「フランス革命の光と闇」⑥「奇跡の夜」と「人権宣言」
1789年7月末、フランス全土いたるところで、大衆の蜂起によって戦火と流血が渦巻いていた。議会内には、農民たちが貴族の城館を襲ったりするのは所有権・財産権の侵す許しがたい行為だと非難する動きもあったが、それは領主制の苛酷さに耐えかねた結果だとする声の方が支配的だった。とにかく騒乱を鎮めなければならない。その一心が、8月4日の「奇跡の夜」の画期的な決議を生み出す。
8月3日の夜、議会をリードしていた百人ほどの議員が集まり、騒乱を鎮めるために、自由主義貴族に自ら進んでさまざまな特権を放棄してもらおう、という手はずを整えた。そしてむかえた8月4日の夜の本会議。最初に演壇に登ったのは、ラファイエット将軍の義弟ノアイユ子爵。彼は、すべてのフランス人が税の前で平等であること、市民、あるいは軍隊の仕事に、誰でも平等に就く権利があることを主張。王国で最も富裕な貴族の一人デギュイヨン公爵も数多くの抑圧的制度を廃止することで、農民を解放しなければならないと強調した。高ぶりすぎた感情を制御できず、ほとんど酔ったようになって、議員たちは発言し続けた。そして、あらゆる慣習を捨てることを叫んだ。議員の一人アドリアン・デュケノワはこう記録している。
「なんという偉大な記憶すべき夜であることか!人々は感涙にむせび、互いに抱擁し合った。なんとすばらしい国家であることか!なんという栄光、フランス人であることのなんという名誉!」
中世に端を発する「封建的特権の廃止」を決めた8月4日の夜の決議は、後日正式な法令となる。第一条で、「国民議会は封建制度を完全に廃棄する」と宣言した上で、具体的には、あらゆる特権を廃止。身分による免税特権と領主の貢租徴収権・領主裁判権が廃止され、旧体制の基礎をなす身分制と領主制が撤廃された。それまでいくつかの州や都市がもっていた地域的な特権も廃止され、地域間の差別も解消された。さらに、官職売買の制度も廃止され、すべての人が差別なく公職に就けるようになった。こうして、旧体制は崩壊し、あらゆるフランス人が国民として一体化することになったのである。
改革はこれにとどまらない。このような旧体制の廃止を確認し、あわせて、新しい体制の原理を明らかにした宣言が、8月26日に議会で採択される。有名な「人権宣言」(正式には、「人間および市民の権利宣言」)だ。
第一条「人間は、生まれながらにして、自由であり、権利において平等である」
この宣言は、社会の構成要素の基本を自由で平等な「個人」であると明記し、ここに身分制度は完全に破棄された。自由、所有、安全、圧政への抵抗という4つの自然権がうたわれ、国民主権、参政権、税負担の平等など近代社会一般の基本原理が明示されている。旧制度の下では認められなかった言論や思想の自由も承認された。
「封建的特権の廃止」宣言と「人権宣言」。この二つの宣言は旧制度(アンシャン・レジーム)のまさに死亡証明書。では、ルイ16世は、これらの宣言にどのような態度をとったか?
(パリ メトロ12番線「コンコルド駅」)壁面の文字は、「人権宣言」
(「1789年8月4日夜 国民議会」ヴィジーユ フランス革命博物館)封建的特権の廃止が決議
(ブロンズレリーフ「1789年8月4日夜 国民議会」レピュブリック広場)
(デギュイヨン公爵 1789年)
(秩序の逆転)農民が貴族の背に馬乗りになっている
(「1789年8月4日と5日」)
農民が、封建性の象徴である貴族の武具、僧侶の帽子などをたたきこわしている
(「フランス人権宣言」)
「自由」が鉄鎖を断ち切り、天使はすべてを見通す真理の目を指している。「モーセの十戒」の石板を模した石板は、権利が神から与えられたことを象徴している。