Dawn Chorus
これを書いている今日は季節外れの雨の日曜日
さっきストーリーにあげたのはいつか見た朝焼けの写真です。
冬の雨もいいもんだと強がって、ウッドデッキに置いたストーブで暖を取りながらこれを書いていて
久しぶりに色々一息ついて、ビールを飲みながらのらりくらり思いを馳せるのは世界の成り立ちとかそんなこと。簡単な計算でも間違うくせに、あえてそんな壮大なことを考え込むふりをしてるのは考えなくちゃいけないことを後回しにしてるから。
ほろ酔いの頭でアインシュタインの知性にあやかりたいと願いつつフラフラとたどり着いた結論は、世界のすべては誰かが誰かを思う気持ちで成り立っているということで
だから、この世界は美しいのだと思ったし、逆にどこまでも暗く沈んでいくこともあるのだということです。
先日話したカナダ人のデータアナリストは、AIはどこまでいっても人の心を持つことはないだろうといっています。
どれだけ大量の計算を瞬時にこなせるようになっても人の心を数字に置き換えることができないということは、それは人の心があまりに複雑で、決してすべてを思うようにはできないということの証明になるんじゃないのかな。
でも、実は複雑極まりないその心の真ん中はあまりに単純で、純粋すぎるがゆえに数字にすることも言葉にすることもままらないのだろう、というのが日々の練習を通じて感じていることで
だから人は絵筆を手にして、楽器をつまびき、舞を踊り、どうにかその片鱗でも伝えることができないかと模索してきたのだな、と芸術論などこれっぽっちも学んだことがないのに一人で納得をしています。当たり前の話かな。
そして、言葉では伝えきれない気持ちをあえて言葉で表現しようとする詩人とはなんとすごい人たちなんだろう、とか。
選択肢は数多あるけれど僕がどれか選ぶとしたらそれはやっぱり音楽で、いまさらロックスターになりたいとは思わないけれど、誰か一人からでも拍手をもらえたらそれ以上望むことなんてないかな、と思います。
それはそうとついさっき、地域で廃校が決まった学校の跡地利用に関するアンケートを書きました。いつまでここにいられるかもわからないのであまり具体的なことは書けませんでしたが、これだけはと思って書き記したのは
そこが誰でも安心して戻ってこれる場所であって欲しいということです。
自分の娘がここで育っていつか巣立って行ったとして、何かあったらいつでも頼りにできる場所。いつでも安全な食べ物が手に入る場所。
誰でもそんな場所が一箇所あったらそれだけで、色々とチャレンジする勇気が湧くんじゃないかな、と思います。
これを書きながら聞いているのはThom YorkeのDawn chorusという曲です。
とても大好きな曲だけどタイトルの意味を調べたことがなかったので試しに見てみたら、単なる「夜明けの合唱」というわけではなくて無線のノイズなどで観測できる電磁波現象だということでした。
wikiの説明は難しくてわからなかったけど、その音は夜明けの鳥のさえずりに似ているとのことです。いつか娘と一緒に生で聞きたいな、と思います。
やりたいことは日々増えていき、ヨガの教えからはどんどん遠ざかっていく気もしてます。でも、まぁそれはそれで。笑
差し出された幸運にあやかるよりも、自分で舵をきっていかないと全部を受け入れられるようにはならないんじゃないかなと思ってます。
あと「いつかやる」の「いつか」は悪者にされがちだけどそんなことはないな、と最近思うようになりました。その「いつか」は信じていればきっとくるからです。これはこれまでの人生からの経験則。僕はけっこうあてにしています。
以上、真冬の雨に濡れる庭を眺めながら考えていたのはこんなこと。
そろそろ明日の支度をはじめます。最近は言い訳に言い訳を重ねて満足に練習できていないので、明日こそ。今から明日の練習が楽しみです。
明日もみなさんよい練習を!