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Nozomi Matsuda

人の脆さと失われる命“補償”のない安全

2018.11.09 05:02

九月十四日、三校時目の授業の始まり告げるチャイムが体育館に鳴り響いた。

体育の授業のため、三クラス全員が体育館に集められた。

いつもと変わらない日常のはずだったのに、どこか違和感を覚えた。

静まり返った体育館。

最初に口を開いたのはN先生だった。

「知ってる人もいると思うけど、昨日、K先生が交通事故に遭いました。詳しいことはまだ分かっていないのだけれど、一時停止無視をした車とぶつかりました。」

私は、ここまで聞いて頭がまっ白になった。

「命に別状はないのだけれど、手術をしないといけないので、しばらくは別の先生が担当することになると思います。」

もしかしたら私は、また一人大切な人を失うことになっていたかもしれない。


人は脆い。どれだけ気を付けても、事故に巻き込まれることだってある。

この世界で生きて行く中で”安全“に補償はないのだと改めて学んだ。

どれだけ安全でいたい、生きたいと願っても、安全は補償されず、命を失うことだってある。

この出来事で、七年前のことを思い出した。

七年前の二○十一年一月二十日。

この日から二ヶ月間、宮城県の気仙沼という所に国内留学することが決まっていた。

私を含め二十六人の先生と生徒と過ごした二ヶ月目の終わりにさしかかった三月十日。

予定より早く、地元に帰ることになった。

翌日の三月十一日。

地元の学校に登校し、国内留学の報告を先生にしたり、いつものように授業を受けていた。

クラスメイトと給食の時間を過ごし、昼休みを終え、五校時目の授業が始まった。

十四時四十分。班ごとに分かれて、発表用の新聞を書いていた。

七年も前のことなのに、こんなにもはっきり覚えている自分が怖いとさえ思う。

十四時四十六分、東日本大震災が発生。

地面を突き上げるような感覚は、七年という月日が経っても、生々しく覚えている。

大きく地面が揺れ、恐怖を全身で感じたのも覚えている。

震災から四年後の中学三年生。

重い足取りで当時二ヶ月間だけ通った小学校に向かった。

校舎は半壊。なにもかもが流されていた。

そして、一番仲の良かったY君が教えてくれた。

「十九人。M先生も。俺達七人残して、みんな死んだ。目の前で津波に。」苦しそうに、でも目を見てはっきりと伝えてくれた。

人は脆い。

こんなにも、大切な人を失うのが苦しいなんて知らなかった。

今、自分が生きていることは奇跡だと。

今、生きていることに感謝を。