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現政権にも当てはまる 片岡健吉の建白書

2018.11.08 08:53

現政権にも当てはまる 片岡健吉の建白書

 西南戦争さ中の明治10年6月(1877)、土佐立志社の片岡健吉(かたおか けんきち、天保14年12月26日(1844年2月14日) - 明治36年(1903年)10月31日)、土佐藩士、政治家、自由民権家。衆議院議長を務めた。正四位)が天皇に当てて1万5千字にも及ぶ建白書を明治天皇に提出した。これは「陛下任ずる所の大臣」の圧制と収奪と失政8か条を列挙して徹底的に糾弾したものですが、その8か条のほとんどが現政権によるこの6年の間の振る舞いそのものと言えるほどで、現政権が目指す明治新政府がいかなるものか、そして、それを目指す現政権の性格、本質が見事なまでに明らかにされたものと言えます。

 片岡の挙げた8か条は以下のごとし(要約)。


第一、 内閣各大臣が公議を採らず専制を行っていること。

第二、 国政に統一がなく、確固たる原則がなく、立法・司法の権が行政権におかされ、しかもその行政府は朝令暮改、また各省の縄張り争いに明け暮れていること。

第三、 中央政府の集権に過ぎて、地方の実情を無視する画一の政治を行っていること。

第四、 専制政体のもとで国民徴兵制を行う矛盾のため、軍制が立たないこと。

第五、 財政がその正しい方法を失い、いたずらに地方の富を中央に吸い上げ、特定大資本家のみを保護育成して、全国の産業の振興を図らないこと。

第六、 税法があまりに苛酷で、庶民がこれに耐えられないこと。

第七、 士族を軽んじてその元気を失わしめ、士と庶民の平均の制を失すること。

第八、 外交の誤り。主要なこととしては、台湾遠征、朝鮮江華島における挑発、樺太をロシアに譲り領土権を自ら放棄したこと、および条約改正のできないこと(無能)。

 

 この他、「軍役に対して毎年巨費をつぎ込んでやめようともせず、国債を乱発している」「ひたすら士民を労苦させ、一身の幸福を求めることさえできず、絶望から卑屈にさせている」と、これらは天皇に対してぶつけています。明治元年の五箇条の御誓文、八年の立憲政体を立てるの詔、これらを天下に示しながらいまだ実現されないが、陛下はどの顔を以て天地の神祇にお詫びされようというのか、と、大変に激越です。

 最後には、民撰議院の設立、立憲政体の基礎の確立、庶民の政権への参与を要求して締め括っている。

 旧幕時代の圧制と搾取から解放されるとうたったはずの新政府による新たな政治はまったく変化がなく、むしろ旧幕時代は支配者側だった士族たちも庶民と同じく圧制と搾取に苦しめられるようになり、年貢だけだった農民はさまざまな税が課せられ、さらに兵役の義務(徴兵制)まで負わされるようになり、倒幕(討幕)の精神はこんな世の中にするはずではなかった――そういう人々の疑問や不満を片岡が具体的に示し、天皇を通じて「自由民権」の時代とするよう迫ったものがこの建白書です。

 この建白書から140年。三歩進んで二歩下がるような遅々とした歩みで、時には日本の歴史上最悪の戦争を引き起こしながらも文明国、先進国として手本となるような国家国民として試行錯誤を続けながらいろいろなことを克服したり向上、発展させてきた。

 ところが、現政権は先人たちの努力と苦労をすべて無にし、片岡の建白書で批判されている政権の姿に戻し、なぞっている。明治維新に対して強烈な執着をもっている理由がここにあります。

 知る人ぞ知る、歴史の授業では殆ど扱われない片岡健吉の建白書を、今こそ読み返して、現政権に対する危機感を持つ必要があります。今の主権者は国民。天皇に訴え、天皇が大命で何かしてくれる世の中ではありません。国民の覚醒と自覚が必要です。


 激動期と安定期とでは政治家の質が異なるのは世の常。

 西郷、大久保、木戸、板垣、副島ら維新前後を通じて艱難辛苦を味わった世代は、それぞれ立場こそ違え、自分の主義主張に忠実で、自分の言動に最後まで責任を持った。そのために絶命させられた人もいるが、常に覚悟していたことであり、やり残した事に対する心残りはあっても、人生そのものに悔いはないと思われます。

 これが伊藤や山縣といった第二世代になると原則性も責任感も薄れ、特に山縣はまだ第一世代が活躍している中で汚職をし、関係者を自殺に追い込ませることまでしている。西郷や大久保らはおよそ蓄財といったことはまったく頭になかったのに比べると、第二世代は大きな家屋敷を構え、妾を何人も囲い、夜ごと遊興に走るなど、我が身かわいいといった生き方が顕著になります。

 政体、政権がさらに盤石なものになると、政治家となる家柄が固定化し、世襲化して、すべてお膳立てされた中でただ存在していればいいという状態となり、責任感といったものは意識すらしなくなる。なにか起きても下の者に押し付け、第一世代が自分自身に引き受けたのとは真逆です。官僚政治家、政党政治家どちらも同じ。上下関係を構築して、上の者が下の者を支配する構造も、上の者はなにをやっても許され、下の者は法律・規範(道徳)に従わなければならない(=自己責任)といった意識も、結局は維新前から変わらずこの国で続いているわけです。市民社会に上から支配する者などあってはならないのに、支配者がいるほうが安心できるという人がいて、それが今のような政権を長期にわたって存続させている。片岡の建白八か条も、はたしてどこまで共感されるか心もとない次第です。