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出会いと別れ

2024.02.04 05:57

和み不具合中(・_・、)休@nagomu_toki

出会いと別れ 寂しさ温かさ 様々な日常を 繰り返しここに居る

起こる事は変えれない 誰のせいでもない現状に 時に目を伏せ 時に見つめどう在るか問う

大切にと願うのはあなたの心だけ どんな状況でも楽しむ心を忘れずに 小さな幸せ感じて

今日も温かさに 包まれてそこにいてね 約束ね


Facebookごとう 孝二さん投稿記事 「出会いと別れで人生は成り立っている」

〜別れのない人生に成長はなく それがいずれ自分を輝かせる糧になる 〜

出会いだけで、人生は成り立っておらず 別れだけでも、人生は成り立っていません。

出会いと別れ、両方あって人生は成り立っています。

子ども時代の出会いと別れは 入学式と卒業式として、大人が用意してくれます。

でも、大人になってからは、自分でそのタイミングを決めないといけません。

自分がしない限り、誰も何もしてくれないのです。

子ども時代の卒業式は、その瞬間だけが悲しく 卒業式後の春休みも、旅行に行ったりアルバイトをしたり楽しめることがいっぱいです。それは、次の入学式が決まっているからです。

自分がどこに行けばいいか、何をすればいいかが明確に決まっているからです。

でも、大人になると、みんなと一緒に卒業するのではなく タイミングも自分で決めて自分一人で卒業しなければならないので、とても孤独です。

次の入学式も、自分が決めた入学式なので 本当にそこで自分が受け入れてもらえるかどうかも、仲間が作れるかどうかも分かりません。

不安いっぱいの、いつ入学できるかも分からない春休みを 楽しく過ごせと言われても、心から楽しめないかもしれません。

大人の別れは、なかなかにハードです。それは、全部自分で決めないといけないからです。

すべて、自分に責任が掛かってくるからです。でも、人生は、出会いと別れで成り立っています。それを繰り返すことで、成長するようにできています。

別れのない人生に、成長はなく その別れが、いずれ自分の未来をキラキラに輝かせる糧になるのです。

別れは、悲しいものではありません。一瞬泣いたら、空を見上げて、体いっぱいに太陽の光を浴びましょう。あなたの新たなステージが、始まっていきます。

この度勾玉セラピーを卒業することになりました。心からみんなにありがとう…みんな大好きです♡お元気で…。また会おうね!


【イワン・オソキンの不可思議なる人生: グルジェフとの邂逅を経て書き改められた初期の自伝的作品 】より

本書はP・D・ウスペンスキーが1905年に草稿を書き上げた最初期の作品で、ロシア語版は『ターシャム・オルガヌム』に続いて1915年に出版された。実話と虚構を交ぜてだが、基本的に彼自身をモデルにしている。

青春小説・恋愛小説という体裁ながら、内容は深甚である。過去を修復しようとしても修復できない歯がゆさはあるが、それでも奮闘する意志を示した筋立てで、学校時代に始まる彼自身の過去を取り上げながらも、グルジェフとの出会いを含めた彼自身のそれからの人生を暗示する内容となっている。

生の反復、すべては起こるがまま、機械仕掛けの人生、自分を変えることの不可能性、未来を知ることがはたして役に立つかという問題など、本書で扱われたテーマのいくつかは、グルジェフがウスペンスキーと論じたものとして、『奇跡を求めて』の最初の数章にも取り上げられている。

ウスペンスキーがテレパシー的な能力を使ってまだ見ぬグルジェフから教えを受け取っていたのでなければ、グルジェフのほうが彼自身の初期の教えでの強調点をウスペンスキーに合わせたと考えられる。

本書はウスペンスキーの遺作でもある。1947年10月、ウスペンスキーが死んだのと同じ月のうちに、あらかじめ用意された遺言であったかのように、最後の二つの章を大幅に書き改めて内容を拡充した本書の英語版が出版されたからである。処女作にして遺作という本書の位置付けは、生の反復、過去と未来の交錯といった、本書のテーマと重なり合い、本書に込められたメッセージを特別に意味深なものとしている。

「ぼくは自分が正しいと思い込んでいた。自分の力を過信していた。自分のやりたいようにやりたかった。恐いもの知らずだった。ふつう人が大事にするすべてのものを投げ捨てて、省みることなく行動してしまった。でも、いまぼくは、自分のこれまでの人生の半分を取り消して、みんなと同じような人生が歩めるよう、いっさいをやり直してみたい」

日本語版の内容は、最後の二つの章を除いては、1947年版英語版に基づいている。この部分に関してはロシア語版との間に決定的な差はないが、目立った変更や大きく加筆された部分は、注釈によって書き改めの概略がわかるようにしている。大幅に書き改められた最後の二つの章については、1915年版ロシア語版の内容と1947年英語版の内容の両方を収録している。

『ウスペンスキーの他の著作の多くが、彼自身を離れて思想や知識を扱ったものであるのに対し、本書は、彼自身の人生のプライベートな部分を直接的に扱った例外的な一冊である。本書は真にウスペンスキーのものであり、グルジェフがその内容をくみとった傑出した作品として

注目されるにふさわしい。

彼の経歴に関する米国の出版社による虚偽の表示を原因として広まった人々の誤解から、ウスペンスキーは知の巨人としてもてはやされ、彼自身もそれに乗じたところがあるが、本書では、知ることの無力をひとつのテーマとし、頭の悪さを自分の最大の欠点として挙げている。教師あるいは知識人としてのプライドに満ちたウスペンスキーの語りしか知らない多くの読者が驚くであろうこととして、本書では、思想と人生の間の分離がない。

じつにウスペンスキーは、「自分を思い出すこと」とも解釈しうる「自己想起」を説きながらも、振り返るなら1905年以降、本書に描かれた行き詰まりからの出口を探すなか、神智学とオカルトへの傾倒、ハシーシを使った実験、奇跡を求めてのインド旅行といったことを経て、その目は決定的に外側へと向かい、それを内側に向かわせようとするグルジェフの働きかけは、彼のなかに不満と反発を呼び起こした。そして、1924年のグルジェフとの絶縁宣言を経て、人生の最晩年、ふたたび本書に立ち戻るまで、自分自身にフォーカスを向ける姿勢を示したことがなかった。自分が在るということ、それが意味することへの思いの表明をもって本書は終わっている。