沿線冬景色(全線乗車 会津若松⇒小出) 2024年 冬
今年、暖冬の影響で降雪量が少ないと言われているJR只見線沿線。沿線の積雪の様子を見てみたいと、会津若松~小出間の全線を乗車した。
例年ならば12月ごろから冬型の気圧配置が続き、会津地方を中心に雪を降らせていたが、今年はその冬型が長続きせずに暖気が流れ込んでいるという。昨年末地元紙では、雪不足に悲鳴を上げるスキー場や雪下キャベツの生産農家の様子を伝えていた。*下掲記事:福島民報 2023年12月30日付け社会面より
暖冬は年が明けても続き、大雪が降ってもその後に続く高温で融けてしまい、私が暮らす中通りの市街地では、根雪が見当たらないほどだった。
会津地方を走る只見線は、大雪の影響で会津川口~大白川間を中心に何度か運休や遅れが発生したが、それが続いたのが1月24日~26日間だけで地元紙の紙面を連日騒がすものではなかった。*下掲記事:すべて福島民報 2023年1月24日付け、2024年1月24日付け、同26日付け、同27日付けの各紙面より
今回は、国内有数の豪雪地域である福島県と新潟県の県境である「六十里越」の様子を見るために只見線に全線乗車し、降雪期に除雪をしないために通行止めとなる国道252号線の一部を歩き、並行する只見線の列車の姿を撮影することにした。
*参考:
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 *2008年放送
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の冬-
只見線の下り始発列車に乗るために、会津若松市内に前泊。今朝は、未明の会津若松駅に向かった。
駅舎に入り正面を見ると、居るはずの“袴赤牛”が居なかった。
あれっ、と思い振り向くと、“袴赤牛”の「ぽぽべぇ」は居た。
ここ数年の受験シーズンにお見えしている“ぽぽべぇ神社”が入口脇に移遷し、合格祈願の他、様々な願い事が記された絵馬の形をした紙が台紙に貼られていた。中には『薙刀で先輩よりも強くなれますように』という会津若松らしい“絵馬”があった。
切符を購入し、改札を通り只見線のホームに向かった。跨線橋から4-5番線ホームを見ると、誰も並んではいなかった。
ホームに下りて待っていると、いつもより早い時刻にキハ110の単行(1両編成)が入線してきた。
私は後部扉から乗り込んだが、いつもまにか、後ろには4人の客が並んでいた。前の扉からは6人が乗り込み、入線から10分ほどで客は20名を超えた。今日と明日開催される「第51回 只見ふるさとの雪まつり」に行く方が多いのだろう、と思った。
6:08、小出行きの始発列車が乗客約30人を乗せて、会津若松を出発。今日は土曜日ということで、切符は只見駅までフリーエリアとなる「小さな旅ホリデー・パス」と、只見~小出間を別に購入した。
列車が走り出す頃には東の空が明るくなりはじめ、七日町、西若松を経て大川(阿賀川)を渡ると、上流に「大戸岳」(1,415.9m、会津百名山36座)山塊が、夜明けの曙色の層にくっきりと稜線を見せていた。
車窓から景色が見え出すと、外を眺める客が多くなった。
会津本郷出発直後に会津美里町に入るが、両側の刈田には、ほとんど雪が残っていなかった。刈田越しに「明神ヶ岳」(1,074m、同61座)、その左(南)に「博士山」(1,481.9m、同33座)が見えたが、双峰とも冠雪量は少ないようだった。
会津高田を出て、列車は“高田 大カーブ”で進路を西から北に変えた。そして、濃霧に覆われた刈田の間を進み、根岸、新鶴、会津坂下町に入って若宮で停発車を繰り返した。
6:42、上り1番列車(会津川口発)が、交換で待つ会津坂下に停車。
会津坂下を出ると七折峠に入り、登坂途中、塔寺手前の木々の間からは、雲の層から抜け出した朝陽が見えた。また、左(北)には、「磐梯山」(1,816.2m、同18座)が山容をオレンジ色に染めていた。
七折越えを終えると、会津坂本に停車。「キハちゃん」が満面の笑みで迎え、そして見送ってくれた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html
柳津町に入り、会津柳津、郷戸、滝谷を経て、三島町の会津桧原を出ると「第一只見川橋梁」を渡った。外の明るさは増していたが、上流側の駒啼瀬の渓谷は逆光で、車窓の曇りも重なり景色ははっきりとは見えなかった。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖
*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋検索」
渡河後、名入トンネルを抜けると会津西方手前で、雪に埋もれた刈田が見えた。
7:29、「第二只見川橋梁」を渡った列車は、減速しながら「大谷川橋梁」を進み会津宮下に停車。上り2番列車との交換をするために9分停車した。
会津若松行きのキハE120形が駅に近づくと、ホームに降りた方が、入線風景を眺めたり写真撮影したりしていた。
会津宮下を出発後は、東北電力㈱宮下発電所の背後と宮下ダムの脇を通り抜け、「第三只見川橋梁」を渡った。両岸斜面は積雪が少なくまだらな状態で、今年の暖冬少雪を象徴する風景だった。*只見川は宮下ダム湖
滝原トンネルと早戸トンネルを続けて潜り抜け、早戸を出発すると金山町に入り細越拱橋を渡った。
会津水沼を出てまもなく、「第四只見川橋梁」を渡った。*只見川は宮下ダム湖
8:05、会津中川を経て、小出発・会津若松行きの1番列車が交換のため待つ会津川口に停車。ホームに雪は無く、乾ききっていた。
停車時間が10分あるため、数名の客が降り、ホームでは雪が残る山の斜面にカメラを向けた方の姿が見られた。
私は駅舎に向かい、売店で「赤べこ堂」(柳津町)の「杵つき玄米団子」を買おうとしたが、昨年の11月に発売を開始した「あわ大福」が並んでいたので、迷わずこちらを購入した。
食べたのは昼食後になったが、驚くほど柔らかで、あわ(粟)のプチプチという食感もある外皮だった。あんは小豆の風味が感じられるほど良い甘さで、感動的な旨さだった。「赤べこ堂」が作る菓子のレベルの高さを感じ、近いうちに訪れたいと思った。
今回も只見線の全線乗車ということで、“会越の酒”の吞み比べをした。今日はこの先自転車には乗らないため、会津の酒から吞む事に。選んだのは榮川酒造(磐梯町)の 純米吟醸生原酒「立春朝搾り」。
「立春朝搾り」は日本名門酒会が1998年の立春(2月4日)に始めた“イベント酒”で、27年目を迎えた今年は35都道府県45蔵が参加し、榮川酒造は福島県で唯一製造している。*参考:日本名門酒会「立春朝搾り」
赤べこが描かれた、会津塗の五匁桝に注ぐと、まず芳醇で爽やかな香りが立ち上がった。口をつけると、まろやかで濃厚ながら、のど越しはスッキリとした。純米吟醸酒ならでは味わいだったが、香りが印象的な酒で、旨かった。
会津川口を出発した列車は、只見川の右岸の縁を駆けた後「第五只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖
本名を出ると、東北電力㈱本名発電所・ダムの直下に架かる「第六只見川橋梁」を渡った。ダムのゲートは閉じられ、落水は全て発電所側でタービンを回しているようだった。
本名トンネルと抜けると、民宿「橋立」駐車場の端に立つ只見線(135.2km)中間点を示す看板(ここが、只見線の真ん中だ!)の前を通過した。
会津越川、会津横田を経て「第七只見川橋梁」を渡ると、雪原が広がっていた。
会津大塩に停車。綿帽子とともに冬景色に欠かせない、樹氷が見られた。
そして、列車が発車し山々の上方を見ると、樹氷に覆われていた。綿帽子とは違った、繊細な光景だった。
列車は、滝トンネルを抜けて只見町に入った。上空は鼠色が覆い、青空は見えなくなっていた。*只見川は、電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖
会津塩沢を出ると、「第八只見川橋梁」を渡った。*只見川は、滝ダム湖
会津蒲生手前の右カーブを曲がり蒲生原を見下ろすと、無垢の雪原が広がっていた。
会津蒲生を出て八木沢集落の背後を駆けた列車は、只見線最長の「叶津川橋梁」(372m)を渡った。
渡河中、反対側の車窓に行き上流側を見ると青空が広がっていて、山頂を小さな雲で隠した「浅草岳」(1,585.4m、同29座、只見四名山)が見えた。
只見町の市街地が近付くと、県立只見高校の脇を通り過ぎ、グラウンドが雪に覆われているのが見えた。2年前に第94回センバツ高校野球に出場した野球部は、体育館や駐輪場で練習を練習をするのだろうと思った。
前方奥の山塊に目を向けると、「会津朝日岳」(1,624.3m、同27座、只見四名山)は雲に隠れて見えなかった。
9:07、只見に停車。陽光が駅周辺の雪原に降り注ぎ、眩しいほどの明るさだった。
今日は「第51回只見ふるさとの雪まつり」(本祭1日目)ということもあり、乗客の多くが荷物を抱え降りて行った。
停車時間が23分あるため、私も途中下車し、駅舎に向かう長い連絡道を歩いた。除雪面を見ると、積雪は1mにも達していないようで、今年の雪の少なさを実感し、前方に見える除雪車が『どれほど出番があったのだろう』と思った。
駅舎を抜け駅頭に出ると、全線運転再開からのカウント“アップ”ボードは497(日)を表示していた。
駅前の駐車場は乾いていて、雪囲いされた駅舎が浮いてしまうほど、この時期としては違和感のある光景だった。
駅頭で南西を眺めた。雪まつり会場の大雪像越しに、「猿倉山」(1,455m)から「横山」(1,416.7m)の稜線に現れた“寝観音”様が見えた。
駅の南西側の広場の、雪まつり会場に向かった。駅前通りには、国道側に向かって横断幕が張られていた。
「第51回 只見ふるさとの雪まつり」のポスターには、昨年の大雪像越しに花火が打ち上げられた写真が使われていた。大雪像は、“只見線全線運転再開記念”ということで、叶津川橋梁を渡る列車のイメージしたもので、プロジェクションマッピングによって様々な画が投影された。
雪まつり会場の入口に向かうと、バルーンゲートの先にブースが立ち並んでいた。今年の雪まつりのテーマがパリ五輪ということで、計画ではここに凱旋門の雪像が作られるはずだったが、雪少の影響で制作設置を断念したという。
重厚な雪像ゲートを潜り会場に出入りする楽しみが無くなり、温暖化の影響が雪国に及ぼす影響を考えざるを得なかった。
会場に入ると、地面は一面圧雪で覆われ、雪像が点在していた。パリのオペラ座(ガルニエ宮)を模した大雪像は、大きさを半分程度にしたということで小さかった。
「只見ふるさとの雪まつり」会場を後にして、駅に戻った。
車内は、新たに乗り込んだ方も居て、まずまずの乗車率だった。
9:30、列車が走り出してまもなく、宮道踏切を通過すると「駅前旅館 只見荘」の女将が小旗を振り見送ってくれた。いつもいつもありがとうございます、とつぶやきながら手を振り返した。
「上町トンネル」とスノーシェッドを抜け短い明り区間を通ると、前方に電源開発㈱只見ダム(発電所)の洪水吐と、その奥に電源開発㈱田子倉ダム(発電所)の堤が見えた。また、法面の下、田子倉ダムの方に延びる電源開発田子倉発電所専用鉄道跡の上に三脚を置いた“撮る人”の姿があった。
列車はディーゼルエンジンの出力を上げて登坂し、「田子倉トンネル」(3,712.4m)を抜けた。「余韻沢橋梁」を渡ると、田子倉ダム湖の“只見沢入江”は、積雪した湖床を見せていた。
田子倉駅跡が残ったままのスノーシェッドを潜り抜けると、雪面に只見沢が細々と流れ、その先には積雪期通行止めとなり欄干を越える雪を載せた国道252号線の只見沢橋が見えた。
国道252号線と交差し、北に目を向けると真っ白な「浅草岳」の山頂が、濃い青の空に浮びあがっていた。
この直後、只見沢橋梁を渡った列車は、“会越国界”を貫く「六十里越トンネル」(6,359m)に突入した。
7分ほどで「六十里越トンネル」を抜けた列車は、青空が広がる新潟県魚沼市に入った。
毛猛平踏切そばにある小屋の屋根の積雪は1mあるかないかで、新潟県側も雪が少ないのだろうと思った。
只見線が16回交差する末沢川を取り囲む山肌や、そこに立つ木々の様子は福島県側と同じようで雪の少なさと気温の高さが伺い知れた。
列車は「第六末沢川橋梁」を渡り、真っ赤な下部鋼材が際立つ国道252号線の茂尻橋と並行した。ここでも、橋上の積雪は欄干ほどだった。
レール脇の雪量も、圧を感じるほどのものでなく、今年は“落雪の可能性に伴う運休”は無いのでは、と思った。*参考:拙著「気温上昇→落雪恐れ→当面運休(只見~大白川) 2023年 冬」(2023年3月3日)
列車は減速しながら、末沢川が注ぎ込む破間川に架かる「第五平石川橋梁」を渡り、大白川に停車した。破間川は、源流から旧大栃山村と旧穴沢村の境界(黒又川合流点付近)までを平石川と呼んでいたため、橋梁名にその名残がある。
大白川を出発し、柿ノ木駅跡を通過する際、最後部に移動しレールの両脇に延びる除雪面を眺めた。
今までならば、周囲の景色が見られないほどの“壁”になっていたレール脇の除雪面は低く、車窓の眺めを遮るものではなかった。
入広瀬が近付くと国道252号線の新入広瀬橋越しに、「守門岳」(1,537.3m、新潟百名山44座)山塊を構成する「大岳」(1,432.4m)が見えた。
入広瀬を出発すると「鷹待山」(339m)を左に見ながら大きく曲がり、進路が北から南に変わった。
上条を出てししばらくすると「第二破間川橋梁」を渡り、右前方に、昨年12月に登った「鳥屋ガ峰」が見えた。*参考:拙著「魚沼市「鳥屋ガ峰」ー 三角点「西村山」トレッキング 2023年 初冬」(2023年12月9日)
座席に戻り、左側の車窓からは“権現堂山”(「下権現堂山」(896.7m)、「上権現堂山」(997.7m))の山塊に続く「唐松山」(1,079.4m )がよく見えた。
列車が越後須原に停車すると、正面に須原スキー場を斜面に持つ四等三角点「西村山」の山が見えた。
カメラをズームにしてゲレンデを見るとスノーボーダーが、軽やかに滑走していた。
魚沼田中手前では、「大倉沢橋梁」を渡り、新潟県側唯一の破間川のダム湖を眺めた。*ダム湖は、東北電力㈱薮神発電所・薮神第二発電所のダムによるもの
越後入広瀬を出てまもなく、左前方に「越後三山」の「八海山」(1,778m、新潟百名山54座)が見え始めた。
そして、「第一破間川橋梁」を渡り藪神を出ると、「中ノ岳」(2,085.1m、同53座)を中央に、「越後駒ヶ岳」(2,002.7m、同52座)、「八海山」の「越後三山」が見えた。
列車は、減速しながら破間川が注ぎ込む魚野川に架かる「魚野川橋梁」を渡った。上流側には「魚沼アルプス」と「越後三山」が見えた。
10:41、終点の小出に到着。向かい側の4番線には会津若松行きの2番列車(13時12分発)が停車していた。これから大白川駅の先、未除雪の国道252号線から撮影する列車だが、このキハE120形+キハ110タラコカラーの2両編成だった。
降車客の後に続いて跨線橋を渡り改札口にがある1番線ホームに行くと、その2番列車越しに双子山である“権現堂山”の山容が見えた。
改札を抜け、構内の掲示物を見て驚いた。今月いっぱいで小出駅では、みどりの窓口業務を終了し、7時50分から15時までの間で係員による案内のみの対応になるという。
福島県側でも、会津宮下・会津川口・只見の各駅で窓口業務を廃止、もしくは縮小することになり、只見線は駅係員常駐し窓口業務がなされるのは会津若松駅だけになってしまう。只見線の利活用を考えた場合、観光客を誘いながら135㎞の間に係員が常駐している駅が一つも無いというのは考えものだ。
現在、会津川口駅構内には金山町観光協会が運営する売店があり、スタッフが問い合わせに対する観光案内やレンタルサイクルの貸出業務も行っている。例えば、国や県が関連人件費を補助する形で、観光協会に切符の発券や列車の運行情報の提供などの駅業務を委託するなどの対策を検討する必要があると思う。“観光鉄道「山の只見線」”の定着と振興のため、観光客の起点として、安心や利便性、快適性を提供できる駅を目指して欲しいと思った。
駅前の「緑川」の特約店「冨士屋」で新潟県の地酒を購入し、駅頭のベンチに座って待っていると、穴沢行きの路線バスがやってきた。4人の客に続いて、私も乗り込んだ。
11:30、私を含め6人の客を乗せた路線バスが、小出駅前を出発。小出地区の市街地を抜け、国道252号線をほぼ只見線に沿って北東に向かった。
12:12、途中で客をすべて降ろし、路線バスは穴沢寺前に停車。私はここで降り、バスを見送った。
停留所は住宅地の中で、国道252号線から300mほど離れた県道407号(貫木穴沢)線にある。只見線の入広瀬駅からは、南東へ900m離れている。
さっそく、穴沢寺前バス停から国道252号線に出て、6km離れた大白川駅に向かった。
先ほど降りた路線バスは、以前は“小出駅~大白川線”だったが、2018年9月に穴沢~大白川間が廃止されてしまった。そのため、只見線の列車が運行されない時間帯に大白川に行くには、穴沢から歩くしかない。
雪の無い乾いた路面の国道を1kmほど進むと、破間川が黒又川と合流する点(かつては、平石川が破間川と名を変える地点)から国道は只見線と並行するようになり、更に少し歩くとレールが見えてきた。
12:40、かつて只見線の駅があった柿ノ木地区に入った。
集落を通り抜け、緩やかな坂を上ると、右下に破間川に築かれた取水堰が見えた。
破間川の水を支流の黒又川に送り、黒又ダムを経て直線距離で4km離れた東北電力㈱上条発電所に送られ、発電用タービンを回す役割を担っている。この取水堰は只見線の「第一平石川橋梁」上から見られ、増水期は堰から豪快に越水している。
12:57、国道の柿ノ木スノーシェッドを半分を進んだあたりで、真っ赤な鋼材の間から外を覗くと、「第四平石川橋梁」が見えた。
「第四平石川橋梁」(1937(昭和12)年)は鉄筋コンクリート製で、充腹式アーチ橋として日本最大の最大径間(40.0m)と言われている。ちなみに、会津宮下~会津西方間に架かる“アーチ3橋(兄)弟”の長男である大谷川橋梁(1939(昭和14)年)は開腹式アーチ橋で、最大径間は45.0mとなっている。
13:09、国道の七曲スノーシェッドを通り抜け、一ツ橋跨線橋を渡ると開けた空間になった。
只見線のレールが緩やかにカーブし、狭隘部を流れる破間川と、その先の二等三角点「大白川」が設置された797mの山が収まる構図で、只見線の撮影ポイントになっている。
一ツ橋跨線橋を過ぎ、国道の直線区間を歩いていると、前方に“会津若松”が記された案内標識が見えた。
そして、カーブを曲がると、前方に大白川駅とホームが見えた。
13:19、大白川駅に到着。穴沢寺前バス停から1時間ほど掛かった。
駅の外に余計な荷物を置いて、すぐに移動を再開した。列車を撮ろうと考えている場所まで1.6kmで、列車の通過予定時刻は14時。雪上も歩くので、あまり余裕は無かった。
国道252号線を進むと、まもなく県道385号(浅草山大白川停車場線)への分岐を通過した。
破間川に架かる末沢橋を渡ると、“国道252号線 福島方面 冬季間通行止”と記された案内標識が立っていた。
緩やかな坂を上り、カーブを曲がった先に、行き止まり地点があった。国道の除雪面を見ると1mを優に超えていた。
国道252号線はここから、福島県只見町の只見線・田子倉駅跡近くの田子倉無料休憩所まで“六十里越”が冬期通行止めになり、除雪はされない。国内有数の豪雪地帯である“六十里越”を「六十里越トンネル」(6,359m)で抜ける只見線は、この為に廃止対象路線から外されてきた歴史がある。
さっそく、除雪面を上り、持参じたスノーシューを履いて雪上に乗って、歩き進んだ。
未踏の雪上を進むのは気持ち良い、と改めて思った。
最近の気温が高かったせいで、踏みだすスノーシューは15㎝ほど埋もれたが、足が取られるほどのものではなかった。
13:55、撮影点と決めていた、「第一末沢川橋梁」手前に着いた。足場を固めて撮影のアングルなどを決めて、列車の通過を待った。
到着から、5分ほどで前方からディーゼルエンジンの音が聞こえ、まもなくヘッドライトを点けたキハE120形が顔を出した。
そして、比較的ゆっくりとした速度で近づき、通り過ぎて行った。
シャッターを切り、振り向いて、六十里越に向かう列車を見送った。
撮影後、私が乗る列車(大白川発17時1分)まで時間があるので、列車内からこの撮影点が分かるように小さな雪だるまを作ってみた。山の斜面の方に落ちていたスギの葉などを使い、なんとかそれらしいものができた。
雪だるま作りの後は、少し先にある屋敷尻スノーシェッドに行くことにした。途中「第一末沢川橋梁」を見下ろした。
カーブを曲がると、前方に屋敷尻スノーシェッドが見えた。
屋敷尻スノーシェッドのの中に入ると、国道脇からはずされてきた標識が寝かされていた。今回の撮影では、国道252号線と記された標識を構図に入れようとしたが、その場に無かったため不思議に思ったいた。この光景を見て、『雪重で曲がったりするので外したのだろう』と合点がいった。
スノーシェッド内から、野外の様子を見てみた。このあたりも積雪は1mを少し超えるぐらいだと分かった。
14:23、屋敷尻スノーシェッドを後にして、大白川駅に戻った。
途中、自作した雪だるまを見た。今年は気温も高いということで、早々に融けてしまうだろうと思った。
踏み出した足が深く沈まぬよう、自分の足跡をたどりながら黙々と進んだ。
14:48、国道252号線のアスファルト面が見え、雪上から下りた。
国道を進み、途中、末沢橋から「第五平石川橋梁」を眺めた。
14:58、大白川駅に到着。
駅舎に入った、2階には「そば処 平石亭」があり、営業期間中は1階スペースが待合室として使えるが、冬期は休業している。このため、この時期、駅構内は細い廊下のような場所だけで、椅子はホームに面した外にしかない。*参考:拙著「魚沼市「そば処 平石亭」 2020年 紅葉」(2020年11月14日)
会津若松行きの発車時刻は17時1分。駅舎には自動販売機もあるが、周辺を含め売店や暖を取れる場所もないため、約2時間立って待つことにした。事前に分かっていた事だったが、雪上歩行で靴が濡れていたこともあり『こりゃ、しんどいなぁ』と思った。
駅員常駐の名残りである窓口の幅の狭いカウンターを使い昼食を摂り、時折足踏みをしながらしばらく“廊下”で過ごした。
...夕方に近づくにつれて気温が下がり、足踏みを止め“廊下”を行き来して体を温めていると、駅事務所だった場所の引き戸が開けられ、男性が顔を出して『居たんだ!?』と声を掛け、『寒いから中に、どうぞ』と招き入れてくれた。ストーブが焚かれた旧駅事務所は暖かく、人心地ついた。
男性はお茶まで用意してくださり、色々と話を聞くことができた。曰く、除雪当番で私は遅番、除雪は越後湯沢駅にある事務所から指示がある、冬の除雪費が高くつき只見線は客を大きく増やさないと赤字のままでないか、など。
そして、偶然に驚いたのが、この男性が私が以前勤めていた会社が合宿の定宿にしていた民宿の主人だった事。当時の御主人の顔を覚えていたために『あれっ』と思い訪ねると、その御主人からその民宿を譲り受けたという。御主人には子供が居たが民宿を継がず、どうしようかとしていてところ穴沢地区出身のこの男性が縁あって経営を引き継ぐことになったという。
この民宿は、春は山菜、冬はキノコの料理が抜群に旨く、また手打ちそばも絶品だった。今回のお礼も兼ねて、近いうちに訪れる事を約束し、旧駅事務所を辞し列車の入線時刻が迫ったホームに向かった。
ホームで少し待っていると、ヘッドライトを点けた上り列車が、キハ110の単行でやってきた。私が今朝会津若松から乗った車両だった。
上り列車が停車してまもなく、小出行きの下り列車が入線してきた。キハE120形+キハ110東北支社色の2両編成だった。
17:01、会津若松行きが、大白川を出発。客の乗降は私1人だった。
大白川~只見間の切符は車内で購入。ひと駅だが、駅間が20.8㎞もあるので、運賃は420円となっている。
列車はまもなく、雪だるまが立つ、先ほど列車を撮影したポイントを通過。
車内では“会越の酒吞み比べ”の、越後の酒となる「緑川 ゆららか」を呑んだ。純米にごりの原酒だ。
裏ラベルに記されている通り“ゆっくりと数回揺らして、澱を全体に混ぜ白くなった状態”にしてから呑んだ。
スッキリさっぱりという純米酒に期待する味が、雑味無く新鮮に感じられ、澱がもたらす風味が絶妙だった。「緑川」にはずれ無し、と改めて思った。
17:30、“六十里越”を難なく越えた列車は、只見に停車。車掌の下車→ワンマン運転への切り替えなどで30分停車するため、途中下車し、「ふるさとの雪まつり」会場に向かった。
気温が高く、みぞれに近い雪が降ったようで、会場入り口の路面は濡れていた。
中に入って行くと、会場を囲む飲食店のブースと、大雪像の前に設けられたステージの周りに多くの客が居て賑わっていた。
LED電飾の縁取られ、ライトアップされた大雪像(オペラ座)を背景に、ステージでは厄払いの儀式が行われていた。
「只見ふるさとの雪まつり」はこの後、19時から祭りのメインイベントでもある花火の打ち上げがあるが、列車の発車時刻が迫ってきたため、屋台で夕食を調達し、会場を後にした。
駅舎を通り抜け長い連絡道を歩くと、前方のホームと停車中の列車は、煌々と照らされていた。
車内に入ると、この列車が会津若松行きの最終列車ということもあり、少しは混んでいるかと思ったが、新たに乗り込んだ客は1人のようで、全体で10人に満たなかった。
「只見ふるさとの雪まつり」は花火とセットで、と考える観光客が多いためだろうと思ったが、一定の集客を見込めるイベントの最終列車の乗客増加策は考えなえればならないと思った。
席に座ってから、車両後部の窓の前に移動し雪まつり会場を眺めた。一昨年、この最終列車の出発前に花火が打ち上げられたが、今回は無かった。残念。
席に戻り、夕食を摂った。メインは、祭り会場の町婦人会の屋台で買った「トマ豚鍋」。隣接する南会津町の名物「南郷トマト」を使ったものだと勝手に思ったが、トマトの香りと酸味が濃厚なスープのアクセントになり、とても旨かった。
18:00、会津若松行きの最終列車が、只見を出発。
車内では、往路で残っていた「榮川 立春初しぼり」を呑みながら、車窓から漆黒の闇にポツポツと見える街灯や家々から漏れる灯りを時折眺め、読書をして過ごした。
20:32、列車が、終点の会津若松に到着。沿線の冬景色を見る只見線の旅が無事に終わった。
この後、会津若松から磐越西線の列車に乗り換え、自宅のある郡山に到着。駅西口広場のイルミネーションが濡れた地面からの反射も手伝い、とても綺麗だった。
只見線にとって、雪は大きな観光資源だ。
福島県に生まれ育った私でも、只見線沿線の雪景色には見入ってしまう魅力がある。大きな赤や青のトタン屋根を持った家々が集まる集落や野趣味ある雪食地形の山肌を覆う雪や、澄んだ空気でより冴えわたる只見川(ダム湖)の水鏡など、沿線独特の風景がそうさせている、と今回も感じた。
温暖化の影響で、冬季の雪は全般的に少なくなると思われるが、降らなくなることはないだろうと個人的には思っている。そんな雪の少ない中でも、只見線の魅力は失われることは無く、毎冬に列車に乗った観光客を車窓に向けさせ、『あぁ、いいなぁ~』と思わせるだろう、と今年の沿線の冬景色を見て思った。
(了)
・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書(PDF)(令和2年3月) 「復興事業に係る事務の執行について」 p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、宜しくお願い申し上げます。