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純情ヒエラルキー

「Fix us./甘い薬」:/ 本編沿い / アニュー死直後 / 添い寝でお互いを癒す二人

2024.01.07 10:02

Fix us.

「俺は平気だ」

 そう言って湿布を拒もうとする手を、フェルトは掴んだ。

「顔が腫れたら、ヘルメット被れなくなるよ」

「……」

「座って、刹那」

 非常用電源の青白い灯りが照らす自室で、フェルトはぴしゃりと刹那にそう命じた。

 わずかに躊躇うような仕草を見せた刹那が、おとなしくフェルトが腰掛けているベッドの傍らに座る。

 自前の救急キットから新しい湿布を取り出し、彼の頬にあてがう。そのままではサイズが少し大きいので、顔に合わせて切り取り、輪郭に沿うようにハサミで切り込みを入れる。

 そこまでした後で湿布の外装フィルムを剥がし、痛々しい彼の左頬に貼った。冷たい湿布が傷に沁みるのか、一瞬刹那の眉がわずかに歪んだのを、フェルトは見た。

「痛くない?」

「……大丈夫だ」

 右手で湿布の張り具合を調整しながら、刹那は淡々と答えた。ライル・ディランディから受けた彼の打撲創は、医療カプセルに入るほどのものではない。もしも短時間でも医療カプセルに入ることができれば、瞬く間に頬の腫れは引くのだろうが、いつ敵襲に見舞われるか分からないこの状況では、一時的とはいえ刹那が動けなくなることは現実的ではない。また、自分だけ率先して傷を癒すような行為を、刹那は決して望まないだろうと、フェルトは考えていた。医療では治すことのできない心の傷を受けたものが、この艦にはいるのだ。

 アニュー・リターナーの突然の裏切りとその悲壮な死に、未だにプトレマイオス全体の空気が重く澱んでいた。

 彼女を討ったのは刹那だ。それはフェルトも知っている。そして、今までの経験上、それはおそらく不幸な事故でも、刹那が悪意を持って起きたことでもない。きっと避けようのない出来事だったのだ。そうしなければ取り返しのつかない事態が起きていた——。すべてを見聞きしたわけではないが、フェルトはそのように解釈していた。また、そうでなければやりきれない、とも思っていた。

 刹那にも、ライルにも、情けないことにかけてやる言葉が思いつかない。そして、それと同時にフェルト自身が大きなプレッシャーに追われてもいた。イノベイターによって破壊された艦内システムの復旧。かつてない大仕事が、火急の要件として目の前に横たわっていた。

 泣いてはいけない。

 立ち止まることは許されない。

 いまこの艦に乗っている、少なくともライルを除くすべての者が、口に出さずともそんな思いを共有して、それぞれの仕事にあたっていた。

 そもそも、フェルトの部屋に刹那が来ることになったこの状況も、十数時間にも及ぶ勤務を終えてふらふらの状態で廊下を進んでいた彼女を、偶然居合わせた刹那が気遣い、私室まで送ってくれたことに由来する。

 前回の戦い以来、初めて刹那の顔を見たフェルトは、その痛々しく腫れかけた頬を一目見て、湿布を貼るべきだと主張し、いまに至っている。

「……仕方なかったんだよね」

 救急キットを整えながら、フェルトは小さな声で言った。独り言のようなそれは、自身に言い聞かせているようでもあった。

「……ああ」

 刹那は静かに答える。その声ははっきりとしているが、彼の瞳はどこかぼんやりと宙を眺めていた。刹那から自分が予想していた通りの答えが返ってきたことにわずかに安堵しながらも、フェルトは胸が締めつけられる思いだった。

「フェルトも、」

 しばらくの沈黙ののち、刹那が口を開いた。

「フェルトも、俺を憎んでいい」

「……え?」

 フェルトは目を見開いた。眉ひとつ動かさずに、刹那がフェルトを見下ろしている。その赤みがかった茶色い瞳を見て、彼女はすべてを理解した。

 フェルトにとっても、アニュー・リターナーは大切な同胞だった。彼女がプトレマイオスに乗船してからは、他のクルーと比較してもそれなりに長い時間を共有した自覚がある。あらゆる分野に深い知見を持つ優秀なクルーで、たとえそれが偽りの人格だったとしても——いつも穏やかで優しいアニューを、フェルトは心頼みに思っていた。だから刹那はこう言いたいのだ。アニューを殺した自分を憎んでいい、と。

「——っ! そんなこと……!」

 思わず立ち上がりたくなるような衝動を、フェルトは抑えた。ゆっくりと首を横に振るのが精一杯だ。

「……そんなこと、思うわけない……!」

 アニューを失ったことは、確かに悲しい出来事だ。しかし、刹那は彼自身の目で見て状況を判断し、彼自身の意思で引き金をひいた。その選択を、フェルトが非とみなして糾弾するわけがない。

 刹那は目を伏せ、また焦点のゆるんだ瞳で床を見つめるだけだった。

「刹那……」

 言いようのない悲しみと怒りが、フェルトの胸に迫り上がってきた。すべての罪をその身に背負おうとしている彼に、なんと言ってやればいいのか分からなかった。

 遠くない未来、間違いなく敵はやって来る。自分たちがいま最優先ですべきことは、まだ見ぬ敵に立ち向かう戦力と気力を蓄えることだ。だがそんな状況に、フェルトは腹が立って仕方なかった。

 無論、アロウズに立ち向かうと決めたときから、こんな状況は百も承知だ。これまでだって幾度となく、明日をも知れぬ戦いを強いられてきた。フェルトだって、十分過ぎるほど覚悟ができている。

 だがいま、目の前にいる刹那の顔を見て。

 この状況に深く傷つき、疲れ果てている自分たちの姿に、改めて気付いてしまったのだ。

 こんなにも傷ついて、揺さぶられて、孤立無縁の自分たちには、当たり前だが嘆くことも、安らぐことも許されない。そんな状況に、どうしようもない憤りを覚えてしまった。

 過去が自分を変え、それが自分たちが望む未来につながっていく。

 ほんの数週間前にプトレマイオスで行われたささやかなパーティで、刹那はフェルトにそう話してくれた。だからフェルトも、過去に囚われるのではなく、未来のために自分自身を変えようと決めた。

 それでも、ほんのわずかでも、受けた傷を癒す時間があるならば——。

「少し寝たほうがいい」

 思索にふけっていたフェルトに、刹那が静かに声をかける。

「いつ敵が再び来るか分からない。休めるときに休め」

「……はい」

 そう言ってベッドから立ちあがろうとする刹那の手を、フェルトは思わず掴んでいた。

「……フェルト?」

 か細い手に引っ張られる形でベッドに戻された彼の左肩に、フェルトは顔を寄せた。

 頭上の刹那が驚きに身を固くしたのが分かった。

「……ごめんなさい」

 彼の体の匂いをすぐ近くで感じながら、フェルトは静かに乞うた。

「少しだけ、こうしてちゃ、ダメかな」

「……休めるとは思えないが」

「いい。お願い」

 フェルトがそう言うと、やがてゆっくりと、刹那の左手が彼女の背に回された。自分で望んだこととは言え、彼の腕に抱きしめられる感覚に、次第に顔に血が昇っていくのを感じる。

 だがそれ以上に、いま生きてここにいる彼の体の温かさに、確かに安堵している自分がいた。

「……せつな」

「ああ」

「わたし、刹那が生きていてくれて、嬉しいよ」

「……」

 その言葉に返ってくるものはなかったが、フェルトはそれでよかった。目を閉じると暖かくて、やがてとろとろと眠気が襲ってきた。

 眠ってしまったフェルトの体を抱きかかえて、刹那は呆然としていた。

 まさかこのまま熟睡されるとは思ってもみなかったのである。

 左腕で抱える彼女の寝顔を覗き込む。青白い非常用電源に照らされて、彼女の長い睫毛がその頬にわずかな影を落としている。きっと前回の戦闘からぶっ続けで、一度も休養をとっていなかったのだろう。

 刹那は体勢を整えた。彼女の腰を支えてやって、ゆっくりとベッドに寝かせてやる。いつも付けている髪留めが壊れてはいけないと思って、髪に絡まないように慎重に外して、枕元に置いた。白いシーツの上に彼女の髪が広がり、これまで味わうことのなかった彼女の髪の匂いを知った。甘い蜜のような香りで——なんだかふわふわと奇妙な気分にさせられる。

 フェルトを腕枕するような格好で、自らもベッドに横になる。まさかこんなことになるとは思わなかったが、不幸な出来事と大きなタスクが同時に発生して、さすがのフェルトも精神的に参っていたのでは、と刹那は冷静に考えた。仕方のないことだ。それほど事態は窮迫している。

 部屋の中は静かだ。システムが完全に復旧していないせいか、平時なら聞こえるわずかな機械の可動音も、外からの物音もしない。いつ敵が来るか分からない状況とはいえ、刹那も思わず気を緩めそうになるほど、彼女の部屋は静謐に満ちていた。

( 刹那が生きていてくれて、嬉しいよ )

 先ほどの彼女の言葉を胸のうちで反芻しながら、刹那は腕の中の存在の温もりと、安らかな呼吸を感じていた。

 刹那と同じように、彼女もまた確かに、生きている。

「……ありがとう、と言うべきなんだろうな」

 ほとんど囁くような声でそう呟いた後、刹那もまた静かに瞳を閉じた。

(おしまい)




【以下はおまけの続き。しょうもないギャグSSです。】

甘い薬


 A.D.2314。

 真夜中のプトレマイオスの会議室に、神妙な面持ちの五人の男たちが集まっていた……。

「わりいな。いきなり呼び出して」

 長机に座る面々のなかで最初に口火を切ったのは、ライルことロックオン・ストラトスだ。

「構わないけど……。どうしたんだい、僕たちだけで緊急会議なんて」

 ロックオンの隣に座るアレルヤが、不思議そうな顔で問う。

「ああ。ちっとばかしやっかいな話でな。女性陣……特に戦術予報士殿には知られたくない込み入った話だ」

「スメラギさんにも?」

「そいつは相当だな」

 腕組みをしたラッセが首を傾げ、さらにその隣のイアンが続く。

「それで、その込み入った話っていうのは?」

「ああ」

 ロックオンの目線が素早く厳しく、その正面に座る刹那・F・セイエイに向けられた。

「話し合いたいのは、この目の前に座ってる野郎の処遇についてだ」

「……刹那?」

 アレルヤに呼びかけられても、ブルーの制服を着た黒髪のガンダムマイスターは特に応じる様子もなく、感情のない顔で会議室の白い机を見下ろしている。どうやらロックオンに呼び出された要件について、刹那はすでに分かっているようだ。分かった上で、この弾劾の席を受け入れているらしい。

「刹那が、いったい何をしたんだ?」

 ラッセの言葉に、ロックオンは額に手を当てた。

「ああ……。俺も、できれば胸の内にしまっておきたかったんだが、知っちまったことにはどうにも……」

 そう言って口調を淀ませたロックオンに割り込むように、突如テーブルに置かれたタブレット端末から声が響いた。

『僕から説明しよう』

「「「ティエリア?!」」」

 タブレット端末の画面には、ヴェーダとリンクしているティエリア・アーデの姿があった。

 しかし、久々の再会にも関わらず、彼の表情は固く厳しい。

『だが、一方的に弾劾するのはいかがなものかと思うので、先に尋ねておく。刹那』

 画面の中の赤い光に包まれたティエリアの顔が、刹那に向けられる。

『君はフェルトと男女の関係にあるのか?』

「「「はあ?!」」」

 ティエリアの予想を大きく超える問いに、その場にいたロックオンと刹那以外の男たちの声が重なった。

 フェルトといえば、つい最近長かった髪をばっさりと切って、年頃らしい大人びた雰囲気が増した。さらに魅力的な大人の女性としての階段を登りつつあると、プトレマイオスの年長のクルーたちは微笑ましく見守っていたところ、なのだが。

「違う」

 初めて口を開いた刹那からは、明確な否定の言葉が飛び出してきた。アレルヤ、ラッセ、イアンがその返答に一瞬安堵とも言えない感情を覚えたその時であった。

 亜麻色の髪を持つガンダムマイスターが、机を勢いよく拳で叩いたのである。

「違うとは言わせねえぞ! こっちに証拠は揃ってんだ!」

「ロ、ロックオン、なんか取り調べみたいになってるよ……!」

「刹那……! お前いつの間にフェルトとそんなことに……!」

「違うと言っている」

 きっぱりと言う刹那に、画面上のティエリアが口を開く。

『しかし、確かにロックオンは朝方フェルトの部屋から出てくる刹那を二度も目撃している。それは僕の管理下にある位置情報のデータでも確認できている』

 ラッセとイアンはわずかな一瞬で目配せをした。嫌な汗が止まらない。では、刹那が嘘をついているということなのだろうか? だがそんなついてもすぐにバレるような嘘をついて、どうなると言うのか……。

「確かに彼女の部屋にはいたが、セックスをしたわけではない」

「は?」「え?」「あ?」

 刹那の淡々とした言葉に、男たちが間抜けな声と共に固まった。

「……嘘は、ついていない」

「女子の部屋で一晩中過ごしておいて、なにもしてないってことがあるかよ……!」

 厳しい目つきで刹那を睨みつけるロックオンを、すかさず制止する声があった。

「ロックオン、先走って考えすぎだよ。刹那とフェルトに何か別の事情があるって可能性も……」

「じゃあ聞くが、アレルヤはマリーと一晩同じベッドにいて何もしないってことができるのか?!無理だろ?!」

「そ、それは……! うぅ……」

(否定せんのかい)

(すけべ超兵……)

 赤い顔で黙り込むアレルヤを白い目で眺める一同。『問題なのは』とティエリアが口を開く。

『刹那。君が不埒な心を持ってフェルトの部屋に行っているのかどうかというところだ。そうかそうでないかで、ここでの結論も大きく変わる。もしも下心がある状態で彼女の部屋を訪れていると言うのなら……』

 ティエリアは一息ついて、はっきりと告げた。

『君を軽蔑せざるを得なくなる』

「……」

 ティエリアの厳しい言葉に、みな堅苦しい面持ちで黙っている刹那を見つめた。

「……違う」

 刹那は顔をあげると、静かに口を開いた。

「以前、フェルト・グレイスが精神的に不安定になっていた時期があった。その時に添い寝をしたらよく眠れたと言うから、それ以来ときどき一緒に寝ている。……それだけだ」

「じゃ、じゃあフェルトとそういうことは……」

「……何度も言うが、していない」

 刹那の淡々とした口調とその顔つきを、男たちはあんぐりと口を開けて見ている。ある者は(そんなことあるかよあんな良い女を前にして無理だろ)という顔で。ある者は(まあ刹那とフェルトだったらありえるか……)という顔で。またある者は(ていうかフェルトも危機感がなさすぎる……)という顔で。

「ただ」

 そんな男たちの心情を知ってかしらでか、刹那は続けた。その口調は先ほどとは打って変わって、ぼそぼそと自信がなさげで、小さい。

「下心が、ないわけではない、のだが。……好機を見失いつつ、ある」

「「「「……え?」」」」

 男たちの声が一つに重なったそのとき、この会議の議題も大きく変わることになるのだった。


(つづか・・・ない)