事実は小説よりも。 【高校生編①】
私は、不器用な高校生だった。
学業も、友人関係も、将来の設計も、すべてにおいて自分が上手くやれると思えたことがなかった。この連載を書きながら、理想と現実の狭間でもがいていたあの頃の自分を思い出している。けれど、それらはもはや、苦い思い出ではない。今ならば必死だった過去の自分に「よく頑張っていたね。」と伝えてやれると感じる。きっと私は、あの頃の辛かったり苦しかった記憶を、良いそれへと引き上げて来られたのだ。
だからなのだろうか。近頃は、かつての同級生と会う機会が増えた。過去に思いを馳せ、現在を分かち合いながら未来を語ることもできる「古いけれども新しい友人」を特別に大切だと感じるようになった。荒削りだったけれど純粋でありたいと心から願ったあの頃の自分は、幸いだったのだと今は信じている。
話を続けよう。
高校生になってしばらくは、目の前のことに夢中だった。環境も周りの人達も全てが新しい中で、自分という存在を確立することに必死だったのだ。その人を忘れたわけではないけれど、ゆっくりと思い出す余裕がなかった。元よりバス通学の自分と電車通学のその人は、駅で偶然に会うこともない。そして私が友人作りに必死になったり、クラスメイトに片想いをしたり、たくさんの課題やテストに翻弄されたり、初めて入った生徒会の活動に無我夢中で取り組んだりしている内に、1年半以上が過ぎていた。
高校2年生の冬になる頃、何がきっかけだったのかは覚えていないけれど(多分アルバムを見ていたとかそんな理由)、その人のことを思い出した。卒業時の言葉などすっかり忘れて、ただ、小学校時代のその人との楽しかった思い出だけがよみがえった。懐かしくてどうしているのか知りたくなった。だから、手紙を出すことにした。
『お久しぶりです。元気にしてますか?』から書き出した手紙に、私はまず自分の近況を記した。得意だったはずの教科(英語)が高校に入ってから難しくなったこと、高校で尊敬する先生に出会えたこと、生徒会に入っており、多忙だけど楽しい、ということなど。最後、ついでに付け加えた。『実は卒業式で第二ボタンをほしかったんだよ。先に帰ってたから、もらえなくて残念だった。』と。へぇそうだったのか、と知ってほしかっただけだ。他意はない。
驚いたことに、一週間と空けずに返事が届いた。『お久しぶりです。僕は元気にしています。手紙ありがとう。』と紳士的な文章で始められていたその人の手紙は、相変わらず筆圧はあまり強くないけれど、終始丁寧な文字と言葉に満ちていた。一緒に教室のキーボードをでたらめに弾きながら歌をふざけて歌っていた小学校の頃などを思い出していた私は、あれ、なんか大人になってない?、などと思った。
手紙には近況が記されていた。中学と同じ運動部に所属していること。1年生の頃は他の部員や先輩があまりにも上手いので、自分が取り残されている気がしたこと。諦めず努力してきたこと。最近は試合に出ていること。『そういえば少し前、K高校(私の学校)と練習試合をしました。』とも書かれていた。
そしてこれは手紙を開封したときに気づいたのだけれど、コロリと私の手のひらに落ちてきた、丸いものがあった。私はそれを、ちょっと驚いた思いで見つめた。手紙の最後は、こう締めくくられていた。『ボタンのこと、気づかなくてごめん。今更だけど、送ります。』同封されていたのは、第二ボタンだったのだ。
こんなことをきっかけに、その人と私の手紙による古風な交流が始まったのだった。 月に1度か2度、思い出したように手紙が届く。書いたのは、書かれていたのは、学校のこと、部活のこと、友人のこと、将来の夢、進路や希望する大学・・・大体はそんなところ。
穏やかな往復書簡は、高校を卒業するまで続くことになった。
(つづく)