【水足邦雄(防衛医科大学校/医学博士)】子どもたちの耳を休ませること。
WHOが騒音に対しての提言を出しのが2018年。スマートフォンの世界的な広がりによって、難聴になる人が増大していくことを危惧してのことだった。長く音楽を楽しむために必要な「耳を休ませること」。
聞き手・文 = 菊地 崇(JMFA会長)
写真 = 須古 恵
––– 大きな音を聞くことに関して、日本では危機意識が高くないように感じています。
WHOが騒音に対するファクトシートを最初に出したのが2018年でした。日本や欧米諸国だけではなく、いわゆる発展途上国も含めて、スマートフォンの普及率が高くなり、イヤホンやヘッドフォンで音楽を聞き続ける人が多くなっています。スマホで音楽を聞くというレクリエーションによる音によって、世界で何十億もの人の耳が危険にさらされているというこのファクトシートを受けて、世界でいろんな動きが起きたんです。代表するひとつがiPhoneで、ヘルスケアの項目に「聴覚」が加わったのが2019年です。
––– iPhoneにそんな機能があることを知りませんでした。
意外と知られていないんですよね。そこには聴力を保護する方法も記載されています。簡単に言えば、「ちゃんと時間を守って使ってください」ということ。
––– 時間を守るということは聞く時間を減らすということですか。
例えば職域での騒音については、85デシベルの音がある状況だったら耳栓かイヤーマフをしなさいというガイドラインが厚労省から出されています。
––– iPhoneの「聴覚」を見ると、ロックコンサートは110デシベルもあると。
コンサートの場合は、いろんな楽器からいろんな音が出ているので、トータルのエネルギーとしてはかなり大きなものとなっています。コンサートに行って音楽を楽しむということは、そのエネルギーを耳が受けちゃうということです。エネルギーを受けることで、耳の外毛が壊れてしまう。そもそも耳は、繊細な音を聞き取れるように微細な構造をしているんです。強い刺激を受けて働きが悪くなっている状態が、耳のなかで「ピー」っとなっている状態。いわゆる耳鳴りです。
––– 音を浴びて耳が聞こえにくいっていう状態こそ、ライブの醍醐味だと思っていました。
勝手に耳のなかで音が作られちゃっているというのは、故障する一歩手前の状態なんです。子どもに対して気をつけなければならないのは、子どもは耳鳴りをあまり気にしないっていうか、耳鳴りがあったとしてもケロッとしている場合が多い。脳がすごく柔らかいので、その状態に適応しちゃう。大人と子どもに同じアンケート調査をしたら、圧倒的に耳鳴りに対しての子どもからの訴えが少ない。自分から言い出さないんですね。
––– 大人と子どもでは聞こえ方は違うのですか。
もちろん人によって違いはあるのですけど、子どものほうが小さな音まできれいに聞こえています。20代後半から加齢による難聴ははじまっています。ですから10代のときと40代や50代になったときでは、同じように聞こえているわけではないんです。耳のなかにあるカタツムリのような部分、蝸牛(かぎゅう)という部分なんですけど、生まれたときに完成していて、成長することはないんです。鼓膜の大きさも生まれたときに決まってしまう。音を感じる有毛細胞も再生はしない。生涯にわたる騒音の蓄積によって、聞こえは悪くなっていきます。だからこそ小さな頃から大きな音はできるだけ避けたほうがいいんです。
––– それでは耳がよくなっていくということはあり得ないと。
聞こえるための細胞を再生させるっていうことは、今の段階では技術的に不可能です。ですから、生涯にひとつしかないものを、大事に大事に使っていかなければならない。
––– 大きなエネルギーを持っている大きな音を、できるだけ聞かないほうがいいということですか。
実際に聞くことをゼロにはできませんよね。音は耳から入ってくる。自分の心臓や呼吸の音も聞こえてくるわけですから。ゼロにする必要はなくて最小限にすればいい。例えば平安時代と今の時代を比べたら、耳に入ってくる音の量は何千倍ほどの違いがあるはず。人間の耳は千年程度の短い間に、相応に耐えられるように進化しているとは思えないんですね。
––– 音楽を聞くことがより身近になっているからこそ、小さな頃から耳を大切にしていかなければならないということですね。
音楽のある暮らしっていうのは、すごく豊かな暮らしだと思います。だからこそ耳を消費するだけではなく、長く楽しめるようにすればどうすればいいのか。これからの時代、さらに音が溢れるかもしれない。未来がある子どもだからこそ、子ども時代から耳を休ませることが大切なんです。音を感じるための細胞に再生力がないのですから。
日本耳鼻咽喉科学会専門医。
1999年に横浜市立大学医学部を卒業。同年4月に慶應義塾大学医学部耳鼻咽喉科学教室に入局。2006年からは助教。現在は防衛医科大学校耳鼻咽喉科学講座講師。日本聴覚医学会では難聴対策委員や広報委員を務めている。