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惜別 ソフトバンク2018戦力外(4)寺原隼人

2018.11.11 15:00

甲子園で150キロ超えを連発し、全国にその名を轟かせた寺原隼人。

2002年のドラフト会議では巨人、横浜、中日と4球団が指名。

王貞治監督が当たりくじを引き当てホークスに入団した。

一年目6勝。

優勝した2003年は7勝と着実にステップアップしているかに見えたが、

2004年は開幕でつまずき二軍暮らしが中心。

2005年には左足首靭帯の断裂。

2006年は先発ローテに返り咲き、プロ初完封を挙げたものの3勝止まり。

この年のオフ、横浜ベイスターズへ移籍。

さらに2010年オフにオリックスへ移籍。

2012年オフ、FAを取得しホークスに戻ってきた。


横浜ではストッパーとして2008年に22セーブ。

2011年オリックスでは先発の中心で12勝を挙げるなど

さまざまなキャリアを積み、7年ぶりに帰ってきたホークス寺原は

先発、中継ぎ、敗戦処理。なんでもござれ。


工藤監督元年の2015年は21試合に登板し8勝3敗2ホールドだった。


寺原と言って思い出すのは2つ。

1つ目は2003年、福岡ダイエーホークス優勝の時のビールかけ。

優勝が決まったのは9月30日。

寺原は10月9日生まれなのでまだ19歳ということで、

会場ではわざとらしくコーラをもって会見に挑んでたが、

あれ絶対飲んでたよなぁ・・・。

今なら絶対問題になるけど、当時はまだおおらかな時代だったのだろう。

ちなみに日本一になった後のビールかけでは

20歳になった寺原投手。しっかりビールを書けたりかけあっれたりしてました。


それからもう一つ印象に残ってるのは、ドカベンプロ野球編。

ドカベンの中では、なんと寺原は高卒一年目で開幕投手を務めたのだ。

サードの岩鬼に「てらっぱらぁ」と言われてたのが印象的。


あれ?試合での雄姿一切書いてないや(笑)。


FA復帰後の寺原は、ベテランとして中継ぎとしても先発としても

ソツなく仕事をこなしている印象がある。

今季も21試合に登板し4ホールド。

防御率2.39。

編成の都合上戦力外になったが、まだまだ活躍の場さえ与えられればチャンスはある。


古巣のベイスターズが興味を示しているとの報道が。

ホークス⇒ベイスターズ⇒バファローズ⇒ホークス

珍しい2球団目の古巣出戻り移籍となるのか?