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けがれなき神の家族

キリストが歩んだ「神の純白」の道(DI 44)

2024.01.12 11:51

The Way of Christ’s Divine Innocence, Winter 2020

© copyright Patricia de Menezes. 2020 (Mica試訳)


2004年12月25日、ウィンブルドン、聖心(みこころ)教会(イエズス会)、深夜ミサ

パトリシャ:聖なる幼子イエス様を腕に抱いて、マリア様がおいでになりました。マリア様は女王にふさわしく堂々としておられます。天使が周りを取り囲み、新たにお生まれになった王を賛美しています。聖ヨセフは跪(ひざまず)き、礼拝しています。


マリア:主は、あなたの祈りに応えてくださいました。そして、全ての祈りにお応えになります。信頼しなさい!信頼して、信じなさい!けがれなき神(神の純白)が、あなたの家族の中で、勝利なさいます。教会の中で、大いなる前進が起きています。このメッセージが、世界を変容させるでしょう。主を、賛美せよ!主を、賛美せよ!


パトリシャ:イエス様の全人生が、神のけがれなさ(神の純白)の各段階として、示されました。それから、私たちの中にある、キリストの人生の各段階が示されました。それは、私たちが、王であるキリストと一致して、天で統治するところまで、示されました。


パトリシャ:ミサの奉納のあいだ、神の聖なる小羊が祭壇上に示されました。この小羊は、これから、ご聖体(聖なる秘跡)の現実となる物の、シンボルです。イエス様は仰せになりました。


イエス:イエズス会には、私の「神の純白」のメッセージが必要です。この修道会(order)を、私の「けがれなき神の秩序(Order of Divine Innocence)」に従って、刷新するためです。彼らの祈りと、善業と、ミサが、この恵みをもたらすために貢献しましたから、私は、今度はイエズス会に、この恩恵を受けてほしいのです。


パトリシャ:七人の司祭が、ミサを共同司式していました。聖変化のとき、司祭たちの手から、光が出ているところを見せられました。神の小羊は、今は、祭壇の上方に見えます。そして、数々の光線が、神の小羊から出ています。


1996年9月1日 (ii)、ベルギーのエレ、御受難会の修道院


パトリシャ:お母様、あなたの神なる御子が、ご聖体の秘跡のうちにおられることに、いつ気づかれましたか。


マリア:使徒たちよりも前です。この大いなる奇跡が、使徒たちの手を通して行われるように、神はお定めになりましたけれども。母は、その子を知っています!十字架の御足元にいてさえ、私には、御子の尊い御血が、世を洗い清めているところを見ることができました。


パトリシャ:お母様、あなたが見せてくださるものを、私は説明することができません。ベツレヘムの馬屋の中に、後に教会の生きた諸秘跡となるイエス・キリストが、人間の姿で、横たえられています。驚くべきことです!


マリア:天使たちが全能の神を、救い主の誕生において賛美したとき、天使たちは、世が以前と同じではなくなることを悟っていました。み言葉が「天から飛び降り」ました。その み言葉は、世に、愛の火をつけるでしょう。み言葉は、悪の勢力を、死に至らせる戦いに巻き込み、常に勝利し続けるでしょう。


パトリシャ:お母様、私はこのようなことを、話しても良いのでしょうか。これほど崇高な神秘を!


マリア:試してごらんなさい。でも、説明は、できないでしょう。


パトリシャ:聖ヨセフ様は、このような神秘をご存知でしたか。少なくとも、垣間見てはおられましたか。


マリア:言葉のない認識による、[神から直接] 注入された知識があります。そのような知識の結果は、敬虔な沈黙と畏敬の念です。人に、何の説明ができるでしょうか。



2006年8月1日、サセックス州のロッティングディーン、街の上の丘にて


パトリシャ:美しい丘です。金色に輝く実りの小麦や大麦の畑は、収穫を待つばかりです。青い空の下、羊や牛が、のんびりと草をはんでいます。主よ、この美しさと、この素晴らしい数々のものを私たちに与えてくださったあなたの愛に、感謝いたします。主よ、私は天国に行って、永遠にあなたを賛美することを熱望しています。「十字架につけられた純白(crucified innocence)」が、すべての人の中で勝利することを、待ち望んでいます。


イエス:ですから私は、この恵みを世に与えるために、あなたを選んだのです。人類において、神である私の純白が勝利し、全ての人に差し出されるという恵み。これは、十字架上からの私の言葉「彼らをお赦しください。何をしているのか分からないのです」による、私の愛の大いなる溢れ出です。


2019年7月10日


イエス:「私の荷は軽い」。あなたは、他の人の荷を、感情的にも肉体的にも、背負い過ぎています。もう一度、言います。私の荷は、軽いのです。


パトリシャ:軽いとは思えません。私たちは、自分の務めを果たし、愛徳の面で立派に生きたいと努力しています。不要な重荷や、他の人の問題を、どうやって捨てたら良いのか分かりません。私たちは、人々を、祈りによって助けなければならないと感じています。


イエス:全てを、適切な分量にしなさい。人の罪や重荷によって、自分たちが掻き乱されるほどになってはいけません。穏やかな平和のうちに。


パトリシャ:主よ、あなたのおっしゃる「穏やかな平和」のうちに、あなたのやり方で、物事ができるように、私たち皆を、助け導いてください。


イエス:平和の王と、平和の女王聖マリアと、平和の保護者聖ヨセフのもとに、繰り返し戻って来なさい。


2020年4月18日


パトリシャ:私たちは、感情的か、論理的か、どちらかになり過ぎること、そして、そのどちらにもあるデメリット(短所)について話していました。度を超えて感情的な人は、思慮分別が足りずに、困難が生じることがあります。非感情的な人は、苦しみに無関心にならないように、気をつけなければなりません。イエス様は、私に秤(はか)り を見せてくださいました。貴金属を計量する秤りでした。イエス様は仰せられました。


イエス:愛が秤りであり、愛徳が完全な秤りです。


パトリシャ:金(きん)を計量する秤りが示されたのは、重要なことでした。金は貴金属の一つだからです。主は福音書の中で、愛が最大の掟であると仰せになりました。


1998年4月6日


イエス:成功は、苦しみをともなう愛によって計られます!


イエス:勝利とは、愛らしくない人を、変容させるために愛することです!


1985年8月5日


パトリシャ:主よ、あなたの愛を、感覚的に感じることができたら良いのにと思います。


イエス:私があなたを愛していることを、信仰によって知りなさい。私のあなたへの愛の証拠は、私が日々あなたに与える十字架にあります。あなたが私に「霊魂のために」と囁きかけるとき、あなたが私の愛に応えてくれたと分かります。


パトリシャ:主よ、私をあなたの愛に浸してください。


イエス:私は度々、そのようにしてきませんでしたか。そして、ゆるしの秘跡と、私自身の血と体をあなたに食べさせることによって、そうし続けてはいませんか。私は、私自身によって、あなたを支えています。


2001年4月10日 (ii)、土曜日、四旬節第五週、ミサ、ナザレ・ハウス


パトリシャ:イエス様が、産まれる前に殺された幼子たちの殉教者宣言の確実性について、お話しされました。


イエス:私の愛が、幼子たちにとっての「必要のために、実を結ばない(訳註:ここでイエス様は「不妊の(barren)」という言葉を使っておられます)はずは、ありません!彼らの意志は、理性の年齢に達しておらず、私の愛を拒絶していません!私に敵対しない者は、私と共にある(ルカ9:50参照)。幼子たちを、私のところに来させて、世界中の全ての人から見えるようにしてやりなさい。これ以上、妨げてはなりません。教会内にある、幼子たちのための場所に、彼らを上げてやりなさい。それは、全世界に対する真理の証しとなります!


パトリシャ:確実性について、主は、「神の救いの力は、全くもって確実である」ことを、私に思い出させてくださいました。


1985年5月20日 (i)、夜間祈祷会、ウィンブルドン


パトリシャ:神父様が、ご聖体を顕示してくださり、私たちは、神なる主イエス様の現存の御前にひざまずいて、礼拝していました。マリア様はすでに冠を受けておられましたが、注目が全てイエス様に向かうように、主の御前で本当に謙遜に見えました。イエス様が栄光のうちにおられるところが見せられました。私は、主の圧倒的な偉大さを感じると同時に、マリア様の最高に完全な謙虚さに心を打たれました。


1985年5月20日 (ii)、聖マリアと聖ペトロ教会、レザーヘッド


パトリシャ:ああ、わが甘美なるイエス様、この教会が、あなたを礼拝する良き霊魂でいっぱいであったならと思います。でも、いるのは、本当に弱い罪人である私だけです。あなたを完全に愛することを教えてください。私の心に、あなたへの愛の燃える火を投じてください。愛の一致で、私を焼き尽くしてください。この物乞いが、不可能なことを願っております。でも、あなたに、お出来にならないことは、ありません。私は、あなたの聖なる御母の秘められた御傷を通して、また、あなたの聖心を通して、不可能を願います。私が、このようにして不可能なことを願うのは、これほどのことをあなたに願う、惨めな私を憐んで、愛に満ちたあなたが、何をも拒まないでくださるからです。私が、あなたにこのようなことを願うのは、自分が、あなたご自身が愛してくださっている子供であることを、本当に知っているからです。


イエス:まことに、あなたは、私のものです。私は、あなたを墓から連れ戻しました。小鳥よ、私の心で休んで良いのですよ。


パトリシャ:愛する主よ、あなたが、ご自分の御心で私が休むことを良しとされるとき、そして、全宇宙の創造主の心臓の鼓動を聞かせ、全ての霊魂に対するあなたの愛の燃える火を体験させてくださるとき、私は、あなたへの愛のために、死んでしまいたいと思います。私の最愛の主、私の神よ!

私のお母様、私のために、あなたが執り成しの嘆願をしてくださらなかったなら、私の霊魂は失われていたはずです。私は、あなたに感謝するのにふさわしい最上の言葉を、見出すことができません。あなたは、私のために嘆願してくださいましたが、私は、あなたを知りもしませんでした。

私の周りの全ての人のうちにおられるあなたを賛美し、愛することを教えてください。他の人のうちにおられるあなたに、たゆまず仕えることを教えてください。私の1日の全てを、あなたにお捧げいたします。その全てが、聖なるものとなりますように。罪を忌み嫌う心を、私にお与えください。


イエス:私の沈黙の中に入りなさい。沈黙によって、あなたにどれほどのことができるか、どれほど愛することができるかを、ご覧なさい。このようにして、私が全てを行うことになるのです。あなたが成すべきことは、ただ、私の平和と静穏のうちに安息することです。


パトリシャ:私の主よ、私は十分に、あなたを礼拝することができません。私の体はとても弱く、簡単に疲れてしまいます。私の霊は、必死になって、あなたに自由に話しかけ、いつもあなたの御足元にとどまろうと努めています。御聖体と同じ屋根の下に、自分も暮らしていたならと思います。あなたの元に行き、永遠にあなたの御足元にとどまることのできる、大いなる恵みをお与えください。私の体が弱っているならば、私の魂と霊を強めて、そのような体にとどまれないようにしてください。御聖体におられる、私の神が、ただ一人、誰にも愛されずにいることを、魂と霊は、知っているのですから。主よ、あなたにお出来にならないことは、何一つありません。聖マリアの無原罪の御心と、その秘められた御傷によって、どうぞ私に、この大いなる恵みをお与えください。そして、あなたの聖なる御傷と、神である あなたの御心を褒め称え、また、聖霊と、三つでありながら一つである聖三位一体に光栄を帰して、願います。


イエス:私の小鳥は、私にどんな選択肢を与えてくれますか。私が、あなたに、そのような霊の自由を与えるならば、あなたはそれを、上手に使いますか。


パトリシャ:神である あなたのお恵みによって、また、私の愛する天のお母様のお導きによって、はい、私の主よ、私はそれを上手に使います。私だけに任せられたなら、あなたからいただく全てのお恵みを台無しにしてしまいますから、聖母の愛すべき御心を通して、私にお与えください。そして、私の聖なるお母様が、恵みを守ってくださるように、お願いしてください。


イエス:あなたは、自分の救いを、他の人にも感謝しなければなりません。選ばれた寛大な霊魂たちは、あなたのことを知りもしませんでしたが、あなたのような霊魂を救うために、彼らの神と一致して、進んで、罪滅ぼしの償いに参加してくれました。


パトリシャ:私が、まだ知らない霊魂の皆さま、心から深く、皆さまの寛大な犠牲に、感謝いたします。


イエス:パトリシャ、恵みと愛へのお返しとして、私に、数々の霊魂をください、霊魂をください!私の愛する数々の霊魂によって、私を慰めてください。誰も失われることがないように。


パトリシャ:私のイエス様、あなたの御母の御助けと、御取りつぎによって、あなたに霊魂をお渡しする方法を教えてください。私が何をすれば良いのかを、お示しください。

イエス:霊魂への愛と、私への愛のために、苦しみを喜んで受け入れてください。私の望みが、あなたの望みとなるように!


1993年9月17日


イエス:この秩序(Order)(訳注:神が初めにお定めになった、人間も含めた事物のあるべき状態、調和した在り様、関係性)は、最初にして最後の秩序(Order)、そして、最初のキリスト教秩序(Christian Order)です。この秩序は、第一に、教会内にあるべき秩序です。人生の全てが、聖家族の秩序付けられた生活に示される、この原型(オリジナル・デザイン)の中に、完全にあるならば、あなた方の生き方は、最も高い位置にあり、全ての人が、その美しさを見ることができるでしょう。この秩序(Order)は、愛、すなわち神の愛によって秩序付けられています!この秩序は、すべての秩序よりも先にあり、全ての秩序を超えています。これは、キリスト教秩序の原型(Original Christian Order)です。


パトリシャ:デザイナーのオリジナル・デザインが、いつでも最高のものです。


イエス:多くの者が、オリジナル・デザイン(原型)は高額で、買うことはできないと言います。このオリジナルは、あなたでも手に入れることができます。私自身の尊い血で、支払いを済ませてあるからです。なぜ、粗悪な複製(コピー)で間に合わせるのですか。原型(オリジナル・デザイン)が手に入ります。聖家族の秩序付けられた生活という、原型(オリジナル・デザイン)を、原初の完全さと美しさのままに、受け取ることができるのです。


パトリシャ:この場所で、天は、聖にして健全な聖家族そのものの環境、というオリジナル・デザインを、私たちに提供しています。そして、コミットメント(献身)によって、聖家族の中に足を踏み入れることができます。

この(訳注:神のオリジナル・デザインを生きようと努力している)「けがれなき神の会(Order of Divine Innocence)」(訳注:「主の潔白会」または「けがれなき神の家族」と同じ)の会則は「愛」です。最初の会則と、最後の会則、そして、その間の全ての会則は愛です。


1997年7月6日


パトリシャ:ある科学者が、聖体大学(Eucharistic University)に誘われました。彼の、光の理論についての研究を、イエス様が手助けできるようにと誘われたのですが、残念ながら、彼は断りました。イエス様は、人間の知識のあらゆる分野を、聖体大学で学び、より深い洞察を得てほしいと思っておられます。


イエス:なぜ、多くの科学者は、自分の仕事を、私から切り離すのでしょうか。もう一度、ロウソクから出る光を見てごらんなさい。[ロウソクの] 影は、チャペルの壁に、光を映しません。壁に映った影に、炎はありません。

あなた方は、初めに戻る必要があります。「初めに神は、『光あれ』と仰せになった。そして、光があった」。被造物は、創り主の栄光を反映することができます。造られたものは、創り主から、その本質と特性を受けています。

私は、世の光である。私のうちに、闇はない。多くの科学者、教育者、物理学者、作曲家、芸術家、医師、弁護士、その他人間の努力を要するあらゆる分野の人々は、彼らの創り主から直接的な手助け(アシスト)がなければ、その仕事は、大変ゆっくりとしたものになります。そして、その仕事には、「神の愛」の火が欠けていることも、しばしばです。

あなたの日々の生活の体験を通して、光の特性を見てみましょう。あなたが観察して分かったことを、教えてください。


パトリシャ:光は、闇の中で、私たちが見えるようにしてくれます。光は、熱と、暖かさを、もたらします。光は、時々焦がします。目と皮膚を傷めますが、癒すこともできます。例えば、レーザー治療です。自然のなかにも、化学的光があります。例えば、鉱物や、虫など。


イエス:光のことを、なかなか良く知っていますね。しかし、光の様々な特性や、この賜物(創造的光)の、霊的・実践的適用を、広範にわたって研究したわけではありません。あなたの分かったことから、どのような霊的学びが得られるでしょうか。


パトリシャ:主よ、太陽の光は、あなたのようです。それは、私たちに、光と健康をもたらします。レーザー光は、焼き尽くして、ガンを治療することができます。主よ、あなたは、私たちの霊魂にある罪を、あなたの諸秘跡によって、焼き尽くすことがお出来になります。光は、私たちを暖めることができますが、あなたは、神の愛の暖かさを、私たちにくださいます。

イエス:あなた方が、光を、敬意をもって扱わず、また、その特性や性格を理解せずに用いるならば、それは、破壊的にもなり得ます。神から与えられたその他すべての賜物も、同じことです。

結論として、事実上、こう言えるでしょう。神から人間に与えられた全ての賜物は、「賜物の与え主である神」と関連付けて用いなければならず、その意向は、賜物の与え主の意向に従って、善のためでなければならない。人の意向が、神の意向と一致していなければ、人はその賜物を、おそらく間違った使い方をするか、あるいは、原始的なレベルでしか使えないであろう。


1996年7月31日 (iii)、ロヨラの聖イグナチオ、ミサ、美徳の花


パトリシャ:司祭が、『愛の歌』の一部分を、声を出して読んでくださいました。イエス様が、次のように仰せられた部分です。


イエス:私の子よ、愛をもって捧げられた美徳の花々が、私を、最も喜ばせてくれます!(1992年10月30日)


パトリシャ:この同じメッセージの中で、私は主に、これらの徳の花をくださるように、お願いしました。そうすれば、私は愛をもって、その徳を、主にお返しすることができるからです。

今日、私は、徳の花に加えて、それ以外のことも、祈り求めました。どんな徳であろうと、神にお捧げするためには、高い次元の愛が必要だと気付いたからです。


パトリシャ:主よ、諸徳の花を、あなたにお捧げするには、私には、愛が足りません!


イエス:私には十分な愛があります。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう!


パトリシャ:神の愛と、完全な徳の主よ、あなたの愛を、私にお与えください。あなたの愛のうちにあって、私の中と、私の全人生において、徳の花が開くためです。そうすれば、あなたの愛の賜物と、あなたの徳の賜物で、私はあなたに素晴らしい徳の花のブーケをお渡しできるでしょう!

主よ、私たちの持っているものは、全てあなたからいただいたものです。私たち自身のもので、あなたにお渡しできるものは、何もありません。


イエス:小鳥よ、それはあなたを不愉快にさせますか。


パトリシャ:主よ、違います!あなたが事物をそのようにお定めになったのです。そして、私はただ、あなたが望まれることを、望むだけです。あなたのなさることは、全て完全です。私たちが、あなたの道、「幼子のような神の純白の道(the Way of Divine and Childlike Innocence)」に従うならば、私たちは、平和と幸いのうちに生きるでしょう。


イエス:ああ、あなたは今日、素晴らしい歌を歌っています。課題を習得し、「謙遜」のバリエーション(変奏曲)を歌っています。本当に多くの霊魂が、彼らの神がそのように定めた事物の在り方を、全く気に入らず、格闘し、「隠れ傲慢」に陥り、苛立ちながら、「全ての賜物の与え主」に、捧げものを与えようとしています。これは、神が与えるのは当然だと思ってよいという意味ではなく、喜びと感謝をもって受け取りなさいということです。


パトリシャ:主は、幼子が、父親からもらったプレゼントを開けている様子を見せてくださいました。その子は、プレゼントを見るやいなや、父のもとに走りより、父を抱きしめ、感謝しました。それから、プレゼントのところに戻って、それを喜んで使いました。次に、もう一つの光景が示されました。神は、ある霊魂に、数々の素晴らしい賜物をお与えになりましたが、その霊魂は、賜物を、自分自身のために積み上げていました。彼は、宝の与え主よりも、宝そのものに、より関心をもっていました。その霊魂は、数々の賜物の配置を、様々な形にアレンジし続けていましたが、最終的に、賜物はチリとなってしまいました。神からいただいた素晴らしい賜物に、決して感謝しない霊魂が何人もいます。例えば、健康、視力、聴力、発話能力、食べ物、才能など、神が私たちにお与えになった賜物を[感謝しません]。


イエス:私の子よ、諸徳の花について、考えてみましょう。草原には、たくさんの魅力的と感じられる花があります。しかし、摘んでしまうと、とても不快なものに変化します。トゲのある花や、チクチクと刺すような花、また、心地よい香りのない花もあります。それどころか、中には毒のある花、命に関わるほど危険な花もあります。専門家の指導を受けなければ、ブーケを作るのに、どの花が良くて、どの花が使えないか、知りようもありません!愛徳に満ちているように見えるけれども、実は自己中心的な理由でそうしているだけの人もいます。例えば、高齢者の遺産にだけ興味のある人です。自分が「施し」をしていることを、ただ、皆に見せたいだけの者もいます。あなた方の愛と奉仕を、純粋なものにしなさい!


パトリシャ:主よ、私がそれを識別できるように、教えてください!私の持っているものは全て、あなたからいただいたものです。そして、私はその在り方に、満足しています。私が学ばなければならないことは、本当にたくさんありますが、あなたの軛(くびき)は負いやすく、あなたの荷は軽いです。日々、私は、自分が初心者であることを、再認識しています。

主よ、あなたが共にいてくださるとは、何と素晴らしいことでしょう!


1998年5月17日、松の木で


パトリシャ:クレドを歌っていると、ピラトが不正な支配者として歴史に残ったことが、私に示されました。そのピラトのもとで、私たちの救い主イエス様が苦しまれました。その不当な判決は公式に記録されており、全ての人が、それを見て、そこから学ぶことができます。ピラトは、カトリック教会の信条に、罪なき人を、権威をもって断罪した者として、公式に記録されています。主は仰せになりました。


イエス:権威の座にある者たちよ、あなた方が罪なき人に有罪判決を下しているならば、用心しなさい。あなた方は、私の正しい判決を受けることになります!汚れなき子供たちに、自らの邪悪で罪深い生き方を見せ、子供たちを苦しめている親たちよ。堕胎(妊娠中絶)と受精卵の実験によって、罪なき幼子たちに死刑判決を下している、男性、女性、医師、看護師、役人、政治家たちよ。高齢者や病人を、安楽死によって、死刑に定めている者たちよ。子供や若者の心に、罪と誤謬と異端を植え付け、神の法と十戒と教会の教えに背くように勧める教育者よ。権威ある全ての者よ、警戒しなさい!あなた方が悔い改めて、罪に染まった生き方を改めないならば、これら全ての責任を負わなければなりません!


2006年6月2日、初金曜日


イエス:カトリック・クリスチャンの生き方は、真理のうちに生きることへの招きです。多くの者が、頑固にも、真理を聞き、真理によって生きることを望みません。真理は、神から来て、教会によって教えられています。数多くの者が、誰にでも従うが、私にだけは従いません!「私は、道、真理、命である」。私は、御父と天国への道であり、真理と共にある命(人生)であり、その真理とは私の存在そのものである!

多くの者は、霊的指導者や、いわゆる「スピリチュアルな生き方の師」など、従うべき主人(マスター)を探します。しかし、おおもとの主人を探し求めて、見い出し、「ご主人様、私たちはどうすれば良いのでしょうか」と尋ねることを、拒みます。御父への道は、ただ一つであり、私が、その道である!


パトリシャ:主よ、あなたのことを知らないたくさんの人や、聞いたこともないたくさんの人たちは、どうなのでしょうか。


イエス:私のことを聞いたことのある者たちよりも、彼らのとがめは少ない。一方、多くを与えられていながら、無関心であったり、彼らの救い主を拒んだりした者は、多くを要求される。


パトリシャ:「つぐないの行進」によって、産まれる前に殺された全ての子供たちを思い、「神の聖なる けがれなさ(God’s Divine Innocence)」に背く全ての罪の罪滅ぼしをするようにと、主は望んでおられます。この「つぐないの行進」について、主は仰せになりました。


イエス:あなた方の数は、まことに少ないが、あなた方は、私が、「十字架につけられた幼子たち」の十字架を担うのを、助けてくれました!彼らは、[証し人であり、教会の中にいると] 宣言されるでしょう。

ありがとう。私の祝福を与えましょう+。


1996年8月24日


パトリシャ:告解の後に、主が、私に、天の御父に信頼した、汚れなき幼子のようになってほしいと願っておられることが示されました。主は仰せになりました。


イエス:私の子よ、完全に信頼しなさい。そうすれば、私は、あなたの心にインスピレーションを与えた「完徳のための祈り」にある、全てのことを行うことができます。完徳を熱望する霊魂が、そうするのは、私がその望みを霊魂のうちに吹き込んだからです。本当に多くの霊魂が、自分の多くの罪にばかり目を向けて、私が彼らのあらゆる不忠実を清めることができると、信じないのです。この不可能と思われる仕事を、私には出来ると信じる霊魂を見つけると、私は、その無力さに引き寄せられて、完全に不可能と思われることを、喜んで行うのです。私の子よ、告解の後で、あなたが見せられたことを、説明してごらんなさい。


パトリシャ:司祭による「ゆるしの祈り」の後で、私は、自分が小さな子供のようになっているところを見せられました。子供は、イエス様の方を見ていました。私は、内的静けさのうちに、私に対する神の愛の恵みが、私を変えてくださることを、完全に信じるようにという指導を受けました。そして、私たちが完徳に達するために必要な全ての恵みと助けを、神が与えてくださることがお出来になり、また、実際に与えてくださるということを、完全に信じるようにとの、内的指導を受けました。


完徳のための祈り

ああ、わが神、父と子と聖霊、あなたが私をお造りになったときに意図されたように、私の霊魂を完全で栄光に満ちたものとしてください。あなたが最大の栄光と賛美をお受けになるためです。私の弱さ、もろさ、罪が、あなたの愛の行いの妨げとなりませんように。私のからだ、知性、霊において、神が完全に褒め称えられますように。    アーメン!


1995年4月24日


パトリシャ:愛する主よ、私は、この恵み(訳注:「神の純白」のメッセージ)を拒絶する全ての人と、どれほど、この恵みを共有したいと思ってきたことでしょう。これは、絶え間ない内的痛みであり、一致と愛による和解への、絶え間ない望みです。


イエス:私の子よ、あなたは、あなたの天の御母の神秘の御傷に引き寄せられ、その傷ついた御心に引き寄せられているのです。今、あなたには分かりますね。秘められたる神秘の御傷の聖母が、私と聖母の優しい母の愛を拒む霊魂のために、私を見つめさえするならば、私は、どうして、聖母の、母としての愛を拒むことができるでしょう!私は、どうすれば、聖母の優しい母としての苦悩と、沈黙の嘆願を拒むことができるでしょうか!自分の子供たちのために懇願し、泣く母親たちは、私を無力にさせますので、慈しみが、大河のように豊かに流れ出ます。自由意志が、恵みを堰き止め、妨げるダムをつくります。あなた方の天の御母と、全ての母親の涙と祈りが、恵みを解き放ち、恵みがダムを貫通します。悲しいかな、霊魂は、まことに素早くダムを再建します!


パトリシャ:それなら、主よ、父親はどうなのでしょうか。


イエス:子供のための父親の祈りが、父なる神の御旨(みむね)に従っているならば、慈しみが流れ出ます。


1985年8月16日、家で


マリア:パトリシャ、私たちは、あなたを火で試しました。あなたは、私の子です。そして、我が御子イエスも、あなたに満足しています。あなたは、これを信じ難いと思いました。あなたは、自分の欠点や弱さばかりを見て、神の愛と慈しみを十分に見ていませんでした。あなたは本当に、抱っこされた赤ん坊のようになれるのですよ。祈れないときには、私の腕に抱かれて、私の心を見つめなさい。そうすれば、私があなたのために、祈ってあげましょう。あなたの母に、あなたの意向を教えてください。あなたの様々な祈りの意向を。そうすれば、私自身の言葉で、私自身の心で、祈ってあげましょう。疲れ切ってしまったときには、もう一度、私の腕に抱かれて、もう一度、私の心と顔を見つめなさい。私はあなたの方を向いており、あなたに私の愛を注いでいます。私の腕で眠りなさい。平和のうちに、安心して休みなさい。私は、他の母親と同じように、起こさないように、そっとあなたを置いて、他の子供たちの面倒を見に行ったり、母としての仕事をしに行ったりするかもしれませんが、私はあなたに注意を向け続け、泣き声を聞いたら、すぐに、あなたの必要や、小さな欲求を満たしてあげるために、駆け寄ることができます。あなたの心と、私の心の間の、沈黙の交わりによって、あなたの様々な必要を、教えてください。


1998年5月22日


パトリシャ:ああ、慈しみ深い主よ、慈しみ深い神よ、あなたの慈しみと、私たちの惨めさに折り合いをつけるには、どうすれば良いのでしょうか。


イエス:あなた方の惨めさと、私の慈しみに折り合いをつけるために、あなた方に何ができるか、ですか。ただ、私の慈しみを受けて、喜んではどうでしょう。


2017年6月24日、洗礼者聖ヨハネの誕生日


パトリシャ:主よ、産まれる前に殺された幼子たちには、集団としての名前である「慈しみは統治する(Mercy Reigns)」の他に、個人の名前はあるのでしょうか。


イエス:神と、一人ひとりの霊魂との関係は、一対一の関係です。彼らの新しい名前は、白い石に書かれており、神だけがその名を知っています。(黙示録2:17)


2019年2月5日


パトリシャ:主よ、あれほどまでに残酷にあなたを扱ったローマ兵たちは、どうなったのでしょうか。


イエス:私の十字架上での御父への祈り「彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からないのです」には、そのようなローマ兵も含まれています。私は、そのような貧しい霊魂にも、失った純白(罪のなさ)を返し与えるために、全てを与えようと思っていました。彼らは、残酷にも、卑劣にも、造られていません。

多くの人が、自分はこのような事を、したこともないし、してもいないと思っていますが、私の最も小さい兄弟にしたことは、私にしているのです。今でも。


2006年8月15日、被昇天の祝日


イエス:この小さな、何でもないような一片が見えますか!


パトリシャ:鳥の綿毛(わたげ)が、空高く浮かんでいました。


イエス:霊魂が私を信じるならば、私は彼らを、聖性の高みへと連れていくことができます。彼らが、私に、そうさせてくれさえするならば!この小さな綿毛は、それ自身では、何もできません。しかし、ご覧なさい、風の翼に乗るならば、どれほど高く飛ぶことができるかを…。霊魂も同じです。聖霊と恵みの風に乗るならば。この小さな羽根は、その性質自体が軽いものです。


イエス:あなたも、恵みと諸秘跡によって、私の手のうちで、軽くなることができます。罪の重さで引き下げられることなく!


パトリシャ:主よ、今日は素晴らしい日です。


イエス:毎日が、素晴らしい日です。私が、あなたに与える日だからです。


パトリシャ:主よ、苦しんでいる人には、どうなのでしょうか。


イエス:苦しまなければならないのは、少しの間であり、全ては再び良くなります。そして、その苦しみでさえ、神を愛する者には、善となり、栄光となり得ます。


2006年6月16日、12:30、サセックス州での休暇


パトリシャ:このメッセージを教会に伝えるために、私たちが、どれほどの時間をかけてきたかを思い、私はがっかりしてしまいました。


イエス:私が、あなたに与えた、このメッセージを、書き記しなさい!


イエス:ある人々は、休暇で海辺に来ている子供のようです。彼らは砂遊びをして、海で楽しみますが、自分の不滅の魂と、救いについては、全く無頓着です。人生が常に、休暇と遊びの時間であることを望み、決して家に帰りません。そろそろ家に帰ることを考える時間だと言う親の言葉に抵抗し、遊びをやめることを拒む子供たちです。私が、このような霊魂に、その霊魂の救いのために、天国への真剣な帰還の旅の準備をすることを望むとき、彼らは興味を持たず、砂でしかないもので遊ぶほうを選びます。


1997年3月1日 (i)、ナザレ・ハウス、私は み言葉である


パトリシャ:私は、神の啓示は多声的(マルチボーカル)である、と誰かが言っていた事について考えていました。すると、主が仰せられました。


イエス:私は、あの啓示された一つの完全な言葉である。悪魔は多声的(マルチボーカル)です。私は、み言葉である!み言葉は、様々な形であなたの元に行きますが、それでも同じ一つの言葉です。この [マルチボーカルであるとの] 発言は、良い主張ではなく、誤りに導き得るものです!


1985年8月21日、「十字架につけられた純白のチャプレット」


イエス:この祈りを、書き記しなさい。

「私は、守護の天使の御助けによって、このチャプレット(十字架につけられた純白のチャプレット)を、繰り返し祈ることを望みます。私の呼吸の一つひとつによって、また、私の心臓の鼓動の一つひとつによって、イエズスとマリアの心臓の鼓動と一致して、あらゆる所にいる罪人の慰めのために、祈ります。」


1985年8月22日、ケント州、フェイヴァシャム


幼子イエス:私は、あなた方の天の御母の秘められた御傷によって、天から与えられた、この信心(「十字架につけられた純白のチャプレット」の祈り)を祝福します。


1985年8月24日、マリア様が告解の秘跡について話されます。


マリア:パトリシャ、あなたは、告白の後で、司祭のゆるしを受けると、すぐさま、喜びを感じ、諸天使が歓喜しているのが分りましたね。

司祭が疲れ果てて、やる気もなくしているならば、キリストの御血が、悔悛者のために流されるときの天の喜びようを、教えてあげなさい。

私の子供たち、なぜ、この最高の慈しみの現れである「愛の秘跡」を、無駄にするのですか。神である私の御子が、私の愛する司祭である息子たちの行為を通して、まことに謙虚に、あなた方を待っておられます。私の神なる御子が、沈黙と、深い謙遜のうちに、御聖櫃で待っておられます。あなた方のために、これ以上、御子に何ができるというのでしょうか。あなた方は、御子を永遠に拒絶するのでしょうか。あなた方は、癒されるために、来てくれないのですか。私の御子が、人として [今、] 来られるならば、皆がその場所に押し寄せることでしょう。しかし、御子は、世界中のあらゆる場所で、ご自分に、個人的に会えるようにしてくださったのです。あなた方を慰め、愛するためです。ところが、あなた方は、何をしているのでしょうか。御子を顧みようともしません!あなた方の不信仰と、信頼の無さに、天はどれほど驚愕していることでしょう!


1998年2月6日、松の木にて


パトリシャ:聖家族が、ここにおられます。マリア様は、幼きイエス様の右に立ち、左には聖ヨセフ様がおられます。幼子のイエス様は、四歳くらいです。聖なる御子の両手は、聖なるご夫妻とつながれています。普通の両親が、子供と手をつなぐのと同じです。彼らは、他の家族と同様に見えますが、それまでの歴史上、最も特別な家族です。すなわち、最初の、ユダヤークリスチャンの家族です。


マリア:私の苦しむ子供たちを助けに来てくれたことに、私は、どうすれば、充分に感謝できるでしょう。あなた方の神のお望みは、全ての家族が、「神の純白(Divine Innocence)」のうちに生きることです。ここで、私たちと共にいて、平和を感じてください。


パトリシャ:素晴らしい平和が、私の霊魂を覆いつくしました。今度は、聖家族の皆様が、私たちの方に手を差し伸べておられます。


マリア:来て、「聖家族における修練(Novitiate of the Holy Family)」の美しさを、充分に生きてください!諸国の民は、次から次へと、あなた方の手本にならい、この聖家族の修練を生きるでしょう。あなた方が始めたことは、いつの日か、普遍教会が教えるようになるでしょう。司教と、神の民が、このオリジナル・デザイン(原型)、すなわち、この崇高な訓練である「聖家族の修練」の、力強さを認識した時に、そうなるでしょう。

私から、母としての祝福を与えます+。


マリア:私の子よ、あなたの願いは、何ですか。ここにおられる神なる御子の御心の中に、その願いをお渡ししなさい。


パトリシャ:幼きイエス様に、私の願いを、お渡ししました。産まれる前に殺された幼子たちの、教会による認知宣言と、私たちの家族の回心と、それぞれの人のために諸徳と、その他、多くの願いを差し出しました。


2005年11月2日、初金曜日


パトリシャ:私は、将来の光景を見せられています。何人もの司教と司祭が、大きな教会で、幼子たちの認知宣言(the Claiming of the children)と、けがれなき神の道(the Way of Divine Innocence)の祝いを行っています。教会は、収容人員いっぱいで、全カトリック教会が、幼子たちは、教会の子供であり、天国にいると、気づいたところです。司祭たちは、今や、「聖家族の修練(Novitiate of the Holy Family)」に協力しており、全ての小教区で、「聖体大学(Eucharistic University)」と「神の愛の哲学(Philosophy of Divine Love)」を、教えています。大いなる喜びと、荘厳さと、力強さの雰囲気がただよっています。ある教皇様が、サン・ピエトロ大聖堂で、幼子たちの認知宣言をしておられ、教会内のあらゆるところが、大いなる喜びに満たされています。しかし、それと同時に、安堵と、幼子たちへの悲しみもあります。全ての国は、罪なき人々を殺したことを、深く悔やんでいます。教皇様は、大いなる命の祝いの中で、数多くの幼子たちの認知宣言をしておられます。全世界が関わっており、この幼子たちだけではなく、自分自身の命が、神からの尊い賜物であるということに、人々は、ようやく気付きました。そして、やっと、マリア様の「秘められたる神秘の御傷の聖母(Mother of the Hidden and Mystical Wounds)」という称号が、認められました。主は仰せになります。


イエス:私の子供たち、まだ、信仰の学びを始めていない子供たちよ、このクリスマスには、あなた方の信仰の学びという、クリスマスプレゼントを、私にくれませんか。来なさい!来なさい!聖なるカトリック教会の信仰を学ぶという、あなた方の約束をたずさえて、馬屋に来なさい!私の神なる純白(My Divine Innocence)の、このメッセージの理由は、あなた方、一人ひとりが、「白い衣を着て」、この世を去り、煉獄を完全に回避するためです。あなた方は、自分の聖化のために、100パーセント協力してはくれませんか。勝利はすでに、得られています。あなた方は、自由に(ただ自由意志で)、御父の救いの御意志と一つになって、それを自分のものとすれば良いのです。あなた方の償いに、感謝します。信仰を学びなさい!+。(パトリシャ:主イエス様は、祝福を与えてくださいました)。