ペスト襲来2-仏王フィリップペストに死す
2018.11.08 01:33
フランスでは1348年、まずスペイン国境近くの港町ナルボンヌが犠牲になった。フランスは前年の飢饉以来イタリアから穀物を輸入していたのである。この町で3万人もの人が亡くなり、以後この町が以前の活気に戻ることはなかった。そして4月にトゥールーズ、5月にパリに達した。
当時パリには18万人もの人口があった。飢饉と百年戦争で貧民がパリに逃げ込んでいたのである。パリでは5万人が犠牲となった。欧州1の大都市の教会の祈りも、医者の治療も役に立たなかった。それでも修道女達は死を恐れず、患者の看護にあたったということである。一方貴族や高位聖職者といえばさっさとパリ脱出。さすがに王はパリを離れるわけにいかなかったが、王妃ジャンヌは亡くなった、百年戦争の王不在のときにも指揮をとった気丈な妻だったとのことだ。
パリを襲ったペストは、北上してノルマンディーに向かい、もう一方はブルターニュ地方に向かった。フランスの味方もイングランドの味方も関係なく、戦争で傷んだ町や村を犯していった。聖王ルイのつくったフランスは崩れ、あぶれた傭兵達は、無事な村を略奪してまわり、さらにフランスは荒廃をしていった。
仏王フィリップ6世は、それでも南仏のモンペリエを金銭で譲り受け、ナバラ王家の姫ブランカと再婚したが、その年1350年大修道院の中で崩御した。ヴァロア朝の初代王として「幸運王」の称号が贈られているが、実際に幸運と思っていたのかどうかはわからない。
下はアヴェイサンタンドレの壁に描かれたペストの死の天使