『ミち』

川瀬 亜衣

2018.11.07 13:55

その後も、ずっと電車からは降りられていない。

上り下り、今はどちらに走っているのかを考えるのもやめていた。

あぁあ、もうすっかり夜で、六郷土手は人だかりで蠢いている。

蛍光灯で眩しい車窓の遠くで音もなく花火が上がった。あぁあ。

念願の自宅花火は翌年に持ち越しが決まったなぁ。


すぐ足元からパチパチと音が聞こえた。

気泡が弾ける茶黒い色の液体が、枝分かれしながら床を這っていく。

慌てて両足を浮かせた。

前方座席からだらりとはみ出た、スーツ男の手にはコーラのボトル。

私を含め、この電車には寝ぼけた乗客しかいないらしい。

甘い匂いに混じって藤の香りが鼻をかすめた。

すると、ゴーーー。

真っ暗になった。

トンネルに入ったのだろうか?

車内灯が誤って消されてしまったんだろうか?

「母の恋人だった父」の、空洞の顔の中に落ちてしまったのかもしれない。

パチパチパチパチ… まだ聞こえる音だけが、微睡む私と車内を結びつけていた。


やがて、ひらひらひらと、薄紫色の便箋にかよわく引っかかっていた母の文字が、私の頭上から降ってきた。


私は真上(上も下もあるのかないのかも今は不確かだけど)を見上げようと、重い頭部を旋回させた。