最後の1か月で頑張る意味
今週末には推薦入試、来月には一般入試が控えています。
ほとんどの生徒はあと1か月以内に受験を終えますよね。
私はプロの塾教師として、
最後の最後まで諦めずに戦い続けて、無理だと言われた学校に大逆転合格!!
みたいな受験は吐くほど嫌いです(笑)
え、何がいいんですか?
無責任に無理な学校を受けさせることも、
実る可能性の不透明な努力をさせ続けることも、
実力に合わない学校に進学させて進学後地獄を見せることも、
何一ついいとは思いません。
例えば私立の大学受験ならいいんです。併願できますから。
しかも大学は勉強するところではありません。学力あんまり必要ないんです。
必要なのは知識と教養、考える力、いろいろありますけど、
簡単に言うと、勉強じゃなくて研究するところです。
知識を身に着けるために勉強が必要になることはあります。
でもそこがメインじゃないですよね。
高校受験において、ビ〇ギャルみたいな受験はいいこと1つもないですよ。
あれも、映像化されていない裏側に、あと99人くらい落ちている人がいる事実を知るべきです。あれ、エンタメですからね。
奇跡は起きてほしいでしょう。そりゃ誰だって。
でも自分で起こすことはできますか?
努力すれば奇跡って起きるんですか?いいえ、現実は違います。
この事実は、この世界を知っているプロの先生ならだれでも知っています。
意図的に起こせるなら、それは奇跡ではなく実力でしょう。
実力をつけての合格、これ普通の合格ですよ。
では考えてみましょう。その普通の合格を目指すために、実力をつけたいんですよね。
それ、いつまでにつけるのが正解ですか?
A 入試当日の朝
B 入試1か月前
正解は、Bです。付け焼刃って、安定しないんですよ。
最高偏差値が足りていても、平均が足りていないイメージです。
だから安定化するための努力は必要ですね。
それこそ、最後の1か月でやるべきことです!
「普通にやれば受かる!」という実力を1か月前までにつける。
最後の1か月は、「普通にやる」ための調整をする。
はっきり言います。最後の1か月で実力が大きく変わって大逆転!なんてありえません。
0%とは言わないですよ。頑張っている人は頑張ればいい。でも可能性低いです。
じゃあ、最後の1か月で頑張る意味とは何でしょう?
それは、もしここで手を抜くと、
「たった1か月も頑張れない自分」という自己評価を自分にすることになります。
一生。
1か月もできない人間が、1年できますか。
1年できない人間が、10年できますか。
10年できない人間が、一生できますか。
正直、合否より大事なんじゃないかと思ってます。
この、自分が努力できる期間、いわば自分の限界値を認知すること。
厳密に言えば認知はしなくてもいいのですが、「低い」ものだとは思わないこと。
この1か月は、「たった1か月も頑張れない自分」という自己評価を自分にしなくてもいいよう、走り切るべきです。
ただし、それは知識を増やすための勉強ではなく、すでに完成した知識(そもそもこの時点で完成してなければいけない)を、確実に当日に発揮できるように調整する勉強をするべきです。
受験は精神論で乗り切るものではありません。
受験は明確に原因と結果がある、科学のようなものなのです。