ペスト襲来1-中国より来たる死上陸
2018.11.07 01:30
1347年9月27日、英仏は教皇の仲介により休戦となった。ある事情で戦争どころではなくなったのである。まず軍資金。エドワード3世は百年戦争の資金をイタリア商人からしこたま借りていた。クリシーの戦いの前にこの金のデフォルト宣言をしたので、資金がなくなったのである。これはフィレンツェで金融危機を引き起こす。
そしてペストの大流行である。ペストは何回かヨーロッパで流行したことはあったがこの時期の大流行は人口の3分の1を死に追いやり、その後のヨーロッパを変えたといわれる。2014年この期のペストの起源がアジアだとわかった。このペストはまず中国で流行して人口の半分を死亡させた後、モンゴルのキプチャクによって包囲されたクリミア半島を襲った。中国からの毛皮などのノミから感染したようである。
そしてその後、ペストはコンスタンチノープルを襲い、ビザンティンからオスマンに抵抗する力を奪ってしまった。皇帝の親族さえ死亡した。そして秋には船に乗ってイタリアのメッシーナに上陸し、イタリアの海岸都市を蹂躙し、あれほど繁栄した町の機能がすべて停止した。
そしてペストは、ポー川を遡って、翌48年イタリア内陸部のフィレンツェなどの都市を襲った。町は死体であふれ、人は他人との接触を極度に恐れるようになった。その中でミラノだけは他都市の人間を一切入れず、町に閉じこもり、ペスト禍から逃れることができた唯一の町となった。
下はパレルモのペストを描いた「死の勝利」