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松野苑子『遠き船』

2024.01.22 02:57

https://note.com/yutaka_kano/n/n3046769f1511 【「音信」(松野苑子第三句集『遠き船』を読む)】より

 はじめて松野苑子さんにお会いしたのはいつだったろう。たぶん歌舞伎町で開催された北大路翼の出版記念パーティーの事だったかもしれない。ぼくを含めどこかが欠けていて、時折暗い目をするはぐれものばかりが並ぶ会場で彼女の周りだけはほんのり温かく光っていて、なんだかとても場違いなのに、近寄って行きたくなるようなそんなやわらかな雰囲気を持っているお人だ。その後「街」の句会や他の催しなどで何度かお会いする内に「街」の同人会長とか,角川俳句賞受賞者なんていう大仰な肩書きなんてどうでも良くなってしまい、大先輩にもかかわらず失礼にも親しみを込めて「苑子ちゃん」なんて呼んでみたりもするようになったのである。そんな松野さんの第三句集がこの度上梓された事を突然Amazonから知らされ驚きながら注文したのだった。

●「百の扉」

◯セシウムを吸ふ向日葵の黒き蕊

 この章の頃、東日本大震災があった。この日を境に多くの俳人はその作風が陰鬱に変わり、中には一時的にも筆を折る者も居た。もう十年を経たといえ、あの頃の傷が癒える事はないのだろう。掲句、セシウムを吸いながらも健気に咲く向日葵の句が「叡智の粋」と呼ばれ歓迎された原子力とはぼくら人類の頭上に揺れる「ダモクレスの剣」なのだと今も警告を発し続けている。

 蚊を打てば聖書の中の一文字に    かなかなの染み込んでゆく日章旗

 黄砂降り貝塚にある猿の骨      揺れてゐる蓑虫犬の鼻が寄る

●「空の続き」

◯痛さうに仏彫らるる冬の月

 一本の自然木から仏を掘り出す「一刀彫」を追求した円空。鎌倉期に巧緻を極めた慶派の仏の迫力とは異なり、その素朴な御姿はどこか愛らしく、現代に至るまでその土地土地で愛されている。掲句、名も無い木から刃で彫り出される仏は痛みを感じながら現世に顕現する。手彫りの仏を拝む時、ぼくらは仏教伝来以前のアニミズムの時代に立ち返ることが出来るのだ。

 火の上に自爆の形して栄螺       海ほどの塩加減この豆飯は

 手に載せて臍の緒の色空蝉は      夜は星吹き出してゐる葱畑

●「消せさうな雨」

◯春の日や歩きて遠き船を抜く

 句集タイトルにもなっている「遠き船」。やわらかく、しかしどこか置いてきぼりを強いられた「残されし者」の視線を感じるのはぼくだけだろうか。その後父母を亡くし自らも老いを覚える今、疎外感の象徴のようであった「遠き船」をいつしか追い抜いてしまっている事に気づいたのだ。ぼくらはこの足でどこへ向かうというのだろう?

 形代は一人にひとつ唇も           笹鳴や如雨露の中の昨夜の雨

 帽子屋に汽笛の届く春の暮          家出たき頃の匂ひの毛布かな

●「地の光」

◯水昏きところに果てて蜷の道

 以前熊野で見た植田の水を思い出す。目を凝らせば驚くほど沢山の蜷の道があり、豊かな自然を実感したものだ。それにしてもなんという静かで美しい景だろう。十七文字の中に過不足無く整えられた摂理は一服の禅画を観るようだ。ぼくはこの景をいつか写真にしたい。忘れないように何度も掲句を口にしてみた事を告白する。

 ががんぼの夜に鏡を落ちてゆく       死後も効く薬なら飲む天の川

 手を入れしところを廻る花筏        鵙の贄白紙のやうな空がある

●「人のかたち」

◯ 桜ふぶき人のかたちを消してゆく

 以前から何度も書いて来たが、なぜか万朶の桜は死をイメージしてならない。生まれた時に死を運命付けられるぼくら生物は時に狂ったように命を燃やし、そして次の生命を産むのだ。殊に散り始めの桜の極まった狂気はぼくら日本人の深いところにある死生観を白日の元に晒し出してしまう。そのときぼくらは人のかたちを保って居られなくなるのだ。

 病院のエレベーターに春の蚊と          満月の夜の体を洗ひけり

 父母亡くてこの世よく晴れ蒲団干す        鰤の血の流るる夜のステンレス

 残念ながらこの数年猛威を振るったコロナ禍は長年かけて俳人達が築き上げてきたリレーションシップをズタズタに引き裂いた。案じようにも届かない人たちの無事を何度祈り、鬱鬱とした事だろう。ここに来てワクチン接種も順調に進み、少しずつ回復してゆく社会の中でリアルな句会も復活しつつある事は喜ばしい限りだ。俳人は脆弱な生き物だ。まだまだコロナ禍は油断出来ず、ウクライナでの戦争も緊迫の度合いが増すばかりで手放しで喜べないが、今般上梓された句集『遠き船』は俳人松野苑子からの久しぶりの音信として大切に読ませていただいた。苑子さん、またどこかでお会いしましょう。その時もまた、きっと笑顔でね!

勉強させていただきました。ありがとうございました!

里俳句会・塵風・屍派 叶裕


https://note.com/cheval_droit/n/nbbdc2b502ac9 【松野苑子『遠き船』30句撰】より

薄氷に縄文土器の模様かな           脚痙攣しつつ羊は毛を刈られ

草雲雀りりりと誰の恋敵            猫の恋巨大スクリュー影を生み

雪解けて甲骨文字のやうに草          鶯の鳴く方向よ正面は

吹雪く夜の密告の舌ならば切れ         出目金のいつもどきどきしてをりぬ

凍滝の全長光る木霊かな            アロマ一滴硝子全面緑さす

灯の電車人を零してクリスマス         耳鳴りの呪文の中を去年今年

削げば刃に鱗飛びたる寒の晴          炎心の透明バレンタインデー

露の玉一瞬眩み分かれたる           点滴の管を流るるものに虹

夏落葉踏みて体の内の闇            らうそくを点け滝音の冥くなる

一本の後ろ無数の曼珠沙華           月光に置く陵王の神楽面

来し方や東京タワーに月刺さり         悲しみの芯は無色や氷柱に日

削られし岩肌咳の沁みゆくか          薄氷のつつと二つになるところ

百年をただ放心の雛の口            桜ふぶき人のかたちを消してゆく

叫びたきことは原色アマリリス         寂寞の砂丘は女体日の盛

焚火その炎が風になる境            菜の花の大地の起伏光りあふ

所感

正直なところ、この30句が『遠き船』の魅力を十分に表現できているかどうかは自信がない。街同人である松野苑子氏は、私からすれば大ベテランの俳人であり、ここに挙げた感銘30句以外にも巧みさを感じた句や面白さを感じた句は多かった。むしろこうやって並べてみると、私の撰は面白さや突飛さ、珍しさにウェイトを置きすぎているような気もする。

松野氏の“特徴”を強いて挙げるとすれば、写生の殻の中に自身の内面を詠み込もうとしている点だろうか。つい先日、きごさいに掲載されている『句集別加藤楸邨100句  岩井善子選』を上から辿った際の印象として、楸邨が批判に晒されがちなのは、表現が自身の内面を指向しているために、理解され難かったり、嫌悪や反発の対象になるという側面があるのではないかと感じた。松野氏の作風にもどこか師系を感じたものの、この解釈にはやや断章取義のきらいがあるのも確かだ・・・。

https://kigosai.sub.jp/bs/?page_id=25563

松野氏からは学ぶことばかりなので、今後とも多くのことを吸収していきたいと思っている。


https://ooikomon.blogspot.com/2022/05/blog-post.html 【松野苑子「皆マスクして異界へと行く電車」(『遠き船』)・・】より

 松野苑子第3句集『遠き船』(角川書店)、その「あとがき」に、

 (前略)『真水』上梓の後、東日本大震災、俳句へ導いてくれた母の死、新型コロナウイルスの蔓延、乳癌の手術と続き、『方丈記』の「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水のあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる試しなし」の言葉が身に沁みます。

 けれど、青く輝く星の地球、その中の水と緑と四季に恵まれた日本に生まれ、最短の豊かな詩である俳句に出会えた幸せと、出会えたことで、この世に生まれた喜びも意味も深くなったという思いは、変わることはありません。 と記されている。集名に因む句は、

   春の日や歩きて遠き船を抜く      苑子

 であろう。ともあれ、愚性好みに偏するが、幾つかの句を以下に挙げておきたい。

   仔馬いま脚Xに立ち上がる         海鳴りの寂しさ集め草氷柱

   コスモスの隙間の空気くすぐつたい     蛇のあと水に模様のあらはるる

   耳鳴りの呪文の中を去年今年        緑さす泡吹き虫は泡の中

   草笛に草の味してまだ鳴らず        数えへるとすぐ散る雀原爆忌

     母(享年九十六)

   息せねば母は骸や夏の月         満月の夜の体を洗ひけり

   一本の後ろ無数の曼珠沙華        手に受けて形代のその薄さかな

 松野苑子(まつの・そのこ) 1947年、山口県生まれ。