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ケアマネ矢田光雄のひとり言

新人の 年賀に残る 国訛り

2024.01.11 06:57

明けましておめでとうございます。

とは、明るくは言えない状況だが、兎にも角にも年が明け新たなる1年の幕開けとなった。日本で、世界で起こっている事柄を注視しながらもとりあえず眼の前のやるべきことをこなしてゆくことから始めるしか無い。

さて、今年も出だしはAIである。AI様は今後10年を経ずに人類の能力のほとんどを凌駕すると言われている。AI様と人間は労働効率で選別され人が活躍できる労働場面は限りなく少なくなり、その数少ない分野で大量の人間が動き回り、消費生活をする。次に人間の使う言葉はAI様由来が基本となるだろう。AI様に心は無いから(当分の間は)人間も心が希薄になる(無くなることは無いだろうが)。心の無い(薄い)人間は存在力も希薄になるから、薄ぼんやりとした人間が薄ぼんやりとした人間関係を取結びながらダラダラと時間を消費していくのだろう。

私は悲観的なことを述べているのではない。むしろ逆である。言葉というのは入力と出力だけではない。入力の前に受容者の中でもやっとした霞の中の光のようなものがあり、その光が像を作り、吐き出され他者の中で再び像を結ぶ。これを人類は延々と繰り返してきたのである。

この営みが全く変容する。読む、聞く言葉がすべてAI由来になった時(もやっとした)受容体Aと(もやっとした)受容体A`はその行き場をなくす。人類の歴史は人が作った言葉より広がり、今日に至るまでの発展を見てきた。それはあくまでも対人との繋がり上必要であったがためである。しかし近未来では人類はAI様が選別した無機質な言葉が転がっている無機質な原野を彷徨うことになるだろう。

であるからこそ、その流浪の果てに、人類は言葉の本来の価値(約束の地)にたどり着くのかもしれない。というようなことを初夢の中で考えていた気がする。

令和6年1月11日