世は 定めなきこそ いみじけれ
Facebook近藤裕子さん投稿記事 ☘️なんとなく好きな表現☘️
「世は 定めなきこそ いみじけれ」
徒然草』第十九段にあるこのフレーズが気に入っています。
〈世の中はどうなるか 先の事は分からない。わからないからからこそ面白い(味わい深い)〉。
これは私の解釈ですが 多分、吉田兼好も そんなニュアンスで書いていたように思います。
世の中は思い通りに行くことよりも 思わぬ成り行きに戸惑う事が沢山あります。
それを前向き捉えるか 悲観的に捉えるかで 人生が面白くも苦しくも感じられるものです。
「なるように成る」と考えると 人生以外と乗り越えられるものだと思います。
https://meigen.shiawasehp.net/y/k-yoshida06.html【『世はさだめなきこそいみじけれ』】
吉田兼好 (歌人・随筆家)「徒然草」より
この世は無常であり、変化するからこそ趣深い 幸せのヒント 「変化」
『万物は流転する』 ヘラクレイトス
『人生とは、止まることのない変化である』 トルストイ
『人生とは、突発的な出来事と緩やかな変化によって軌跡が刻まれていく、時のプロセスなのです』 A・ストッダード
すべてのものは変化する。変わらないものはない。人生も変化する。
『すべてのものごとが無常であることがわかれば、そこに悟りがある。究極的な幸福がある。すべての苦しみが終了する』 釈迦
『変わっていくものに執着せず、より良い変化だと受け止めてみよう』 上田敏
変化を悪く受けとめるか、当然のことと受けとめるか、良いことと受けとめるかによって、幸不幸は大きく変わる。
『最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である』 ダーウィン
『至上の処世術は、妥協することなく適応することである』 ジンメル
変化を現実として受けとめ、うまく適応していけるといい。
Facebook朝日新聞(The Asahi Shimbun)投稿記事
野球の大谷翔平選手や将棋の藤井聡太八冠といった、常人の想像を超えた前人未到の道を切りひらいている“天才”の姿に日本中がわいている。
https://www.asahi.com/articles/ASRDW5JV0RDGUCVL050.html?ref=ad_ca_cp2024win_ca_std_FB_asc4_0003&fbclid=IwAR0gVoGpUK9rLzQjKkSwgvm8y_bYpGTWznvUZiHKAjiWWxzOQbxv-6fiKbE 【斎藤環さんがみた「狂気なき天才」の時代 自分探しの終焉と承認欲求】より
精神科医で批評家の斎藤環さん
野球の大谷翔平選手や将棋の藤井聡太八冠といった、常人の想像を超えた前人未到の道を切りひらいている“天才”の姿に日本中がわいている。特定の分野に愚直に向き合い、それが好きでたまらないという彼らの姿が、いっそう私たちの好感度を高めている。一方で、「天才と狂気は紙一重」という言葉で表現されるような特徴は、かつて天才に欠かせぬものだった。精神科医で批評家の斎藤環さんは「天才が持っているダークサイドに今や人々が興味を失っている」と分析する。天才像の変容について聞いた。
――最近の天才を描いた日本ドラマや映画をどうみていますか。
天才植物学者・牧野富太郎をモデルにした昨年のNHK連続テレビ小説「らんまん」や、魚類学者でタレントのさかなクンの自伝的エッセーを一昨年に映画化した「さかなのこ」が象徴的ですが、とにかく何かが好きでたまらない天才的な主人公を描いていますよね。
たとえば、19世紀の天才画家・ゴッホの人生はトラウマだらけです。他にも天才的な詩人・宮沢賢治も妹を早くに失うなど、トラウマ的な経験のなかで、激烈な創造性を発揮しています。
彼らが経験した厳しい逆境を踏まえるなら、最近の作家や制作者たちは天才を“キレイ”に描いているなと思いますが、それはすなわち、今や人々は天才の持つダークサイドに興味がないことの裏返しだと思います。天才のダークサイドを描いても、人々に響かない時代になりつつある。
トラウマ的な経験のなかで、激烈な創造性を発揮してきたかつての天才たち。斎藤環さんは、「今の社会をみると、ダークサイドらしいものが感じられない『現代の天才たち』がいませんか」と投げかけます。斎藤さんが挙げる現代の天才たちには、ある共通する特徴があり、その特徴こそが今の社会の価値観にマッチしているといいます。
――どういう意味でしょうか。
社会という観点から申し上げ…