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カラビナ・イン・ブルー

2024.02.03 05:43

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC 【カラビナ・イン・ブルー】より

『カラビナ・イン・ブルー』(carabiner in Blue)は、毎月第3月曜日の21:00 - 21:59に放送されている、京都リビングエフエム(84.5MHz)の番組。メインパーソナリティーは徳重英子。

概要

京都市伏見区のコミュニティーFM局・京都リビングエフエム(愛称エフエムはちよんご)にて、「あなたのブルーな心(ハート)に寄り添いたい」をテーマに2015年2月2日に第1回目の放送開始。

番組開催の経緯

カラビナ・イン・ブルー(第一章)

2014年春頃より番組の準備を開始し、2015年2月より、毎週月曜の21:00から21:29までの30分番組としてスタート。

2014年5月からは、放送を隔週(第一、第三月曜)の30分番組と変更した。

2016年6月20日を最後に、全37回に及んだ放送が一旦終了。

カラビナ・イン・ブルー(第二章)

2017年4月17日より、番組を毎月第三金曜日の放送、放送時間は21:00から21:59までの1時間枠として放送再開。

2017年8月21日の放送後、徳重の体調不良を理由に番組を一時休止。

副腎不全を克服し2018年に放送再開した。

番組の内容

この節の加筆が望まれています。

番組メインパーソナリティーの徳重英子のHPには、番組のコンセプトを下記のように説明している。

carabiner カラビナは登山に使うあのカラビナ。命綱を固定し着脱する留め具のことです。

現代社会は人間の基本的欲求の安心安全すらままならない社会へと姿を変えました。

不安で不安定で絆の感じられない世界は孤独に満ち溢れ、人の心を荒ませる一方です。

そんな時代を心理学化した社会。

病んだ社会と呼ぶ人もいます。

そんな荒波の大海原を漂い迷う世界の中にあって、空母 母艦のような穏やかな安心感を闘うように生きている人達、サバイバルのような人生を生きる人達に、ラジオから流れてくる声のお手紙、季節の便りとしてお届けし、その孤独に多少なりとも寄り添い三年目を迎えました。

肉声による語りかけや詩の朗読、音楽を使った情緒へのアプローチを目的としてラジオ媒体を使っています。

使用楽曲

番組中、その日その日のテーマに沿ってたくさんの楽曲が使用されるが、1曲をフルに流す事はほとんどなく、楽曲をBGMにして曲の説明やリスナーへの語り掛けが多用されるのが特徴的である。

Facebook福田純子さん投稿記事【福田純子のタオ・リズム】🌈72  「心の杖」

登り坂 下り坂「マサカ!」とも言われる人生の坂道

登る時には志をたてて希望をもって登山を楽しみましょう

下る時には下りを嘆く事なくしっかり味わいながら降りて行きましょう

今は降りてゆく時代登りつめたからこそ 堂々と降りられる下りるからまた再び人生という高い山にも挑戦できる そして生きていく中にはもう一つ「マサカ!」と言う坂にも遭遇するでしょう

思いもよらない出来事や自分ではどうしようもないハプニングに出会った時こそ大きく変わるチャンスと捉えましょう

上り坂 下り坂 マサカどんな坂にも逆らわず…すべての坂道に強い見方は笑顔です

笑顔こそ確かな「心の杖」なのです

Facebook斎藤一人さん投稿記事

同じ問題が繰り返しやってくる時は、自分で考えることを放棄しちゃいけないよ。もちろん逃げてもいい。だけど、何も学ばずに放棄すると、また同じことで悩むことになる。だから、何を学んだらいいのか。早く自分で答えを見つけた方が、楽なんです。   ひとり

FacebookKNOB ノブさん投稿記事

早起きは三文の徳✨

お目覚めのタイミングもそれぞれでありますが、今は太陽が何かの力に隠されて、いつまでも眠らせられているような、、、

医師で元厚労省医系技官の木村もりよ先生。

このようなことも通常のテレビの中でも言わ始めているようです。

https://youtu.be/eRtCraDciWc

https://youtu.be/ULI_iTGq9xs

だんだんとじわじわと一般の人々の中で健全な世界が復活しているのかもしれません。

~感染力が強くなるということは、変異したウイルスが私たち共存していく絶好の条件を得られたということ。

変異を繰り返しながら、感染の数は増えながら致死性は減っていて、通常の風邪に近づいていくことになる。

この感染症はある日突然消えてなくなるものではなく、変異する前からほとんどの人にとって、軽症で無症状。にも関わらず、かかったら隔離して、社会活動を止めなければならないこんなバカげたことはない

木村もりよ先生はこのようにも語っておられます。

このおかしな茶番劇のようなマトリックスみたいな世界に

、今年はじわじわと確実に様々な人々の働きにより、目覚めのメスが入るように感じます。

きちんと、自分自身のシンプルな心で見て感じればわかることだと思います。

子どもが、あおっぱなを垂らして、ハックションなんてしながら、普通に遊んでいられるような世界が正常だと僕は思います。

今だったら、、、熱は?大変!!検査、検査、検査 へんな世の中 KNOB拝

Facebook加藤隆行さん投稿記事  【愚痴が嬉しい?】

最近、友人がチャットで「愚痴」を言ってきてくれるのがとても嬉しいんですよね。

愚痴が嬉しいなんてヘンですかね?

昔の自分は愚痴なんか大嫌いで部下でも友人でもパートナーでも愚痴を言ってくる人には

「愚痴なんて言っても意味はない」「とにかく動け!働け!前を向け!」と叱咤したり、「自分ならこうする」と正論をふりかざし、アドバイスという名のマウントをしたり理解者のフリをして話を聴きながら「早く終わんねえかな」「時間の無駄、最悪だ」と勝手に犠牲者ポジションとなってその裏では「ホント、 こいつバカでダメなやつ」とココロの中でジャッジしたりしてました。

でもね、自分を整えてきたらある日わかったんです。

「愚痴を言ってくれる」ということは「自分のことを 信頼してくれているのだ」ということに。

以前は、愚痴=「イヤなことをされている」「時間を奪われている」「弱い甘えたバカにつきあわされている」と思っていたんです。

でも実は真逆で、相手が自分に「愚痴を言ってくれる」とは=「ホンネを伝えていい」=「安全で安心の人」=「信頼している人」=むしろ「好き」な人と思っているのだということに気づきました。これ衝撃でしたね。

「でも愚痴を許したら いつまでも終わらないでしょ?」と思う人、いると思う。

でもこれは、ボクが「愚痴はダメなこと」「愚痴なんて言っちゃいけない」と自分が自分に禁止していたから相手の愚痴も禁止しようと話を上から被せたりしてたからだから愚痴が終わらなかったんです。

愚痴ってる内容はどうあれ、相手は「イヤだった」「腹立った」「悲しかった」「辛かった」

「不安だった」そんな気持ちをわかってほしいだけ。

だからアドバイスもいらない。そっかそっかとその気持ちを一度、聴いて受け取ってあげればいい。これは態度の問題。

そしてわかってあげたらちゃんと受け取ってあげたらむしろ「その話、もっと聴かせて」と伝えてみると、「ああ、この人はわかってくれる」「私に関心を持ってくれている」と感じて、自分への価値を取り戻しそのうち自然にもとの姿に戻っていく。

もちろん自分に余裕がなくて聴いてあげられる状態にないのならちょっと今は無理ごめんねと断ればいいしメールならただスルーすればいい。

なるほどなー、そんな仕組みなのだーと気づいてからはボクの周りには敵も嫌な人もいなくなってていうかみんなが味方にヒックリ返っていって人間関係がガラッと一変して行きました。

でね。これはカウンセリングあるあるで、小さい頃に「お母さんの愚痴の聴き役」 (お父さんや姑への)になっていた、という人は、もんのすごく多いんですね。

それを、優しいアナタは「お母さんかわいそう」と一生懸命聴いてしまい「私がなんとかしなきゃ」と思ってしまったのです。

で、いつまでも続くその愚痴がとても嫌だったから「あんなお母さんには絶対ならない」と

自分に愚痴を禁止して周りにも愚痴を禁止する。

さらにお母さんは自分を嫌いだったんだと思いお母さんを幸せにできなかった自分に

ずっと罪悪感や無力感を感じて生き続けている。

でも、たぶんお母さんはアナタを嫌いだったのではないのです。

イヤな想いをさせようとしていていたのではないのです。まだ未熟だっただけ。

むしろ話を聴いてくれるアナタをお母さんはたぶん好きだったのです。

感謝していたかもしれないのです。それを表明するだけの余裕も言葉も持ってなかったのだろうけどね。

友人がボクに愚痴を言ってくれるのはボクのことを信頼しているから。そしてボクのことが好きだから。そしてボクが愚痴を聴くことは「あなたは大丈夫だよ」と友人を信頼をしている証。いまチャットで友の愚痴を聴きながら「ありがたいな」「嬉しいな」そう感じています(^ω^)