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源法律研修所

呪縛され続ける日本

2024.02.06 12:10

1 神道の特徴

 従来の宗教学は、一方で、宗教を自然宗教創唱宗教に大別した。

  ここに自然宗教とは、創始者をもたない宗教のことで、世界中の原始宗教と、ユダヤ教、ヒンズー教、道教、神道などがこれに当たる。

  これに対して創唱宗教は、ゾロアスター教、仏教、キリスト教、イスラム教、儒教などのように創始者をもち、その教説に従っている宗教をいう。平たく言えば、開祖や教祖がいる宗教だ。「創唱」とは、人に先がけて、はじめてその主張を世に明らかにすることをいう。


   他方で、宗教の伝播範囲に着目して、村落型の部族宗教、血縁・地縁・慣習などを共有する民族宗教、人種・言語・国家を超えた世界宗教に分類した。

  なお、民族宗教にいう「民族」は、近代国家におけるnationネイション国民ではなく、民族学におけるethnosエトノスを意味する。エトノスとは、「同一の文化的伝統を共有するとともに,〈われわれ何々族,何々人〉という共属意識をもつ最大の独立した単位集団」をいう(『改訂新版 世界大百科事典』平凡社)。


  これらの分類に従えば、キリスト教や仏教は、創唱宗教かつ世界宗教であるのに対して、神道は、自然宗教かつ民族宗教ということになる。


 先史時代のアニミズムから自生的に発生し、数万年の長きにわたって発展してきた神道には、同じ自然宗教かつ民族宗教であるユダヤ教とは異なり、厳密な意味での教典や教義がなく、祭祀(神や祖先をまつること)を行うにすぎず、その宗教的実践の多くは、世俗化され生活習慣になっているところに特徴がある。


2 政教分離の原則

 さて、ご存知のように、ローマ帝国滅亡後、キリスト教会は、封建領主に庇護を求めた。その結果、神聖ローマ帝国皇帝は、「キリストの代理人」として、大司教、司教を叙任した。いわゆる王国(帝国)教会制だ。

 皇帝は、ローマ教皇に対しても優位にあり、帝国の最初の100年間における25人の教皇のうち、21人が皇帝によって任命されている。

 この意味で、中世ヨーロッパは、聖俗混交体制だった。


 ところが、聖職叙任権闘争が勃発し、カノッサの屈辱(1077年、対立していたローマ教皇グレゴリウス7世に破門を宣告された神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世は、北イタリアのカノッサ城の教皇を訪れ、3日間、雪の上で赦免を請い、ようやく破門を解かれた。)をきっかけに、聖俗分離革命が起きた。教会が、を独占し、皇帝・王は、へと押しやられることになったわけだ。


 「造物主は教会の天下に2個の主をおいた。その一つは教皇権であって太陽の如くであり、他のひとつは皇帝権であって月の如きものである。教皇権が皇帝権の上位にあることは、あたかも太陽が月に対する如くである」(1215年ラテラン公会議でのイノケンティウス3世の演説)という言葉に象徴されるように、ヨーロッパの歴史は、皇帝権(国家)と教皇権(教会)の相剋の歴史であって、十字軍、異端審問、魔女狩り、宗教改革など、その後も政治と宗教をめぐる血で血を洗う殺し合いが絶え間なく続いた。


 このように11世紀後半、ヨーロッパに芽吹いた聖俗分離(我が国の憲法学では、「国家と宗教の分離の原則」又は「政教分離の原則」と呼ばれる。)を理論的に確立することに多大なる貢献を果たした古典的名著が、1689年のジョン・ロック『寛容についての書簡』(中公バックス『世界の名著32 ロック ヒューム』中央公論社)だ。


 以前、このブログで書いたことだが、同書の要点は、3つだ。

なお、当然のことだが、ジョン・ロックのいう「宗教」というのは、キリスト教を意味する


①  政治の問題と宗教の問題は、明確に区別されなければならない

②  政治は、世俗的事柄のみにかかわり、宗教は、魂の救済にのみかかわるのであって、政治を担当する国家と宗教を担当する教会とは区別され、分離されなければならない  

③  政治と宗教は、お互いに相手の領域に介入してはならない


 ところで、従来の憲法学は、国家と宗教の分離の原則(政教分離の原則)について、通常、次のように述べている。  

「政教分離の主要形態  国家と宗教の分離の原則は、普通は政教分離の原則と呼ばれ、伝統的な人権としての信教の自由と密接不可分の関係にある。もっとも、国家が宗教に対してどのような態度をとるかは、国により時代により異なる。主要な形態としては、①国教制度を建前としつつ国教以外の宗教に対して広汎な宗教的寛容を認めるイギリス型、②国家と宗教団体とを分離させながら、国家と教会とは各々その固有の領域において独立であることを認め、競合する事項については政教条約コンコルダート(Konkordat;教会条約とか和親条約とも言われる)を締結し、それに基づいて処理すべきものとするイタリア・ドイツ型、③国家と宗教とを厳格に分離し、相互に干渉しないことを主義とするアメリカ型がある。日本国憲法における政教分離原則は、アメリカ型に属し、国家と宗教との厳格な分離を定めている。」(芦部信喜『憲法』岩波書店、129頁)


 西洋史やジョン・ロック『寛容についての書簡』からも明らかなように、政教分離の原則にいう「宗教」とは、キリスト教を意味する

 しかも、①イギリス型においては、ローマ・カトリック教会による干渉を、②イタリア・ドイツ型においては、ローマ・カトリック教会とプロテスタント教会による干渉を、③アメリカ型においては、イギリス国教会による干渉を、それぞれ排除することが念頭に置かれている。


3 日本国憲法における政教分離の原則の「宗教」〜32年テーゼと神道指令の呪縛〜

 さて、いよいよここからが本題だ。


 日本国憲法は、信教の自由(第20条第1項前段・第2項)を保障するとともに、政教分離の原則(第20条第3項、第89条前段)を定めている。

 政教分離の原則を定める日本国憲法第20条第3項、第89条前段は、制度的保障であって、人権規定ではないと解するのが通説だ。これに異論を唱えるつもりはない。


 肝心の「宗教」の意義については、信教の自由の「宗教」は広く解すべきだが、政教分離の原則の「宗教」は、「何らかの固有の教義体系を備えた組織的背景をもつもの」と解する見解もある(佐藤幸治『憲法<新版>』青林書院、444頁)。


 しかし、通説は、信教の自由の場合と政教分離の原則の場合とで区別を設けずに、「宗教」を広く捉えている。

 すなわち、「学説では、日本国憲法は、信教の自由とともに、政教分離の原則をも徹底した形で保障するものであるから、「宗教」の概念を広く捉えるべきであると解して、津地鎮祭訴訟名古屋高裁判決(名古屋高判昭和四六年五月一四日行集二二巻五号六八〇頁)の「『超自然的、超人間的本質(すなわち絶対者、造物主、至高の存在等、なかんずく神、仏、霊等)の存在を確信し、畏敬崇拝する心情と行為』をいい、個人的宗教たると、集団的宗教たると、はたまた発生的に自然的宗教たると、創唱的宗教たるとを問わず、すべてこれを包含するもの」のいう定義を引用するのが一般的である」(野中俊彦ほか『憲法Ⅰ』有斐閣、292頁。太字:久保)


 確かに、「鰯の頭も信心から」(いわしの頭のようにつまらないものであっても、それを信仰する人にとっては大事だということ。)と言われるように、信教の自由を十分に保障するためには、信教の自由の「宗教」を、名古屋高判のように広く解すべきだろう。

 しかし、くどいようだが、日本国憲法における政教分離の原則の「宗教」は、比較憲法学的に「キリスト教」を意味すると解するのが筋だろう


 それにもかかわらず、通説が政教分離の原則の「宗教」をこのように広く捉えようとするのはなぜかといえば、日本国憲法が「政教分離の原則を詳しく定めているのは、国家と神道との結びつきによって信教の自由が著しく侵害された経験を踏まえたからである」(前掲:野中292頁)と考えているからだ。

 すなわち、憲法学者は、後述するように政教分離の原則の「宗教」に神道を含めたいがために、神道が国家権力を用いて宗教弾圧を行ったからこそ日本国憲法に政教分離の原則が定められたのだと強弁して、「宗教」を広く捉えているのだ。


 しかし、憲法学者が戦前の宗教弾圧の例として挙げる大正10年及び昭和10年の大本教事件、昭和11年のひとのみち教団事件、昭和17年のホーリネス教会事件、昭和18年の創価教育学会事件は、いずれもあくまでも刑法の不敬罪又は治安維持法違反で検挙されたものであって、信教の自由や宗教自体の弾圧を目的としたものではなく、異端審問や魔女狩りと同列に扱うことには無理がある。信仰や宗教活動は禁止されていないのだから。

 もしこれらが宗教弾圧だというのであれば、例えば、オウム真理教の関係者を刑法の殺人罪等で検挙したことも、宗教弾圧になってしまい、教祖麻原彰晃こと松本智津夫は殉教者になってしまうだろう。


 憲法学者がこのように詭弁を弄してまでなにがなんでも政教分離の原則の「宗教」に神道を含めようとするのは、コミンテルン(Komintjern「共産主義インターナショナル」とも、「国際共産党組織」とも呼ばれる。)から「32年テーゼ」と呼ばれる指令が出され、コミュニスト(communist共産主義者)は、これに従わなければならないからだ

 32年テーゼとは、「1932年5月,コミンテルン西ヨーロッパ‐ビューローにより発表された「日本における情勢と日本共産党の任務に関する方針書」のこと 」であって、「日本の支配体制が,天皇制・地主的土地所有・独占資本主義の3要素より構成される「絶対君主制」であり,日本の革命の性格を,まずブルジョア民主主義革命を行い,ついで社会主義革命に強行的に転化させると,2段階的に規定した。」( 『旺文社日本史事典 三訂版』。太字:久保)


 GHQ(General Headquarters連合国軍最高司令官総司令部)は、コミュニストの巣窟であって、この32年テーゼに基づいて、天皇制・地主的土地所有・独占資本主義を破壊すべく、①神道指令、②農地改革、③財閥解体が行われたことは周知の通りだ。

 コミュニストたちは、32年テーゼが次々にGHQによって実現されていく様を見て、狂喜乱舞したことだろうし、また、日和見主義者たちも、プロレタリア革命の日が近いと実感し、我が身可愛さにコミンテルンに積極的に加担するようになり、大学だけでなく、日本全体が左傾化してしまった。

 ※  32年テーゼについては、谷沢永一『悪魔の思想』(クレスト社)が詳しい。「進歩的文化人」12名の実名を挙げて「国賊」と呼んで、それぞれを徹底的に批判している。


 ハーグ陸戦条約(陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約 (明治45年1月13日条約第4号) )第46条が「宗教の信仰及びその遵行を尊重しなければならない」と明記しているにもかかわらず、GHQは、これに違反して、神道指令(国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件(昭和二十年十二月十五日連合国軍最高司令官総司令部参謀副官発第三号(民間情報教育部)終戦連絡中央事務局経由日本政府ニ対スル覚書))を発した。


 神道指令は、神道を国家から分離すること、神社神道に対する国家・官公吏の特別な保護監督の停止、公の財政的援助の停止、学校・役場などからの神棚等の神道的施設の除去等の具体的措置を命じている。

 神道は、ヨーロッパにおけるキリスト教に相当する「宗教」であるとの認識に基づいて、「天皇制」(この言葉は、共産党用語であって、普通の日本人は「皇室」と呼ぶ。)を正統化し、これを支える神道を国家から分離すれば、「天皇制」が弱体化すると考えられたからだ。


 しかし、神道がキリスト教に相当する「宗教」だという認識は、明らかに間違っていると言わざるを得ない。

 明治政府は、一日も早い不平等条約の改定を望んでいたので、近代化を図るべく、大日本国憲法第28条に「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」と定めて、信教の自由を保障した。

 そして、明治の人たちは、欧米へ留学して、西洋の歴史や憲法を学んでいる以上、欧米における政教分離の原則にいう「宗教」がキリスト教を指すことを当然知っていた。

 だからこそ、神道には、厳密な意味での教典・教義がなく、もっぱら祭祀(神や祖先をまつること)を行うにすぎず、その宗教的実践の多くは世俗化されて生活習慣になっているし、また、いまだかつてヨーロッパの如く国家と神道が対立し合ったこともないから、明治政府は、神道は政教分離の原則にいう「宗教」ではないと考えたのだ。

 そのため、国家と神道が結びついても、西洋の政教分離の原則に反しないので、欧米諸国から遅れた国だと思われないだろうから、不平等条約改定の妨げにならないと考えたであろうことは、想像に難くない。明治政府が乱暴にも廃仏毀釈により神道から仏教を排除したのも、国家と神道が結びつくことが西洋人から見て西洋の政教分離の原則に反するとの誤解を招かないようにするためだったと思われる。

 そこで、明治政府は、王政復古の際に、神祇官を復活させ、官社以下定額及神官職員規則等(明治4年太政官布告第235号)により、伊勢神宮を別として、神社を官社(官幣社、国幣社)、諸社(府社、藩社、県社、郷社)に分ける社格制度を定め、神職には官公吏の地位を与えたり、官国幣社を国庫の負担にするなどの財政的支援を行ったのだ。ここに宗教弾圧の意図など微塵もない。


 32年テーゼが発せられてから92年、神道指令が発せられてから79年。いまだにこれらに呪縛され続け、閣僚が靖国神社に参拝しただけで政教分離の原則に反すると大騒ぎをしているのは異常だ。


 前述したように、憲法学者は、「国家と宗教とを厳格に分離し、相互に干渉しないことを主義とするアメリカ型がある。日本国憲法における政教分離原則は、アメリカ型に属し、国家と宗教との厳格な分離を定めている。」と言うのだが、当のアメリカですら、国家と宗教の分離は、不明確なのだ。


 政教分離を規定した合衆国憲法修正第1条には、「連邦議会は国教を定めまたは自由な宗教活動を禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、ならびに国民が平穏に集会する権利および苦痛の救済を求めて政府に請願する権利を制限する法律は、これを制定してはならない。」とあるのに、例えば、アメリカ大統領就任式では聖書に手を置いて宣誓するし、連邦議会では常に開会の際に牧師が祈りをあげるし、連邦議会上院・下院にはそれぞれ職員たる牧師がいて儀式的、象徴的、司牧的任務を遂行しているし、アメリカの通貨には「我々は神を信頼する」というスローガンが刻まれているからだ。


 日本で、アメリカと同じように、首相就任や国会開会に際して神主が祝詞をあげたり、通貨に「我々は神を信頼する」と刻んだら、靖国神社参拝どころの話ではなく、天地がひっくり返るような大騒ぎになるだろうが、アメリカでは当たり前に行われており、日本における政教分離に対する過剰反応の異常さがよく理解できるのではなかろうか。32年テーゼ・神道指令に呪縛され、洗脳が解けていない証拠だ。


 そもそもアメリカは、1620年、ジェームズ1世・イギリス国教会から迫害されたピューリタン(清教徒)たち(the Pilgrim Fathers ピルグリム・ファーザーズ)がメイフラワー号で大西洋を横断しているときに、「メイフラワー契約」を締結し、新天地に移住するにあたり、「契約により結合して政治団体をつくり、もってわれらの共同の秩序と安全とを保ち進め」ることを誓約し、アメリカ大陸のプリマスに上陸してプリマス植民地を建設したことから建国の歴史が始まった。

 このように、元来、アメリカは、イギリス国教会を国教として認めることを拒否するプロテスタントの宗教国家なのだから、国家と宗教を厳格に分離することには当初から大きな矛盾を抱えているのだ。


 もうそろそろ32年テーゼ・神道指令の呪縛から解放されなければならない。在留外国人が増加し、憂慮すべき問題が続発しつつある現在、我が国の国柄(constitution)に合った国家と宗教の在り方を真剣に模索しなければ将来に禍根を残すことになろう。