ものの光の見ゆる・法界体性智
Facebook長岡 美妃さん投稿記事
医者をやりながら矛盾することを言うかもしれないが、、、
死を克服した人だけが、時代精神にとっては使い道がある存在なのだろう。
葉隠の有名な一文「武士道といふは死ぬことと見つけたり」があるが、死をも通り越し荒野の彼方に走り出す力こそが、純粋なる真のエネルギーなのだ。そしてそのエネルギーこそが、新しい時代を切り拓くエンジンとなる。
年末年始と『水戸維新』と言う本を読んでいたが、死を恐れないサムライがいたからこそ、今の日本がある。日本の精神性の強さは、地球文明において希少なる存在なのだと感じる。生命第一と考える生命体にとっては、日本の精神性は理解し難いものがあるだろう。なぜ切腹?なぜ追腹?なぜ特攻?と、目くじらを立てて異論を唱えてくる。
物質文明の象徴が生命第一である。しかし人間と動物の決定的な違いは、生命よりも大切なものを持つかどうか、つまりその存在が精神体であるかどうかである。
物質文明の末期状態の今、人間が生命体から精神体へと変容を遂げていくことが必要十分条件であろう。今の地球上にある政治、経済、教育、文化芸術すべては、死の恐怖を土台にして作られている。恐怖を土台にして作られた文明が、人を幸せにできないことは誰が見ても分かる。ならば時代精神の意志は、死を克服した人間を量産しようとすることが見えてくる。サムライDNAを持つ日本に白羽の矢が立つのは時代の必須である。
しかし刀を失ったサムライの子孫は、どうすれば日常に生死を同時に捉えることができようか?・・・刀に変わるものが必要である。そしてそれこそが「言語」。この言語は日常で使う表象を表す言語ではない。人類が未だかつて使ったことのない普遍な道理(無→有)を表す言語である。
この言語は、今ここが「生死の狭間」の刹那であることを常に認識させてくる。つまり、生きたまま死ぬ感覚が瞬間瞬間に鍛錬される言語である。
文明を変えるためには、人間の変容が必要不可欠である。そして人間の変容は言語を変えることなのだ。なぜなら世界は言語で作られているからである。
https://forbesjapan.com/articles/detail/31114 【死の恐怖を克服する方法は存在するのか?】より
ふとした時に頭をよぎる、生きている意味や「死んだらどうなるか」という問い。医学、宗教に答えを求めた著者がたどり着いた「気づき」とは。
秋が少し早く訪れている長野県茅野市の諏訪中央病院に講演に行ってきた。講演の題は「怖くない死を迎えるために」だった。2017年、『なぜ死ぬのが怖いのか?』(PHP研究所)という本を臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺(よこたなんれい)さんと書かせていただいたことが縁となり、呼ばれたのだ。
病院は死ぬところでもある。とはいえ、みんな死ぬのは怖いので治療方法が無かったり、あっても効かなかったり、また原因がわからなかったりすると、「死んだらどうなる」という不安に苛まれる。しかし、向き合う医療従事者もどう答えていいかわからない。
横田南嶺さんは鉄工所の息子だ。子どものころ、火葬場で燃やされる祖父を見て死の恐怖を強く感じたと教えてくれた。子どもながらに死の恐怖を克服する方法を考え続けた横田さんは、禅僧の立ち居振る舞いを見て「恐怖を解明するのはこれしかない」と10代から座禅をしているそうだ。
死に関する「情報」は自分の心の奥から引っ張り出すしかないと子ども時代に感じられたのだろう。鉄工所の倅(せがれ)は、禅寺に出入りするようになった。ご存じのように現代の寺は世襲制が多く、家を継ぐために修行することが多い中、彼は死の答えを求めながら一心に自分の心の中を見つめ続けた。
一方、私も子どものころは死が怖く、痛いのも嫌いな神経質な臆病者だった。そんな私は、死に関する情報は知識で外から学べると安易に考えてしまった。頭のそんなによくなかった私は「医学部に行けば、身体の知識が身につく。そうすると痛みを予防できるし、医者の友達がたくさんいれば最新の治療をしてもらえる。死に関する情報も学べば、死の怖さがなくなる」と考えた。
そして、2年浪人して医学部に入った。確かに医学部では病気の知識や治療の最前線を学べた。しかしそれは、病気になってからの対処法が多く、痛みがなく健康に長生きするための本質ではなかった。
そこで私は東洋医学の先生に学び、身体の仕組みを再度一から理解することにした。その後、横田さんと知り合い、死の情報は言語化できるものではなく、自分の心の奥から掘り出すものだとわかったのだ。
世の中は言語化できない情報にあふれている。生きている意味や仕事に対する思いなど「言語化できないものの核心」を人はどのように得ているのか。
私が禅僧から学んだことは「言語化できない情報はその情報をもっている人と時間を過ごすことである程度は伝わる」ということだ。
最近は以前のように仕事場以外で上司と過ごす時間が多いわけではない。そのためか上司がもっている言語化できないその仕事に関する情報を学ぶ機会は明らかに減っているように見える。どの時代よりも、検索、調べるという行為に重きが置かれ、また多くの人が簡単に実践している現代こそ、一緒に時間を過ごすことで学ぶ情報の大切さを再確認したい。
さくらい・りゅうせい◎1965年、奈良市生まれ。国立佐賀医科大学を卒業。元聖マリアンナ医科大学の内科講師のほか、世界各地で診療。著書に『病気にならない生き方 考え方』(PHP文庫)など
Facebook清水 友邦さん投稿記事
人間の死亡率は100パーセントです。
遅いか早いかの違いがあるだけで全ての人は間違いなく死に向かっています。
私たちは健康に生きていることを当然のこととして受け取っています。
「死」に直面したときに初めて命がいかにはかないものかを知ります。
それまでほとんどの人は刺激に反応して日常を機械的に生きているだけなので、死は他人ごとなのです。
世の中には自分には全く問題や悩みがないという人がいます。
しかし、不安や恐怖などの抑圧された情動(感情エネルギー)は無意識の底にしまい込まれているので本人は気がつきません。
そして人生の危機に直面した時に、否定的なエネルギーが無意識の層から浮上して、問題がないと思い込んでいたその人はパニックに陥ります。
80年代のエイズは治療法がなく死の病でした。エイズの感染は死刑の判決と同じことでした。ところがエイズ陽性と診断されてのちに陰性となり完治した女性がいます。
彼女の名はニロ・マルコフ・アシスタントといいます。これ以降、彼女を「ニロ」と呼びます。彼女の体験は「どうして私はエイズから生還したのか―NIRO(ニロ) からのメッセージ」(絶版)として出版され医療関係者向けの講演で来日もしました。
1985年11月にニロはエイズ検査で陽性と診断され、あと十八ヶ月生きられれば幸運だと医師から宣告されました。
ニロがエイズウィルスに感染したのはバイセクシュアルの恋人からでした。
1981年に、アメリカで同性愛者の男性に初めてエイズが報告されてから世界中にエイズ感染が広まりました。
2017年、全世界で3,690 万人のHIV感染者がいて一年間で新たに180万人が増えています。
ニロのマインドはエイズに感染したことを知るとパニック状態になりました。
ニロは神秘家OSHOの弟子でニュージャージー州で瞑想のファシリテーターとセラピストをしていました。しかし、彼女の瞑想は不十分でマインドの次元を水平移動しているだけでした。
アセンション(次元上昇)していなかったのです。
一般的に精神的混乱が長く続くと今までの自我では適応しなくなるので、境界が揺らいで崩壊するアイデンティティの危機が訪れます。新しい環境に適応するには古い自我の殻を脱ぎ捨てなければならないのです。
自我の死と再生のプロセスは次の三つの段階を経過します。
第一段階 旅立ち
第二段階 死と再生のイニシエーション
第三段階 帰還
最初に起きる感情は否認です。つよい否定の感情が湧きます。
ニロも「なぜわたしが」という思いで心がいっぱいになりました。
自我の境界がゆらいでいるので抑圧してきた情動(感情エネルギー)が意識の表層に上ってきます。「うそだ、信じられない。何かの間違いであってほしい」様々な思考が次から次へと湧いて来ます。
当時はエイズが他の人に感染させる可能性が大きいと考えていました。
「どうして自分がこんなひどい仕打ちを受けなければならないのか」と様々な感情が湧いてきました。
共同体の人々に拒絶され村八分にされてしまうこと、恋人に捨てられるのではないか、子どもたちに感染するかも知れないと考えることは発狂してしまうほどの恐怖でした。
自分が使いものにならない野菜のように朽ち果ててしまうのも怖かったのです。
自分に敬意を払ってくれない周りの人々への敵意、「自分を見捨てた」神への怒り、やり場のない感情が怒りとなって噴出しました。
ニロは恐ろしいウィルスを自分に移し、その上隠さずに正直に話してくれなかった恋人に、激しい憤りを抑えることができませんでした。
共通の会話がなくなり、恋人はよそよそしい態度になって、ニロを避けるようになりました。
ニロと恋人との関係は悪化していきました。怒り、恐怖の奥には愛の否定、心の痛みがあります。子供は成長するときに両親から愛されることを経験します。
しかし、あるがままの自分を両親に否定されると自己は分離して偽りの自我(マインド)を自分と思い込みます。
偽りの人格(マインド)にエネルギーを浪費して生き続けます。
偽りの自己は解消していない心の痛み(トラウマ)を抱えているので、危機が訪れると強い不安と恐怖にさらされます。
自我には自己防衛機制があり、自己イメージが崩れると、不安から逃れようと必死に思考を働かせます。
マインドは思考エネルギーを強くして感情を感じないようにします。怒りや恐れ、不安の感情が幸福を邪魔する物と考えてしまうのです。
メロドラマに入ってあるがままの自分と直面することを止めてしまうのです。
ニロは恋人が才能豊かな詩人で、舞踊家なので思索するために自分から離れて一人静かになりたいのだと合理的に考えるようにしていました。
子どもの頃のニロは怒られると、まったく反発せずに、黙りこみ、かわいそうな印象を相手に与えて、自我の殻の中に引っ込んでいました。
暴力を恐れて避けるため思考を働かせて内面にこもるのがニロの自己防衛の方法でした。
ニロは病気になったことを恥ずかしいと思っていました。
健康で有能な講師の自己イメージを維持するために感情をおさえ葛藤を内部にしまいこみ苦しみを隠そうとしていました。
マインドは弱さを見せたり、あるがままの自分になることは怖いのです。
ニロのマインドは思考エネルギーでフル回転となり罪悪感と恐れ、恥辱というマインドの罠にはまって袋小路に入ってしまいました。
一体何が起きているのか把握できず、現実と非現実の境界がゆらいで方向感覚を失ってしまいました。
ニロは海のそばに住んでいたので、毎日寄せては返す波を眺めていました。
生命の自然のサイクルは昼と夜、夏と冬、死と誕生と休むことなく繰り返しています。
海を眺めているときに「ありのままの生き方を続けなさい。この経験は貴重です。そして、いま起こっていることから何かを学びとるようにしなさい」と静かにささく声が聞こえました。
あらゆる危険は わたしたちに目覚める機会を与えてくれます。
死の宣告を受けたニロは毎日が非常に大切に思われて、すべてのことに対して優先順位を並べかえることにしました。
そのトップに自分を置くことにしました。
エイズ感染を自分の意識の成長と進化のための最後のチャンスにしようと決心したのです。
一生懸命に自分をコントロールすることをやめて、それまで、とても受け入れることができなかった「死」という事実を受けとめる気持ちになりました。
戦いと抵抗をやめてあるがままにまかせることにしました。
ニロは常に「こうしなければだめだ」「あれをしてはだめだ」と自分を裁いていました。
わたしは、愛される価値がない。誰も自分を必要としていない。私は天国にいけるわけがない。自己肯定感が低い人は分離感が強いので否定性の中でエネルギーは低下しています。
偽りの自我を選択した結果、分離されたエネルギーは不安、恐怖、怒り、悲しみとして微細な身体の低次のエネルギーセンターでとぐろを巻いています。
心理学ではそれをブロックと呼んでいます。
自分の否定的な感情を受け入れたニロの心のダムは決壊して、情動が抑えきれずに次々に流れ出しました。
エネルギーが大量に放出された後は穏やかで静かな沈黙が訪れました。
ニロの個性は大海に融合する雨水のように全体の中にとけ込んでいきました。
境界は消え、海、空、そして飛んでいる烏の中に溶け込んでいました。
時間はなく、完全だけがあり、どのようにして家まで帰りついたか、そして、その後何をしたか、まったく覚えていませんでした。
いつのまにかニロは肝臓、胃、膀胱などの自分の内臓器官が見えるようになっていました。
しかも内臓が黄緑になって悪臭を放っているのがわかったのです。
ニロは身体と精神の不快な症状はすべて身体の自浄作用だということを学び、ニロはすべてをあるがままにまかせようと考えました。
自分の気に入るように変えようとするのではなく、エイズで死ぬという現実さえもありのままに受け入れたのです。
避けることができない不快な状況が起きてもNOを言わずにすべて許すことにしたのです。
ニロは自分の生命に対して自分で責任を持つことができるようになりました。
許すということを通じて、過去は変えられないけれども、過去が現在に与える影響は変えられることを学んだのです。
今この瞬間にくつろぐようになり季節のうつり変わりのように自分の感情を眺めるようになっていました。
今ここの神聖さにゆだねることで過去の記憶から解放され真の自由を体験できるようになったのです。
ニロは自分の気に入るように変えるのではなく、そのときそのときの自分をありのままに受け入れました。
頭ではなくハートに人生をゆだねたのです。
そして、不可能であると考えることをやめて、可能であると考えたことは肉体的にも精神的にも、あらゆる努力をおしみませんでした。
すべてを受け入れると言うことは可能性も受け入れるのです。
九州大学・心療内科 池見酉次郎教授は、ガンの末期患者の考え方や生き方すべてが変わって、がんが自然退縮することを「実存的変容」と言っています。
ユングは病気になって、そこから回復することを、「魂のひとつの成長のステップ」と言っています。
ニロに起きたことはまさしく「実存的変容」であり「魂の成長」でした。
ニロは自分の不快な症状を「目覚めのための呼び掛け」と言っています。
不快な病気は目を覚ます為の目覚まし時計の役割をしてくれました。
エイズ感染を自己成長と進化のチャンスととらえました。
ニロにとってエイズは自分を目覚めさせて真の自由をもらしてくれる存在からの最高の贈り物でした。
ニロはOSHOから「人生という神秘の流れに逆らって進もうとせず流れのままにまかせる」ことを学んでいましたが、頭だけの理解だったので実際はコントロールされないようにすべてをコントロールしていました。
マインドの次元にとどまっていたのです。
マインドを超えるにはアセンション(次元上昇)して第4身体(メンタル体)を超えなければなりませんでした。
「わたしがこの病気を作ったのだから、自分でそれを治すことができる」この素晴らしい真実はマインドのレベルになるとネガティヴになり病気を生み出した自分に対し罪悪感をもたらしました。
瞑想をするとニロの心の中は怒り、恐れ、絶望、無力感、罪悪感、孤独感が渦巻いていました。そして自我は臆病なので慣れ親しんだ古い自分を放棄することに恐怖を感じました。助かる道は、ただ一つ自分でまいた過去の悪夢をたち切るより他に方法はありませんでした。
マインドは起きている事実にストーリー(解釈)を持ち込みます。
日常生活のマインドの状態は不快な事や失敗してた過去にこだわります。
そしてそれを未来に投影して不安になっています。
瞑想をして病気を治そうとする行為はマインドの次元を水平移動します。
何かをしてどこかに到達しようとする行為はいまここではありません。
瞑想は努力することなく、いまここにくつろいでいる状態です。
今この瞬間に生きると言うことは、過去の記憶から自由になることです。
過去は過ぎ去ったことなので、自分の中で過去に起きた事実は絶対に変えられません。
過去は変えられないけれども、過去が現在に与える影響は変えられることをニロは学びました。
それは罪悪感からの解放を意味していました。
思考に同化することをやめて思考や感情が次から次へと現れては去ってゆく事を見て取ると、すべては存在からの愛だということに気がつきます。
それが瞑想です。
今まで思い込んでいた世界は思考が作り上げた夢だった事に気がつきます。
ただ自然に風が吹き雲が湧いて雨が降るように心の中の感情や思考もまた自然に起きています。
喜怒哀楽の感情も雨や嵐が来るようにただ自然に起きているだけなのです。
ニロは今ここに生きること、つまり、あるがままの自分を受け入れて、その瞬間、その瞬間の人生に起きる最高の贈り物にイエスと言って生きることを学んだのです。
ニロがしたことは今ここにくつろいで、近づいている死という現実を受け入れることでした。
ニロは「死」を受け入れて、毎日毎日、これが人生最後の日だと思って大切に生きたのです。
そして物事をありのままに受け取るという新しい認識によって生活の質を変えたのです。
ニロは最初、投げやりになり「もうすぐ死ぬのだから、何も気にすることはないわ」と好きなチョコレートやアイスクリーム、また太りそうな食べ物を腹いっぱい食べていました。
ハートに気づいた後、砂糖、カフェイン、その他の加工化学食品をやめビタミン、ミネラル、糖質、脂質をバランスよく吸収するダイエットに変えました。
そして毎日海岸を散歩して、太極拳をして、太陽が昇るのをみながら呼吸法とハミングする瞑想を毎日継続したのです。
検査をするとニロの身体に巣食っていたエイズは陰性になっていました。
人生という神秘な流れの中で文字どうり完治したのです。
生まれなければ死はありません。
死を恐れる前に目を覚まして生きるのです。