惜別 ソフトバンク2018戦力外(4)寺原隼人
甲子園で150キロ超えを連発し、全国にその名を轟かせた寺原隼人。
2002年のドラフト会議では巨人、横浜、中日と4球団が指名。
王貞治監督が当たりくじを引き当てホークスに入団した。
一年目6勝。
優勝した2003年は7勝と着実にステップアップしているかに見えたが、
2004年は開幕でつまずき二軍暮らしが中心。
2005年には左足首靭帯の断裂。
2006年は先発ローテに返り咲き、プロ初完封を挙げたものの3勝止まり。
この年のオフ、横浜ベイスターズへ移籍。
さらに2010年オフにオリックスへ移籍。
2012年オフ、FAを取得しホークスに戻ってきた。
横浜ではストッパーとして2008年に22セーブ。
2011年オリックスでは先発の中心で12勝を挙げるなど
さまざまなキャリアを積み、7年ぶりに帰ってきたホークス寺原は
先発、中継ぎ、敗戦処理。なんでもござれ。
工藤監督元年の2015年は21試合に登板し8勝3敗2ホールドだった。
寺原と言って思い出すのは2つ。
1つ目は2003年、福岡ダイエーホークス優勝の時のビールかけ。
優勝が決まったのは9月30日。
寺原は10月9日生まれなのでまだ19歳ということで、
会場ではわざとらしくコーラをもって会見に挑んでたが、
あれ絶対飲んでたよなぁ・・・。
今なら絶対問題になるけど、当時はまだおおらかな時代だったのだろう。
ちなみに日本一になった後のビールかけでは
20歳になった寺原投手。しっかりビールを書けたりかけあっれたりしてました。
それからもう一つ印象に残ってるのは、ドカベンプロ野球編。
ドカベンの中では、なんと寺原は高卒一年目で開幕投手を務めたのだ。
サードの岩鬼に「てらっぱらぁ」と言われてたのが印象的。
あれ?試合での雄姿一切書いてないや(笑)。
FA復帰後の寺原は、ベテランとして中継ぎとしても先発としても
ソツなく仕事をこなしている印象がある。
今季も21試合に登板し4ホールド。
防御率2.39。
編成の都合上戦力外になったが、まだまだ活躍の場さえ与えられればチャンスはある。
古巣のベイスターズが興味を示しているとの報道が。
ホークス⇒ベイスターズ⇒バファローズ⇒ホークス
珍しい2球団目の古巣出戻り移籍となるのか?