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ドライブにふさわしい音楽のハナシ

2018.11.05 10:03

人生初の自分のクルマ「トヨタ・スターレット(KP47)」を購入したのは1977年。27歳のときだ。 


生まれてはじめて手に入れたそのクルマは、同時に、はじめて手に入れた “音楽空間” でもあったが、今から思うと、その音楽システムは情けないほどプアなものだった。

純正カセットテープデッキと、AM・FMラジオ。それと、ダッシュボードの下に埋め込まれた小口径のスピーカー。音量を上げると、すぐに音が割れた。


それでも、クルマを運転しながら聴く音楽は、部屋にこもって聴く音楽とは、まったく別次元の興奮をもたらせてくれた。それまで、ソウルミュージックやブルースといった黒人音楽一辺倒の自分だったが、クルマに乗るようになって、にわかに好みが変わった……というより、新しい音楽の存在を知った。


クルマの疾走感にシンクロする音楽。


いわゆる “ドライビングハイ” をもたらすBGM。それまで当たり前のように聞いていたロックミュージックにそういう要素があることを、クルマを手にしてようやく気づいた。

それまで大嫌いだったディープパープルなども素直に聞けるようになった。彼らの『ハイウェイスター』や『スピードキング』などという曲は、文字通り、クルマやバイクの疾走感を増幅させるための音だったということが、遅まきながら理解できた。

こうして、クルマの疾走感に合う音楽を意識的に追求し始めると、そこには2系統の「音」があることが分かってきた。


一つは、当時の言葉でいう「テクノポップ」。


このジャンルにおいては、1978年に結成されたYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)が代表格となるが、私が注目したのはドイツの「クラフトワーク」というグループだった。

ラジオから流れてきた『アウトバーン』という彼らの曲を最初に聞いたのは、1974~75年頃だったと思う。

なんとも奇妙な気分に襲われた。

人間ではなく、ロボットが演奏しているように思えたのだ。 つまり、無機質的な電子音が、いつ果てるともなく、冷え切ったリズムを刻み続けている。まさに、初期のコンピューターゲームのBGMに近い。その単調な音を、ストイックにキープしようとする彼らの執念には、どこか人間離れした精神を感じた。

試しに、彼らのアルバムを買い、それをカセットテープに落としてドライブミュージックとして使ってみた。

これが合うのである。

特に、高速道路を一定のスピードで走行するときにぴったりなのだ。

]その “快感” をうまく表現するのは難しいが、一言でいうならば、それは人間がクルマを制御するときに得られる快感とはまったく異質の、クルマというマシンの一部に人間が組み込まれていくときの快感であった。難しい言葉でいえば、フロイトのいう「死の欲動 = 無機物に同化するときの快楽」といえるようなものだった。 

もし、AI に制御された「完全自動運転車」というものが実用化されたとしたら、たぶんそれに乗った私はこの曲を思い出すことだろう。

AI に完全にコントロールされた自動運転車には、自分がクルマを制御する快楽はないかわりに、すべての責任をクルマにゆだね、外部から遮断された厚い装甲に守られたまま移動するという絶対的な「安心感」がある。その「安心感」とは、母親の胎内に守られたまま生をむさぼることのできる胎児の安心感ともいえる。


つまり、フロイトの学理を使って説明すれば、「自動運転車」というのは人間の胎内回帰願望を満たしてくれる乗り物ということになる。

そして、そのような願望を「音」として表現するならば、私にとっては、自分の記憶の底からゆらめいてくるクラフトワークの『アウトバーン』ということになる。それは、母胎の羊水を通して伝わってくる母親の心臓の鼓動でもあるのだ。


ドライブミュージックに凝り始めた頃、運転中の快感をより増幅させてくれる音楽のもう一つの系には、アメリカのサザンロックがあった。

特にお気に入りは、オールマン・ブラザーズ・バンドで、なかでも、『ジェシカ』という曲の入った『ブラザース&シスターズ』というアルバムは、ドライブには必ず持参するベストアイテムだった。

『ジェシカ』は、アメリカ大陸のアリゾナやユタ州の原野を貫く一本道の景観に実によく似合う。2007年に、レンタルモーターホームでアメリカの中南部を走ったとき、運転しているときに、ずっと『ジェシカ』が頭の中で鳴り響いていた。

実際にその音を聞きながらドライブしたわけではなかったが、頭の中に浮かんでくる『ジェシカ』のフレーズは、見事に車窓の外を流れていく荒々しい景色とシンクロする。

「そうか。こういう景色を堪能するために生まれてきた音なんだ」と、そのとき妙に納得した。

オールマン・ブラザーズ・バンドはツインドラムスで構成されたグループで、2人のドラマーの応酬がステージパフォーマンスの要となることが多かった。


ドラマーが2人いると、“ゆらぎ” が生まれる。

2人がどんなに同じリズムを刻もうとしても、そこには微妙な誤差が生まれ、それが音を “生きたもの” にする。この “ゆらぎ” の感覚が、まさにレシプロエンジンのピストンの上下動を連想させてくれる。

そこには、気化したガソリンがシリンダーの中で爆発し、それがピストンを勢いよく押し出していくときの力動感がある。感覚的にいえば、オールマンのサウンドは、ハーレー・ダビッドソンの音に近い。

アイドリングのときの ♪ドロンドロンという重低音のワルツ。トルクバンドに乗ったときの重厚なエイトビート。そういう音の緩急に、生理的なエクスタシーが潜んでいる。

こういうサウンドが生まれてきた背景には、最初のバンドリーダーを務めたデュアン・オールマンが無類のオートバイ好きであったということがいえるかもしれない。

彼のギターワークは、常に荒野に切り裂くような疾走感をたたえていたが、そこには化石燃料を惜しみなく消費できた “幸せ(?)” な時代のドライブ思想が反映していたように思う。つまり、石油エネルギーさえ確保できれば、世界の果てまで旅できるという無邪気なロマンが秘められていた。


そんなロマンの終焉を暗示するかのように、デュアン・オールマンは、1971年、大好きだったオートバイの運転中、事故によってこの世を去る。

バンドはデュアン・オールマンの弟であるグレッグ・オールマンによって引き継がれるが、彼の時代になると、荒野をつんざく疾走感と同時に、かすかな気怠さ(レイドバックフィーリング)も漂うようになった。


その時代の音も、私は好きだ。

彼らは、2000年代に入っても、メンバーを変えながら活動を続けた。しかし、バンドの最盛期を飾ったオリジナルメンバーはほとんど残らなかった。そして、2017年、デュアン・オールマンの弟としてリーダーを務めていたグレッグ・オールマンが死んでからは、このバンド名を名乗れる人間もいなくなった。

基本的に “オールマン・サウンド” なるものを楽しめるのは、70年代から80年代にかけての音かもしれない。

レシプロエンジンの鼓動をイメージさせるオールマンサウンドが途絶えた頃、自動車のEV化やハイブリッド化が始まった。


(写真/町田厚成、佐藤旅宇)


著者プロフィール

町田厚成 (まちだ・あつなり)

1976年、自動車週報社入社。編集者としてトヨタ自動車広報誌『モーターエイジ』や自動車評論家・徳大寺有恒氏の著書『ダンディートーク (Ⅰ・Ⅱ)』、作詞家・竜真知子氏の著書『TOKYO DAYS』などの編集に携わる。1993年、『全国キャンプ場ガイド』編集長に就任。後に『RV&キャンピングカーガイド(後のキャンピングカースーパーガイド)』を創刊。キャンピングカー情報のほか、映画、音楽、芸能に関する独自の視点を盛り込んだブログ『町田の独り言』の書き手としても人気がある。著書に2003年『キャンピングカーをつくる30人の男たち』(みずうみ書房)ほか。1950年東京生まれ。