俳句と聖書
https://www.boomplay.com/episode/1811974 【俳句と聖書|『奥の細道』導入】より
「シリーズの紹介」
『俳句と聖書』は、『東北の教会』の書評コーナー“From the Bookshelf”において書評を担当する、アマチュアの作家・俳人である小林和真(林想永)が、十七音字からなる日本の誇るべき短詩である「俳句」を通して聖書や、キリスト教について、みなさまと共に考えていくポッドキャストです。
「今回の要点」
『俳句と聖書』の第一回目からは、松尾芭蕉の俳諧紀行の名作である『おくのほそ道』を紐解いていきます。 今回は松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅を始めるに至った根本動機を述べる第一章「発端」を見ていき、松尾芭蕉の死生観・世界観、日本人の死生観・世界観と、聖書の語る死生観・世界観を考察する回となっております。
※いくつかの誤りを訂正いたします。「関所(せきしょ)」を「かんしょ」と発言した誤りがあります。また、『日本人の死生観』を著された「立川昭二(たつかわしょうじ)」さんの名を「たちかわしょうじ」さんと発言してしまい、大変失礼いたしました。
https://blog.goo.ne.jp/kamisanbi/e/b13b76935daeb3958403402770218593 【ある俳句と聖書の言葉】より
ある俳句と聖書の言葉
「ランドセル俳人の五・七・五」(小林 凜)の句はいいと思う。想像を膨らませてくれる。
聖書の言葉と並べてみました。
(創世記1:1)「はじめに神は天と地とを創造された。」
紅葉で神が染めたる天地かな
○
(詩編8:3,4)
「わたしは,あなたの指のわざなる天を見,あなたが設けられた月と星とを見て思います。
人は何者なので,これをみ心にとめられるのですか,人の子は何者なので,これを顧みられるのですか。」
空へ投げ一番星になる海星(ひとで)
○
(創世記1:6-8)
「神はまた言われた,『水の間におおぞらがあって,水と水とを分けよ』。そのようになった。神はおおぞらを造って,おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり,また朝となった。第二日である。」
かき氷 含めば青き 海となる
○
(ルカ2:11,12)
「きょうダビデの町に,あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキストである。あなたがたは,幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが,あなたがたに与えられるしるしである」。
春の虫 踏むなせっかく 生きてきた
○
(ヨハネ3:7,8)
「あなたがたは新しく生れなければならないと,わたしが言ったからとて,不思議に思うには及ばない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが,それがどこからきて,どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな,それと同じである」。
乳歯抜けすうすう抜ける秋の風
○
(マタイ5:3)
「こころの貧しい人たちは,さいわいである,天国は彼らのものである。」
生まれしを幸せと聞かれ春の宵
○
(マタイ10:29)
「二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ,その一羽も地に落ちることはない。」
子すずめや 舌切られるな 冬の空
○
(マタイ6:28-30)
「なぜ,着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか,考えて見るがよい。働きもせず,紡ぎもしない。しかし,あなたがたに言うが,栄華をきわめた時のソロモンでさえ,この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
きょうは生えていて,あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ,神はこのように装って下さるのなら,あなたがたに,それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。」
ねこじゃらし祖父の土産に摘みにけり
○
(ヨハネ15:12)
「わたしのいましめは,これである。わたしがあなたがたを愛したように,あなたがたも互に愛し合いなさい。」
おお蟻よ お前ら国 いじめなし
○
(ヨハネ14:6)
「イエスは彼に言われた,『わたしは道であり,真理であり,命である。だれでもわたしによらないでは,父のみもとに行くことはできない。』」
蟻のみちゆく先何があるのやら
○
(マタイ27:21-23)
「総督は彼らにむかって言った,『ふたりのうち,どちらをゆるしてほしいのか』。彼らは『バラバの方を』と言った。ピラトは言った,『それではキリストといわれるイエスは,どうしたらよいか』。
彼らはいっせいに「十字架につけよ」と言った。
しかし,ピラトは言った,『あの人は,いったい,どんな悪事をしたのか』。すると彼らはいっそう激しく叫んで,『十字架につけよ』と言った。」
いじめ受け土手の蒲公英(たんぽぽ)一人つむ
○
(ヨハネ19:17)
「イエスはみずから十字架を背負って,されこうべ(ヘブル語ではゴルゴダ)という場所に出て行かれた。」
冬蜘蛛が糸にからまる受難かな
しかられて一人のときも吊忍
○
(ヨハネ20:7)
「シモン・ペテロも続いてきて,墓の中にはいった。彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが,イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて,はなれた別の場所にくるめてあった。」
蝉のからお払い箱となりにけり
○
(ヨハネ20:19)
「その日,すなわち,一週の初めの日の夕方,弟子たちはユダヤ人をおそれて,自分たちのおる所の戸をみなしめていると,イエスがはいってきて,彼らの中に立ち,『安かれ』と言われた。そう言って,手とわきとを,彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。」
捨てられし 菜のはな 瓶でよみがえり
○
(ルカ20:13-15)
「この日,ふたりの弟子が,エルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村へ行きながら,このいっさいの出来事について互に語り合っていた。
語り合い論じ合っていると,イエスご自身が近づいてきて,彼らと一緒に歩いて行かれた。」
尺取虫一尺二尺歩み行く
○
(ルカ24:50,51)
「イエスは彼らをベタニヤの近くまで連れて行き,手をあげて彼らを祝福された。
祝福しておられるうちに,彼らを離れて,天にあげられた。」
羽化したるアゲハを庭に放ちけり
○
(マタイ24:30)
「そのとき,人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき,地のすべての民族は嘆き,そして力と大いなる栄光とをもって,人の子が天の雲に乗って来るのを,人々は見るであろう。」
マンゴーや夕日と同じ色をして