形として成す、ということの理由とはならない。
そして、改めて思うことがある。
人は過去の縁を清算するために生きているわけではない、ということである。
例えば、毒親なる言葉を弄してその関係をいたずらに悪化させる者がいるが、誤解を恐れずに言えば、過去の縁などなくても親などはほとんどの場合は最初は毒親である。
私もまた母親の腹から生まれる出る前に死ぬところであり、間違いで生まれてしまったと聞かされたことがあった。
親が最初からちゃんとした親であったならそれは、たまたまそれはラッキーであり、もしそうでない場合、親を親にするのが、子供の役目であると感じている。
だから、過去どんな縁であっても、未来において普通に仲良く酒を飲みかわすことができると私は思っている。
話がそれたが、ことさら生きる意味を追わずとも、目に映る形が仮の姿だとしても、今この地球で形をもって生きていることをそのまま味わって生きる、それが人間の生き方だと、最近は感じている。
「鉱物肉眼鑑定事典」
人間は炭素化合物の有機生命体だが、鉱物ともいうのもまた、それぞれの原子の結晶化で生じた生命体である。
頭がおかしいと思われそうなのでこれ以上は止めておこう。
「よくわかる行政法」
来週は試験である。
今年も余計なことばかり考え勉強しなかった。
今さら遅いが、反省する。
来年こそ?縁が深まるように頑張りたい。