1月1日 元旦 (高台へ避難)
2歳の長男と4歳の次女を一旦安全な外へ連れ出すと,
玄関ポーチがボコボコに隆起して,
コンクリートの接合部がパックリ割れていました。
すると,みるみるうちに歩道側からボコボコと水が噴水のように吹き上がり,
父親が急いで水道の元栓を締めたのですが一向に止まらず。
「液状化しとる!」と瞬時に叫んだのです。
傾いた倉庫側からも泥が混じった水があふれてきて,
一瞬で泥水があたりに広がりました。
「毛布や掛布団をできるだけ積んで!」
「貴重品,飲み物,食べられるものも!」
「子どものおむつと靴も忘れないで」
「ブレーカー落として!」
「家の鍵を全部閉めて!」
一番上の珠洲の姉が冷静に指示を出してくれて,
パニックになりながらもそれぞれがテキパキと動き。
(この時は断水になるということが頭になく,
お風呂の水を貯めなかったのが後で悔やまれました)
避難準備をしている間も何度も余震が襲い,
アラームが鳴るたびに家から脱出。
ようやく子どもを車に乗せると,2歳の長男が泣くでもなく,
全身をただワナワナと震わせて,瞬きをすることもなく唖然としていました。
パニックになっていた私もこの時にハッとして,
「大丈夫だよ,今から安全なところにみんなで車で行くからね」と声をかけて,
ようやく我に返ることができました。
ハザードマップ上,我が家は津波浸水域ではなかったのですが,
脳裏に焼き付いている東日本大震災の津波の光景が思い起こされ,
近くの高台へ避難することに。
車で家を出ると,近くの店舗の駐車場が地割れしていたり,
我が家と同じように液状化が起きて傾いている建物があったり。
1階がつぶれてしまっている家もありました。
古い家がすべて潰れているわけでもなく,
被害の程度がバラバラなのが見て取れました。
車で5分もかからない高台にある体育館の駐車場に到着。
車のナビでニュースを見ると,
アナウンサーが荒い声色で避難を呼びかけ,
輪島の朝市あたりが燃え上がる様子が。
アルプラザに向かっていた子どもたちと義兄とは連絡が取れて,
無事に合流することができました。
思わず子どもたちを抱きしめ,涙があふれました。
子どもたちも店舗内で大きな揺れに襲われて,
みんなで外に飛び出して固まって身を守っていたそうです。
毎年お正月は,お昼ご飯を食べてしばらくすると解散するのですが。
今年は雪もなくいい天気だったので,ゆっくりしていた矢先の地震。
もし,いつも通り穴水で集まっていたら。
もし,いつも通りの時間に解散していたら。
穴水で大きな被害に遭っていたかもしれない。
帰途についている珠洲の姉家族は,道路の寸断で孤立していたかもしれない。
無事でよかった。
命があってよかった。
みんながそろっているお正月でよかった。
学校や仕事でバラバラな時じゃなくてよかった。
いろいろな偶然に感謝し,
最悪の状況を回避できた安堵感からやや震災ハイになっていた
震災直後でした。