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黛まどかさん

2024.01.16 12:18

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2020年10月22日 ·

昨日10月21日、敬愛する父が永眠しました。

実は、7月に別々の病院に入院していてずっと会えていなかった父と母を、8月初旬に築地の聖路加国際病院に転院させました。聖路加はコロナ禍でも家族の面会を許してくれる数少ない病院です。

私は都内のホテルに連泊し、病院へ毎日通い、2つの病室を忙しく行ったり来たりしました。今思えば宝のような「時間」でした。

9月の終わりに父の確定診断が出て、余命が短いことを突然告げられました。両親には病名も病状も伏せました。3ヶ月も入院生活が続き、しきりに家に帰りたがっていた父を、10月1日に自宅に搬送し、在宅で看取ることにしました。母も二日後に退院し、自宅で以前のように家族で過ごしました。ベッドを置いたリビングで、父は少量でしたが秋の味覚を楽しみ、家族で団欒し、俳句を精力的に詠み、私たち家族を支えて下さるご近所、親戚、友人、訪問医療や看護の方々への感謝を日々折々に口にしながら、3週間穏やかに過ごしました。

亡くなる日の昼間、母が退院してから初めて作った茶碗蒸しを2口食べ、妹が作ったバナナジュースを2匙飲み、私の原稿が掲載された日経新聞朝刊を見てくれ、笑顔で家族の記念写真を撮った後で、意識が落ちました。父が母の手料理を食べたのは4ヶ月ぶりで、それが最後の食事になりました。

そして深夜に母と妹、私の3人の腕の中で息を引き取りました。

父は繊細で洞察力があったので、多分自分の深刻な病状など解っていたはずです。でも家族を気遣い、最後まで気がつかないふりをして、何もかも飲み込んで、すべてを自分の心の中に収めて、旅立ったと思います。

父として、俳人として、心から尊敬していました。世界一の父でした。パパ、至らない娘でごめんなさい…そして、ありがとう。パパの娘で幸せでした。


Facebook四国八十八箇所の絆 ·道明 道弘 さん投稿記事·

ビブリオエッセー 「自分との和解」へ到る道 「奇跡の四国遍路」黛まどか(中公新書ラクレ)

産経新聞

四国八十八カ所の霊場巡礼、1400キロを歩いた著者にまず敬意を表したい。この新書は「歩き遍路」の道中記だ。途切れずにすべてを巡る「通し打ち」にこだわったという。

最初に「旅の理由」が記されていた。かつてスペインのサンティアゴ巡礼も経験した著者だが、今回は「両親や自分の病、仕事など様々なものを抱えたまま」歩くことになった。

持ち歩く金剛杖は弘法大師空海の化身とされる。だから「同行二人」。お大師様とともに。お遍路さんは橋の上では杖は突かないそうだ。修行中の空海が橋の下で野宿したという伝説に因む慣習らしい。初めて知った。

著者は疲れた足取りで宿に着くとその日の出会いや言葉、風景などをノートに記した。俳人である著者ならではの一句が添えられ、そこに思いが込められている。

<菜の花の風に遍路の歩のはづむ>

<一片の紙のごとくに遍路過ぐ>

人それぞれの遍路。著者は結願の八十八番大窪寺で再会した男性から「きっと良いことがありますよ。あなたにも……そして、私にも」と言われ、「遍路とは〝自分との和解〟である」と気づく。得られる幸福感は目的地ではなく道沿いの花の中にあるとも書いていた。

さて私は故郷の高松に戻り、長年の夢だった四国遍路の旅に出るつもりだったが妻が足を痛め、徒歩ではなくマイカーでの巡礼となった。といってもまだ2カ所、これからだ。道の駅で粘った末に安値で買った渋柿は干し柿へと手を加え、風通しのよい場所で揺れている。

手元には納経帳や納経軸、そして大切な金剛杖がある。風景を堪能しながら、いつの日か妻と満願成就を果たしたい。

高松市 竹内健一(77)


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「令和の熊野詣」

残る紅葉が美しい京都・城南宮で執り行われた熊野御幸の『出立式』。当時は数日間かけて精進潔斎をしたそうですが、今回はハイライトのみを再現。それでも白装束に身を包むと厳粛な気持ちになりました。

城南宮から熊野本宮までの紀伊路は片道約300㎞。都からほとんど出ることのなかった皇族や貴族にとっては大変な旅路であるのと同時に、熊野の雄大な自然は別世界のものだったでしょう。

世界に巡礼道は数あれど、歌会を奉納しながらの巡礼というのは稀有です。

王子王子で句会を開きながらいつか歩いてみたいと思うのでした。


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今年89歳になる母。癌の闘病中ではありますが、昨年は夢のこんぴら参り(785段)を歩いて果たしました。

次の夢は?と訊くと、羽黒山詣と言います。羽黒山は2446段(ナントこんぴらさんの3倍💧)。しかも400年前の古い石段なので登りにくく、途中に抜け道もありません💦

さすがにちょっと厳しいかも…と思っていましたが、6月初旬、母の夢をサポートしようと私の句友十数人と最上町の仲間が鶴岡に集ってくれました✨

みんなからプレゼントされた「One Team」のオリジナルTシャツを着て、いざ、出発です!


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2023年12月20日 14:18 ·

先週の16日(土)、滑川市俳句大会を開催しました!

一般の部160句、小中学生の部594句、計754句の応募がありました。たくさんの投句、ありがとうございました。

記念講演として、俳人の黛まどかさんに「ウクライナ、地下壕から届いた俳句」と題してお話しいただきました。

国際的な広がりを見せている俳句文化を紹介した上で、戦禍の中で俳句を詠み続けているウクライナ人女性の句集を監修したことに触れ、人々が苦境や苦しみにあるときこそ文化芸術活動が尊厳を持って生きる力になる、といったことを語られました。

その後、選者の先生による選評と表彰式が行われました。受賞者のみなさん、おめでとうございます!

黛さんの講演会や俳句大会については、ニュース等でも取り上げられましたので、こちらもご覧ください。

NHK

https://www3.nhk.or.jp/lnews/toyama/20231216/3060015173.html 【富山 NEWS WEB

ウクライナ女性の句集監修 黛まどかさんが講演 滑川市】より

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が続く中ウクライナの女性が詠んだ俳句集を発表した俳人の黛まどかさんが富山県滑川市で講演し、「戦禍でも文化芸術を通して人としての尊厳を保ち続けていると感じた」と、思いを語りました。

16日、富山県滑川市で俳人の黛まどかさんが「ウクライナ、地下壕から届いた俳句」というテーマで講演し、俳句の愛好家など約80人が参加しました。

黛さんは、ウクライナ東部ハルキウ出身で、故郷を追われて避難生活をするウラジスラバ・シモノバさんが読んだ俳句を翻訳、監修して、ことし8月に句集を発表しました。

黛さんはシモノバさんの句として、「引き裂かれし カーテン夏の 蝶よぎる」と、「いくたびも 腕なき袖に 触るる兵」という句などを紹介しました。

そのうえで「繊細な情景を切り取り、悲劇を悲劇で終わらせず、明るく美しいものに展開することで、より深い悲しみが伝わってくる」と話しました。

そして「戦禍で詠まれた俳句に言霊を感じた。俳句は余白を想像するので、においが立ち、温度が伝わり、戦争のむごさをいっそう浮き彫りにしている。戦禍でも文化芸術を通して人としての尊厳を保ち続けていると感じた」と思いを語りました。

講演を聞いた富山市の70代の男性は「ウクライナの戦禍が続く中でも自分の置かれた状況をしっかり見据えて俳句が詠まれていて感動しました」と話していました。


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【黛まどか事務所からのお知らせ】

本日(12月12日)の京都新聞 ON BUSINESS 「ウィークリーコラム」に、黛まどかのコラム「身体性の欠如」が掲載されました。

DX化が進む社会で失われていく「身体性」。黛が指摘するその危険性と重要性とは。

ぜひ京都新聞 ON BUSINESSのサイトからお読みください。

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/biz/936036 【身体性の欠如 俳人・黛まどか氏】より

 前回のコラムに企業経営におけるルールとプリンシプル(行動規範)について書いた。社員に求められるのは、プリンシプルや企業理念をベースにした対応能力だ。

 プリンシプルを身に付ける方法の一つに、「型」の習得がある。武道、茶道、能などなべて日本文化は「型」の体得に始まる。「型」はひとたび身に付けると応用が利くが、そのためには反復練習が不可欠だ。

 今年創業120年を迎えた資生堂パーラーには、「銀のカトラリーを磨く」伝統がある。かつてはベテラン社員から新入社員までが、出社するとまずシルバー磨きをした。“お客様が直接触れる物だから”、丁寧に磨く。花椿のシンボルマークが刻まれた銀食器を日々磨いていると、愛社精神と誇り、お客様への思いが湧くという。そしてお客様基点でものを考えるようになり、行動につながる。

 同じお客様でもその日によって体調など状況は違う、それを瞬時に感じ取り行動に移す。状況が常に変わる対象に対して、マニュアルは対応しきれない。

 社員一人一人が瞬時に自分で考え最適な対応をするには、行動規範を“身体に浸み込ませる”しかない。資生堂パーラーにとって、その方法の一つが「シルバー磨き」なのだ。

 昨今多くの企業がDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進している。データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基にビジネスモデルを変革する。企業の業務や組織そのものも変革して、ビジネス環境の激しい変化に対応するというものだ。

 各企業のDX戦略はコロナ禍において加速している。さらに仮想通貨やメタバースなどが登場した。パソコンの前に居ながらにして通貨を動かしたり、知らない人たちとコミュニティーを作ったりとその可能性は未知だ。確かにうまく使えば時間の効率化や新たなビジネスチャンスになるだろう。しかしそこに生の「身体」はない。すべてがバーチャル(仮想)の世界なのだ。

 そこでキーワードになるのが「身体性」だ。現代生活では身体を使うことが極端に減っている。自分の体験を経て獲得した知見ではなく、ネットで手軽に得た情報を元に考え、言葉を発し、行動する。日常がバーチャルになりつつあるのだ。企業経営も例外ではない。

 ある企業の物流拠点で話を聞くと、最近の社員は物流センターに足を運ばないという。在庫状況を目の当たりにすれば、身体で危機感を感じたり、新たな商品企画に反映したりできる。

 稲盛和夫氏は「現場は宝の山」と言った。現場には課題解決のカギとなる生の情報が隠されている。それらを五感や肌感覚でつかむことができるのが現場だ。つまり「身体性」の重要性を指摘しているのだ。本社で数字だけ見て判断していては、実態から乖離(かいり)する一方だ。身体性が欠如した議論は、リアリティーの欠如を招く。

 IT化が加速する時代だからこそ、身体や五感の重要性を再認識すべきだろう。「身体性」の復活は、日常生活にも経営にも求められている。

 まゆずみ・まどか 俳人。1994年、「B面の夏」50句で第40回角川俳句賞奨励賞受賞。同年、初句集『B面の夏』刊行。96年、俳句誌「月刊ヘップバーン」創刊・主宰(通巻百号で終刊)。97年、「フランス香水協会」マドモアゼル・パルファム賞(文化部門)受賞。99年、北スペイン・サンティアゴ巡礼道約800キロを踏破。同年、「日韓文化交流会議」委員に就任、度々訪韓。2001~02年、四季にわたり5回訪韓、釜山-ソウルの約500キロを歩く。02年、句集『京都の恋』で第2回山本健吉文学賞受賞。10~11年、文化庁「文化交流使」として仏パリを拠点に欧州で活動。17年、四国遍路約1400キロを踏破。オペラの台本執筆や校歌の作詞なども手掛ける。20年、「京都×俳句プロジェクト」(https://kyoto.haiku819.jp/)を発足。21年より「世界オンライン句会」主宰。現在、ワコールホールディングス社外取締役。京都橘大、北里大、昭和女子大客員教授。「日本再発見塾」呼びかけ人代表、「公益財団法人東日本鉄道文化財団」評議員、岐阜県大垣市「奥の細道むすびの地記念館」名誉館長など。22年7月に10年ぶりとなる句集『北落師門』を上梓した。その他の著書は句集『忘れ貝』、『てっぺんの星』、紀行集『ふくしま讃歌-日本の「宝」を訪ねて』、『奇跡の四国遍路』、随筆集『引き算の美学-もの言わぬ国の文化力』、『暮らしの中の二十四節気-丁寧に生きてみる』など多数。神奈川県出身。