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愛で甚し

2024.01.25 06:10

Facebookごとう 孝二さん投稿記事「おめでとうの語源とは」

新年が明けた時、その時、皆がかけた言葉、『おめでとう』

皆さん、この『おめでとう』の語源って何だと思いますか?

「目出度い」?「芽出度い」?「めで鯛」?これらはどれも当て字なんです!!

本当の「めでたい」の語源は・・・「愛(め)でる」+「甚(いた)し」=<愛で甚し>

「愛でる」とは、心がひかれ、いとしく思ったり、素晴らしいと思ったりすること

「甚し」とは、程度がはなはだしいということ皆さん、『おめでとう』って使うとき、

“相手に対して”使っていますよね?!

でも、語源は「愛でる」♪自分が、喜んでいる相手の姿をみて、心がひかれ、愛おしい思ったり、素晴らしいって感じたときに、『おめでとう』って使うんですね♪♪

つまり“愛おしくてたまらない”とき確かに、(義理じゃなく)本当に気持ちをこめて、

『おめでとう』って伝えている時って、相手とか自分とか関係なく、お互いが一体となって

その想いに惹かれあっているときですね

おめでとう〜♡


Facebookいい言葉は人生を変える投稿記事『ありがとうと伝えたい…母への思い』

人生で起こることは何か大切なことを気づかせて くれるために起こるようです。

人生で最も大切なことを両親から教えられました。

父も母も今はもういませんが、 大切なことを教え残してくれました。

父からは『あり方』でした。みんなから愛されていた父に、 最も愛されていたの

は自分だったということがわかったとき、 父が亡くなったあとも後から後から涙が流れてきました。

それから6年後、桜が舞う季節 。病院主催のお花見会に参加するため、 病室から小さくなった母を車椅子に乗せて近くの神社に足を運んでいました。

母が34歳の時に難病のベージェット病が発症した。母がずっとつけていた日記には、ほとんど毎日のように微熱や頭痛があると書かれていた。妹と一緒に、その日記を見ていて辛くなった。無理をすると発症するからと医者には言われていたようだ。

子供たち二人が学校から帰ってきたらお腹を空かさないように、 いつもお菓子が買ってあった。お菓子はいつも妹と半分にして分けた。

看護婦をしていた母にとって、毎日のようにお菓子を買っておくことだけでも大変だったはずだ。

神社には桜が舞っていて、ポカポカと暖かく気持ちが良かった。看護師の方たちが おいしいおでんを振舞ってくれている。よく煮込まれた大根はとろとろでした。

看護師さんからスプーンが手渡された。今日は、母にもちょっとだけなら食べさせても良いという。病気のため、母の身体がだんだんと動かなくなっていった。

ついに身体に必要な栄養を毎日3度の点滴で補うようになっていた。

幼い頃に大火傷を負い、頭皮に後遺症が残った母のこれまでの人生は 辛かったことのほうが多かったはず。いったい何が楽しかったんだろうかと妹と話したことがあった。

人を傷つけることは決して言わなかった。 誰に対しても優しかったのは人の痛みがよくわかったからなのかもしれない。

母の病気が進行するにしたがい、身体の自由が利かなくなった母の身の回りの お世話をすることが多くなっていった。

そのうち、母を幼い子供のように接するようになっていた。「おでんが欲しい?」と聞くと 食べたいという。

久しぶりに人間らしく口からおでんを 食べさせてあげられることに嬉しさを感じた。

おでんを小さく小さく刻んで、スプーンの上にのせ、口元に運んで食べさせた。

「おいしい」母が本当に美味しそうに嬉しそうなので、自分も本当に嬉しくなり、 嬉しくて、嬉しくて涙がにじんできた。

口元にスプーンでおでんを運ぶとき、 母が自分が赤ちゃんの時に今の自分が 母におでんを運ぶのと同じようにスプーンで口元に運んでいたときの映像が入ってきました。

子を思う母の愛情がポンと心に入ってきました。時を越えて、母の愛を受け取った瞬間でした。そこには、愛しかありませんでした。 子が存在しているだけで愛おしく感じる心。

自分のすべてを注ぎ込む愛情がそこにはありました。母の無償の愛を感じて泣き崩れました。

おでんをのせたスプーンを口元に運びながら無理に微笑もうとすると余計に涙が溢れます。

こんなにも愛されていたんだと思うと涙が止まりませんでした。

もっと親孝行すればよかった。もっと作ってくれた料理をおいしいって言ってあげればよかった。それなのに、こんなにもこんなにも愛されていたんだ。

そう思うと涙があふれて止まりませんでした。「こんなに素晴らしい行事をしてくださり、  本当にありがとうございました」感謝の手紙を院長先生宛に出しました。

心から接してくれる看護師さんたちを院長先生に褒めていただきたかったのです

それ以降、母は友人から呼ばれていたように看護師さん達からは、 「あっこさん」と呼ばれるようになっていました。

母の最期の友人たちでした。 『人には優しくしよう』 これが、母から学んだことです。

それから数年後、最愛の妹にガンが見つかった。 聞いたとき、目の前が真っ暗になりました。目を開けているのに何も見えませんでした。

祖父母、両親をすでに亡くしている自分にとって、 たった一人でこの世に残されるような虚無感を感じたのです。

全く現実を受け入れられませんでした。手術は成功しました。いまは、再発の可能性がなくなる5年が無事に過ぎればと思っています。

心の底から気がついたことがあります。

それは、人生で一番大切なことは、 一番大切なことを一番大切にすること。

好かれていない人のご機嫌を取るより、 自分を愛してくれている人のために時間をもっと使おう。

でっかいことをしようとするよりも、 いつも見守ってくれている人が喜ぶことをするために時間をもっと使おう。ありがとう、ごめんなさいがちゃんと言える人になろう。

人に迷惑だけはかけない人生にしよう。嬉しいときには嬉しいとちゃんと伝えよう。

愛している人に愛しているとちゃんと伝えよう。

人生で一番大切なことだから、 親が子供に一番最初に教えることなんだと心に落ちます。

ちょっといい話  志賀内泰弘