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ひとりやないで!

阪神淡路大震災〜母と私〜(もみこ)

2024.01.16 20:08

このたびの令和6年能登半島地震で被災された皆さまへ、心からお見舞い申し上げます。

おはようございます。

新年から落ち着かない日々が続いております。

当会にも、かつて能登から神奈川へ来てくださった

ご参加者様がいらっしゃいました。

どうかご無事で、、

一日でも早く平穏な日々が戻られますことを

心よりお祈り申し上げます。

そんな今日1/17は、

阪神淡路大震災から29年目の日です。

スタッフ樅山(もみこ)は、

当時、統合失調症の母と

兵庫県の祖母の家に泊まりに行っていたところ、

被災をしました。

母と私が眠っていた2階は、

階段を真ん中に挟み、

左の部屋に母が。

右の部屋に私と祖母が寝ていました。

当時3歳だったので記憶が曖昧ですが、、

指しゃぶりをしながら寝ていた私に

祖母が四つん這いになり

覆い被さってくれたおかげで、

倒れてくる物や、

2枚目の写真にあるような

祖母の家の隣の全壊したアパートの柱が

私たちの眠る部屋の外壁を突き破る中、

命が助かったと聞いています。

※写真中央が全壊したアパート。

コンクリートブロックが祖母の家の敷地(写真だと庭)。

コンクリより上がアパート2階部分で、

1階部分はコンクリの隙間に入り込んでいる(?)

揺れがおさまった後、

祖母が母を助けに行こうとするも、

倒れて来た物で部屋の間口が塞がり、

母のようすは一切見えなかったそうです。

そこで、祖母は私を抱っこして、

一旦、私をこたつのある一階の居間に移動させ…

祖母👵から

「ママを助けに行くからここで待っといて」

と言われたのを覚えています。

オレンジ色の豆電気💡だけが

点灯していた部屋に1人…

段々心細くなってきた私は居間で待てず、、💦

結局このあと、

2階の母がいる部屋までついていきました。

祖母が母を助け出した頃、

母は倒れてきた物で

鼻に切り傷を負っていたのを覚えています。。

その頃、神奈川にいた父は、

地震のニュースを知り

祖母の家に何度も電話するもつながらず…

安否を確認しようと、

すぐ神奈川→兵庫まで

飛行機✈️で駆けつけてくれたそうです。

羽田空港の待合室ロビーに映るテレビで、

私と母がいる

祖母の家の住所の表示とともに

「ガス漏れ発生!危険区域⚠️」

という文字を見たときの父は、

私たちの死を覚悟したと話していました。

また、

伊丹空港から兵庫の祖母の家まで

何時間も歩く中、

倒壊した家々や

まともに歩けない道路に

歩幅を進めているときも

『生きてないかもしれないな…』と思ったそうです。

父が迎えに来てくれた後は、

同じ兵庫県内にある

従姉妹の家に数泊させてもらい、

神奈川へ戻ったと聞いています。

本当に、いつ起きるかわからない災害。

今日5:46、

奇跡的にある命に感謝をしながら

祈りを捧げます。

#阪神淡路大震災

#阪神淡路大震災を忘れない 

#阪神淡路大震災117のつどい 

#兵庫県川西市