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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ペスト襲来5-過去最大のユダヤ人迫害

2018.11.09 07:01

ペスト禍と共に起きたのがユダヤ人虐殺である。もちろんこれはペストのスケープゴードにされただけで、今に始まったことではなかった。1320年には、ボルドーや南仏で虐殺が起きた。ユダヤ人はラテラノ公会議以降、とがったユダヤ帽や黄色の布をつけるよう強制され、イングランドやフランスから追放されたが、教皇は虐殺には反対した。

ユダヤ人への偏見に大きな役割を果たしたのは、王による借金解消目当ての口実や、教会の範囲外の民間説話や宗教劇のようである。それを背景にして、特にドイツでは、ペストの原因はユダヤ人が井戸に入れた毒だとされて、犯人が民衆の拷問によって白状させられ、各地でユダヤ人虐殺が発生した。

ペストが起こったコンスタンツでは、ユダヤ人が2軒の家に閉じ込められて家ごと焼かれた。スイスのチューリヒやバーゼルでも同様の事件が起こっている。ストラスブールでは町の参事会議員は「証拠がない」と反対したが、パニックになった町の住民を止めることはできなかった。フランクフルトには大きなユダヤ人街があったが焼打ちに会い、その財産皇帝カール4世の借金の穴埋めとされた。皇帝の借金の担保はユダヤ人だったのだ。

教皇クレメンス6世はアヴィニョンなどではユダヤ人を保護し、ユダヤ人虐殺阻止のお触れを出した。西欧各地でペストで起こったユダヤ人迫害は、第二次世界大戦前では最大だった。ユダヤ人はポーランドや東欧に行くことになった。イタリアだけはユダヤ人の虐殺はなかったようだ。

下はストラスブールのユダヤ人虐殺