偉人『かがくいひろし』
乳児が声をあげて笑い夢中になる絵本として累計900万部以上も出版された『だるまさんシリーズ』を書いたのは、乳児絵本に劇的な新風を巻き起こした かがくいひろし氏(加岳井広)その人である。作家活動わずか4年で16冊の作品を書き上げ2009年にこの世をさった。彼の作品は今も増販に増販を重ね0歳から2歳ごろの子供に魔法をかけ続けているのである。残念ながら今回はご本人の写真を掲載することが難しいので、彼の代表作である『だるまさんが』の写真を取り上げた。
本題に入る前に今回取り上げたのは2024年2月4日絵本『ねぇ だっこして』、2月5日子育てサジェスチョン(提案)『赤ちゃん返りの対応』の記事が続き、乳児たちの心を掴んで離さない人物はどこかにいるだろうか???と時代をwarpしてみたのであるが偉人が脳裏に浮かばない。3週間も悩みに悩んでも出てこないのは初めての経験である。ふと書棚の前に立つと・・・『だるまさんが』が目に留まり「あっ!この人がいたじゃないか!!」となったというわけだ。
1955年東京都に生まれたかがくいひろし氏は、幼い頃からものづくりが好きな子供で将来は彫刻家になろうと東京芸大を受験するもその夢叶わず、東京学芸大学の教育学部美術学科を卒業し、在学中から特別支援学校の教諭となることを決めて28年もの間教え子たちと向き合った。
そして絵本作家として専念しようと特別支援学校の教諭から絵本作家として新たなスタートを切ったのが50歳である。残縁ながら絵本作家としての仕事はわずか4年で幕を閉じることにな李、痛みを堪えて初めて行った読み聞かせ会の日から二週間後の2009年9月28日54歳という若さでこの世を去った。彼の作品が特出しているのは、ストーリ性の無い乳幼児向けの作品にも子供の本能に直接働きかけるほんものがあり、言葉を学ぶ2歳までの子供達に言葉の土台となるリズムと音に興味を見出させ、その絵の動きに合わせ自然と体が動くことを体感させ、子供たちに絵本の世界に誘い、コミュニケーションをとる楽しさを親子で共感させ共鳴させるのである。これまでその幾つもの要素を兼ね備えて子供たちを夢中にさせた絵本があったであろうか。我が子の乳児期には手に取ることができなかったが、孫にはこのこの『だるまさんシリーズ』を必ず読んであげよう、熟読させようとと心に決めている。それほどすごい力を持った作品なのである。
ではなぜ彼の作品が子供の琴線に触れるのかを考えてみよう。
デビューしてから暫くは教諭と絵本作家の二足の草鞋を履き、自分自身の身の回りにあるものに焦点を当てて作品を生み出した。のちに彼はこのように語っている。「身の回りの些細なものに命が宿り、愛おしく思える。そんな絵本を面白おかしく作っていけたらと思います。」と。
その言葉の通り彼の作品には身近なものに命が宿り懸命に生きている様子が描かれている。上記のデビュー作『おもちのきもち』も3歳上の子供達が楽しめる作品だ。お正月に飾られる当たり前の鏡餅にも気持ちがあり、餅がぺたんペタンと付かれ伸され、千切られ食べらる散々な目に会う前に逃げ出したという物語である。読み聞かせをすると子供たちからは笑いが起こる。何気ないものに焦点をあて、そのものの動きが愛らしいそして面白さという彼の言葉通りの作品が世にいくつも送り出されているのである。養護教諭の生活の中で彼が向き合ってきたのは、自分自身な周りにいる子供達であり、されぞれに多くの個性があり障害や病気を持つ子供達であっても懸命に生き、接しているうちに愛おしく見える。そしてそんな彼らを喜ばせたいと信念に近い思いの中にいたからこそ、かがくいワールドが確立できたのである。明確にメッセージを送りたいという実体験から生まれた確信は、養護学校の子供たちと健常な子供たちに垣根はなく子供の真髄は同じだということに気づいていたのではないだろうか。
そして『もくもくやかん』はキッチンの端にいるやかんに焦点を当て懸命にお湯を沸かしている姿が愛おしくもあり面白くもある。この仕事をしているせいかこれらのやかんの姿が、顔を真っ赤にして泣いている赤ちゃんに見えてくるのだ。きっとかがくい氏も似たような視線で子供達を見つめ作品を描いていたのではないだろうか。
彼の生み出す作品に登場するものに特別支援学校で出会った子供たちの姿を重ね照らし合わせたり、小さな子供たちの表情ひとつひとつを想像しながら描いていたのだろうと感じる。その源はやはり教諭として向き合ってきた誰かの力を借りつつも逞しく生きているハンディを背負っている子供や小さな子供たちに向けての温かな思いを強く感じる。作品全てにかがくい氏の人柄が表れているのだ。
大人は日々の生活に追われすべきことが多く、小さな子供たちの世界は実に単純で毎日同じことの連続だと大人なは考えがちである。しかしその一日一日その瞬間瞬間が価値のないようなものに思えるのかもしれないが、幼き子供達にとってはどんなに小さなことでも同じようなことでも同じものではないのである。ただ泣いているようであってもそこには理由があり、駄々を捏ねていても聞いてほしいことがある。そして何度も同じ絵本を読みたがることもそこにはとても深い理由があるのだ。その理由があることをかがくい氏は子供たちから学び、実感して作品をこの世に送り出している。だからこそ子供達が声をあげて笑うのだ。だからこそ彼の作品はほんものなのだ。だからこそ子供に読んであげるべき作品なのだ。
彼は過去登場した偉人の中では最も新しい人で、旅立ってからわずか14年という短さのため彼を研究する専任者はおらず、彼の展覧会や彼の周りにいる人々のインタビューや記事から推察するしかないのだが、誰もが口を揃えて愛のある人、温かな人、座を明るくする冗談が好きな人、最後の最後まで気遣いのある人、何より子供たちを慈しんで尊敬していた人、そして作品に取り掛かる情熱というものが湧き出てくる人であったと語っている。以前見た映像で彼の親友が彼には障害を持っていた姉がいたと語る場面を見た記憶がある。彼が彫刻家を夢見た東京芸大の受験に数度失敗し、東京学芸大学教育学部に進学し既に養護教諭に道へ進むことは決めていたというのだから少なからず姉の存在をどこかで感じながら自身の歩むべき道を決断していたのではないだろうか。
そして教諭として働く上で子供達と接し、ストーリーを追うことができない子供達をどう導くべきかを考え、リズムと音と動きというもので導く方法を実体験から生み出していったのであろう。また弱いものに焦点を当てるためにどうすべきなのかと試行錯誤しているうちに、身の回りにある日の目を見ないものに焦点を当てることに着地したのではないだろうか。彼の生み出した作品全てがかがくい氏中心の表現したいものではなく、どうしたら子供たちを喜ばせることができるかその一点であり、読み手の子供達への想いで溢れているから子供達の琴線に触れる作品だったのである。人のために生きることがこんなにも力強いものであることに今更ながら気付かされた偉大なる作家である。偉人になれるかなれないかというのはやはり人のために生ききった人に与えられる最上級の称号なのだろう。
最後にかがくいひろし氏が学生時代にベッドの横に立て掛けていたドイツ・ビールフェルト・ベテル施設修道女の言葉をみなさんに届けておこう。
「効果があればやる、効果がなければやらないという考え方は合理主義と言えるでしょうが、これを人間の生き方に当てはめるのは間違いです。この子供達はここでの毎日毎日が人生なのです。その人生をこの子供達なりに喜びを持って充実して生きていくことが大切なのです。私たちの努力の目標もそこにあります。」
きっとかがくいひろしという人はこの言葉を心に刻んで養護学校の教諭を目指し、この言葉の通り生徒一人一人に向き合い実行し、絵本作家になってもそのスタンスのまま日本の子供達に喜びを与えたと強く思う。
今の社会の潮流は時代の流れの速さについて行くため、そして取り残されないようにするために全てのことを時間短縮でそして非合理なものを排除する傾向にありますが、実際子供達の発達や育ちの中で重要な根幹は何一つ変化してはいない普遍的なものが多い。だからこそ人格ベースを形成する時期には合理主義というものはある程度排除しなければならないと考える。
かがくしひろし氏は養護教諭としての立場から子供の本質を見抜いた絵本作家であり、今後伝説的な絵本作家として名を残すであろう。もし彼が今生きていたならばどのような作品を子供達に残すことができたであろうか。未来の大きな宝を失ってしまったようで本当に残念で仕方がない。未完作品が出版社には残されているという。そのラフ図でもいいから出版してほしいと心から願う。きっとかがくいワールドに触れてきた子供たちはラフ図からでも感受性を揺さぶられる喜びをキャッチできるはずである。なぜならかがくい氏の作品の根底には子供が喜ぶであろうという彼の意思が息づいているからである。
まだ彼の作品を手にしたことがない親御さんは彼の作品を子供と体現しながら読んでほしいものである。合理主義ではなく普遍的なものを大切にしてほしいものだ。