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よりよく生きるための俳句

2024.02.05 11:40

https://ameblo.jp/197001301co/entry-12724507960.html 【よりよく生きるための俳句】より

①選という海

 「滝」を継いでもうすぐ六年になります。主宰となって一番変わったのは、当然の事ですが選を「される側」から「する側」になったということ。ある程度予測していたこととは言え、結社内外問わず、見せて戴く俳句の数は日に日に増えています。

 俳句の選は、私にとって俳句を作るより非常に神経を使う作業。はじめの頃は、歳時記の例句と季語だけ違う句を採ってしまったりと失敗もありました。選者というのは、特別偉いからなれる、とか、物凄い実力があるから、というより、私の場合だと置かれた境遇、立場、そしてタイミングによりその役割を与えられた、と考えるのが妥当かと思います。言葉のニュアンスはあまり適当でないかもしれませんが、いわば選者は「釣り人」。ここぞというポイントに狙いを定めて良い句を釣り上げる。その為には釣り竿や釣り針をきちんと手入れし、体調を整え、良いコンディションで選句の海に漕ぎ出さなくてはいけません。

 今回はその選をする際の「基準」から、「俳句」を考えてみました。

 ②詩の純度

 先日行われた松島芭蕉祭において、招聘選者夏井いつき先生が、選の基準として「詩の純度、オリジナリティ、リアリティ」を挙げられました。また「俳句の選は結局、選者の好き嫌い」という通念を越えて、どの選者にもこの基準は共通してあるとのこと。200句なりの句の中で50句のふるいの中に残る句は、各選者重なっていることが多い、というお話は実に頷けるものでした。実際、チェックは入れていたが私の選からは漏れてしまった句を、他の先生が採って下さっていた例がたくさんありました。

 複数の選者がいて、どの選者の選にも入らない句と言うのは、やはりその三つが他の句に比べて弱いと言い換えられるかもしれません。結果に一喜一憂せずに、自句に欠けているのはどの部分なのかを検証してみるのも、俳句大会における学びのひとつであろうかと思います。

 やはり俳句の選の筆頭に挙げられるのは「詩情」の部分であると思います。「詩の純度」の部分と言えるでしょう。

 では「詩情」というのはどこに宿るのか。それは「芸術」における価値判断の基準を知ると明確になるかと思います。詩人萩原朔太郎は言います。

 「あらゆる人間文化の意義は、宇宙に於ける意味に於て、真善美の普遍的価値を発見することに外ならない」「芸術の価値批判は「美」であって、この基準された点からのみ、作品の評価は決定される」「芸術の評価はこれ(美 ※筆者注)以外になく、またこれを拒むこともできないのである」。

 ③美という基準

朔太郎の論評は全般的に、詩人特有のエキセントリックさが少々勝っている気もしますが、私にとって芸術や文化の基準を考える際の大いなる礎となっています。

「真善美の普遍的価値を発見する」の「真」と「善」の部分は、道徳的、倫理的側面が絡んでくるので、詩の評価基準に持ち込むにはやや慎重さを要しますが、「美」に基準を置くというのは、一番安らかで正直な方法であるとも思います。

「美」に基準を置くというと、きれいな景色とか雅な言葉、と思われがちですが、「美」というのはそういった一見わかりやすいものだけに宿るのではないことは「美」を辞書で引くとはっきりします。

「美―知覚・感覚・情感を刺激して内的快感をひきおこすもの」

(広辞苑第五版)

 かみ砕いてしまえば、「美」とは「人の心を揺さぶる」ものとも言えそうです。必ずしもうっとりきれいな言葉とか、光景として美しいというだけでなく、「より情線に振動をあたえるもの」(朔太郎)であると言えるでしょう。岡本太郎も言います。「美しいというのはもっと無条件で、絶対的なものである。見て楽しいとか、体裁がいいというようなことはむしろ全然無視して、ひたすら生命がひらき高揚したときに、美しいという感動がおこるのだ。それはだから場合によっては、一見ほとんど醜い相を呈することさえある。無意味だったり、恐ろしい、またゾッとするようなセンセーションであったりする。しかしそれでも美しいのである」。

 必ずしも表面的な「きれいきれい」ではない。得体の知れないものの中に「美しさ」を感じた経験、というのは誰にでもあるのではないでしょうか。

 いろいろな「美」を含め、人はあらゆる場面で「美」を求め「美」に憧れます。

 なぜ人が「美」を求めるか。料理家の辰巳芳子氏は「「美」を追い求めることで、自然に自分のいのちを完成させやすいのではないか」と言います。辰巳氏によれば、「「美味しい」ということは人間にとってもっとも分かり易い「美」であり、美味しいものを求めるということは「いのちを守りやすくするため」と言います。「「美」を求めていくことで、人間は生きやすくなる」と。

 ④よりよく生きる

 人間にそもそも備わっている「美」を求める心。それはよりよく生きたい、という人間の根源的な欲求に繋がっている。さらに「美」を追求するためには、自分というちっぽけなものだけを相手にしていては、到底見えてこないものなのかもしれません。

俳句という文芸の大きな特徴は「四季」「自然」を相手にするということ。またわかりやすい特徴のひとつに句会の場などで他者の作品に触れる機会が多いということが挙げられます。これらは、自分以外のものに目を向けることで世界の広さや奥深さを感じられるというメリットがあり、よりよく生きられるということに繋がるのだと思います。

 完成された人生や人格の果に文学作品があるのではなく、俳句を作り、また鑑賞することで自分自身を完成させてゆく、というのはとても魅力あふれる行いであることは間違いありません。

おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ  加藤楸邨

 ぼんやりとした朧の中で、朧なる自分がおぼろなる考えをくゆらせている。俳句を通してさまざまを考えるのはひとつの愉楽でもあります。

 この「虚実淙淙」も「滝」創立三十周年にあたる十二月のタイミングでちょうど五十回目となりました。

 近頃は俳句の「選」を通して俳人として鍛えていただく機会をたくさん得ています。俳句にかかわることで、少しずつ人生を完成していけたら、と思っています。

 皆様いつもあたたかく見守って下さり、本当にありがとうございます。

 

参考文献

萩原朔太郎『詩の原理』 筑摩書房 1975年

岡本太郎『自分の中に毒を持て』 青春出版社 1993年

辰巳芳子/小林庸浩『辰巳芳子のことば 美といのちのために』小学館 2007年

(「滝」2021年12月号 所収)


https://ameblo.jp/197001301co/entry-12724507525.html 【俳句形式への信頼 ~岸本葉子句集『つちふる』】より

  近頃、多くの句集が発行所及び私宛に届く。コロナの影響で在宅の時間が増え、これを機に自句をまとめられる方が多いのかもしれない。

 今回はその中から、いわゆる専門の<俳人>でない作り手の作品を紹介したい。

日常をあたたかな視点ですくい取ったエッセイが人気の岸本葉子氏は、Eテレ「NHK俳句」の司会でもおなじみ。本書が第一句集。2008年から俳句をはじめたという氏の、初学の頃から2020年の間の作品より349句を収録。

 俳句形式への絶対的な信頼感が全編に溢れる。いわゆる<俳人>の句より、より一層俳句が俳句であることの魅力を感じさせる句群。散文を生業とされている氏だからこそ、俳句に向かう際は、俳句が韻文であることを一層意識されたのではないだろうか。慎重に丁寧に、俳句形式及び対象に向き合った成果がこの一冊に凝縮されているように思う。

 安定感の中に、ハッとさせられる感受がそこここに溢れる。

 きさらぎの鎖骨に触るる聴診器         一巻に生涯全句青嵐

 椅子の背と背骨の間秋の暮           永き日の水に膨れて段ボール

 行く春の膳にたたまれ箸袋           立冬の荷台に瓶を括りたる

 季語の斡旋の絶妙さ。取り合せの季語に正解、不正解、などというものはそもそも存在しないのだが、その距離感が難しいと感じる人は多い。そんな方々にこれらの句は「よいあんばい」を提示しているともいえる。

以下のような鮮烈な一句も。

  文字を書く奥歯に力草田男忌

 「奥歯に力」。こちらも思わず歯を食いしばってしまうような、身体感覚にぐいと踏み込んでくる力強さ。万緑の中に白い乳歯をのぞかせていた赤子へと、読者の記憶をうっすらリンクさせるうまさ。

 俳句形式への信頼は以下のような句にも見られる。

 桐ひと葉二度うらがへり落ちにけり       囀りのことに昂る一樹あり

 <桐一葉日当りながら落ちにけり 高浜虚子> <囀りをこぼさじと抱く大樹かな 星野立子>等の句のオマージュとも取れるが、季語に寄り添い、俳句を愛し、のびやかに作句されている様子がよく伝わってくる。

 向日的な明るさを感じさせる句が多い中で、うっすらとした不安感の表出も。心惹かれる数句を。

 どぶ川に微熱ありけり蚊食鳥         烏瓜この隧道に出口なし

 月夜茸方位磁石の回り出す           足もとのすでに沼なる花野かな

 また、抑制された表現の奥にひそやかなメッセージ性を感じさせる句も。

 殉教といふ死ありけり花カンナ  冬天や血痕ひとつなき広場

 句材、表現ともにバラエティに富んでおり引き込まれる。

 「疫病の蔓延する中、還暦を機に句集をまとめるという目標が固まっていった。2300句ほどの中から選んで並べる試みだ。ひとりの作業も、孤独ではなかった。一句一句に、その句の生まれる場を共有した人々を思い出していた。(あとがきより)」

 コロナという出来事は、人々に「時間」と「内省」の機会を与えたと言ってよい。

 これまでの周りの方々との関係性を振り返り、これからの自分の行く道をじっくり模索する。

 郭公の平らにしたる湖か          幽霊の置きわすれたる手拭ひか

 水音か枯葉のこはれゆく音か

 氏はこういった疑問形の使い手でもある。

 その静かなる問いは今後どのような方向に向かい、私たちにどんな世界を見せてくれるのだろうか。

 風に浮く頁一枚夏はじめ

 氏の俳句作品の次なる一頁にも大いに期待したい。(『つちふる』岸本葉子 著

角川書店1800円(税別))(「滝」2021年10月号 所収)