※考察 琉球人が考えたと想定する左御紋の意味
2024.01.09 05:38
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左御紋の由来や意味は誠にさまざまで
定説ははっきりしていない
しかし、日本から少し離れ
古来の中国の文献などから読み取り考察するに
琉球時代において言えば
およそ次のことが考えられるのではないだろうか
という私なりの考察ですが
お時間のある方はご一読いただけたらと思います
「巻き貝」から左御紋と変化した?説
つまり、螺である
高宗純皇帝が台湾を進攻時に右巻きの白螺を賜り
それが運となってやすやすと渡海できたことから
巻き貝を奇宝とし、また最も霊異がある物
としている
そしてここでいう右巻きの白螺だが
現在の左巻きのことを指している
時計回りは右巻きというのが現代であるが
昔は右巻きを 左巻き として呼んでいた
それでは左御紋の巻きの方向はどうであろうか
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ご覧の通り 右巻きである
ここで意味が分かってくるのではないだろうか
なぜ左御紋は右巻きなのに左と読むのか
の疑問が解決する
その昔は縁起の良い物を所持したり
また飾ったりすることが大切にされていた
冊封使がその宝として旅の間大事にしてきた習わし
その思想を琉球人はあやかっていた
霊異ある印 三位一体の意
呪い シンボル 護神物 勾玉
まさに左御紋の由来に通じるものと私は考える