Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

たくさんの大好きを。

拝啓 あなたへ 1

2024.02.05 20:27

不思議な事があるものだなって思った。


「ねえ、聞いて」

そう聞こえた。聞いた事があるような、不思議な感覚。耳に心地悪くは響かない。でも、少しの違和感。

なんだろう、と振り向こうとすると、背中にふわっと体温を感じた。

あたしは獠のツケを払った帰り道で。

もう日が随分落ちて、急いで夕食を作らなきゃと頭の中でその日の献立を考えながら、馴染みのスーパーへと駆け足で向かっていた。

晴れない心を抱えて。

そんな時に不意に起こった出来事だった。



「夢、だったのかな……」

「何がだよ?」

背後から降る声に、思わず勢いをつけて振り返ると、不機嫌そうな顔をして獠がこちらを見ていた。

「…気配消して後ろに立たないでって言わなかった?」

「消してねーよ。お前が気づかなかっただけだろーが」

ぶっきらぼうな言い方にカチンときて、お互い睨み合うような態勢になったが、もういい、と小さく呟いて先に香が視線を外す。

「……なーにイライラしてんだか、香ちゃんは?」

今度は揶揄うように、ほんの少し目尻を下げながらニヤリと口角を上げる様子に、体温が瞬時で跳ね上がっていく。

跳ね上がったと同時に、右手に持ったさっきまで寸胴鍋を掻き回していたお玉を、バンと側にあったダイニングに叩きつける。

地味に右手が痛い。そんな様子に獠の眉がぴくりと上がる。 


時刻は午後五時四〇分。

時計の時刻を確認して、少しだけ冷静に戻る。何より今優先するのは夕食の準備だ。

向き合っていた体を反転させて、無言で寸胴鍋をゆっくりとかき混ぜていると、躊躇うように問いかけてくる。

「……お前さ、最近───」

「あのさ、さっきのだけどね」

獠の言葉を遮りたかった。だってあんなに普段どうりを心がけていたのに、気づかれているのかと胸が跳ねたから。

咄嗟に出た言葉に、

「さっきのって? なんだよ?」

と、怪訝な顔で覗き込んできた黒い瞳は揶揄うような素振りはなくて、続きを促す。

「だから、さっきね家に帰る途中で、不思議な事があったの」

「不思議? なんだよそれ?」

「あたしもよく分からないけど」

「あん? こっちこそ全然わかんねーよ」

そりゃ当然よね、と上手く説明できないもどかしさで、腕組みをしながらうーん、と香が唸る。


あれは夢?

幻?

だけど───


ぐつぐつと沸騰する音と共に、今夜のメニューのクリームシチューのいい匂いがふんわりと漂っている。火を止めるカチッという音が会話のないダイニングに低く響いて、香が口を再度開く。

「聞いて。って言われたの」

「……誰に?」

「分からないのよ。だから夢なのかなって」

だけど違うって多分ほんとは分かってる。



『ねえ、聞いて』


そう言って、聞こえた声は、知らないけど知っている声だった。

背中越しに伝わる体温は確かにとても温かった。それに───


『お願い、離れちゃダメ! 絶対!』


背中合わせのまま握られた手は、ひどく冷たくて、冬の寒さのせいだけでは無いと思えるくらいにひんやりと冷え切っていた。

『お願い、一人にしな───』

言葉は掠れるように小さくなりながら、途切れて、背中の体温と手のひらに伝わる冷たさも全部消えていった。




「香ちゃん、疲れてる?」

「…あんたが溜めてくるツケの支払いにね」

こんな時だけちゃん呼びになる事に嫌味な気持ちをちょっとだけ込めながら、下から見上げる。

獠の顔が分かりやすく固まった。プイと背けた顔はバツが悪いのか伏せ目になっているが、何故だか左耳がほんのり赤くなっている。

「何? 耳赤くない? 暑い? でもこの部屋そんなに温度──」

「……この鈍感娘が」

は? という顔をすると、明らかに顔まで赤い獠がジト目でぼそっと呟いた。

「なんなのよ?」

「そりゃこっちのセリフ」

「何よ」

「何だよ」

意地っ張り同士の応酬がいつも通りの雰囲気を連れてきて、自然、香の口元が緩む。

そうだ。こんな日常が大切だったんだ──

その時までずっとこんな風に──

「香?」

「ねえ、ご飯にしよう、獠」

「……早くないか?」

「いいのよ、たまには」

変わらない日常はとても大切だけど、ほんの少しづついつもと違うことを重ねれば、この日常を手放せる勇気が出るかもしれない。


白昼夢──

きっとそうだ。

そう辻褄をつけて、湯気が立つ寸胴鍋を、鍋ごとダイニングテーブルに置かれた鍋敷の上に置くと、

「これだけあれば足りないなんて言わせないからね?」

そう言ってにっこり笑うと、鍋を横目に見ながら獠がフンと鼻を鳴らした。




それから数日後の昼下がりの日。

「なー? これ何だ?」

不意に声が飛んできた。獠がリビングに置かれたチラシを手に取っている。

「特売のチラシだけど?」

何故そんなことを、と思ったが、重なっているもう一枚のチラシが目に入る。

「下のこれな」

人差し指でパンと弾かれた薄いチラシは、弓なりになってひらひらと揺れている。

「…仕方ないじゃない。先月ピンチだったんだから。エアコン代くらいはって思ったのよ」

そこは本当にそうなのだから、問いかけられた質問に、いつも通りの口調で返す。

「だからってなあ…」

「何よ!? 緊急なんだからしょうがないじゃない」

「でもなあ……」

「あー、もう! 生活かかってんだから! 何なのよ!? お金無いんだから副業でもしなきゃ無理じゃない」

「まあ、そこは何とかする」

「は?」

思わず脱力した声が出る。  

「依頼ないのにどうやって?」

「それは、まあ別件っていうかだな、教授経由で受けた分が少しはあるんだよ」

ぽつり、ぽつりと発する言葉に驚いた。

言葉自体にではなく、その意味に。

なんとなく分かっていた。依頼だけでは到底賄えない、冴羽商事の表には出していない出費の事を。

弾一つにしてもお金は必要なのだ。銃器関係や情報屋に払うお金だって必要なくらいは、香も理解していた。ただ獠がそれをどうしているのかを説明する事は無かった。

言いたくないのか、面倒なのかは分からなかったが獠が口にしない以上、香もそれでいいと思っていた。

それが、今、どうして?

「……あるならあるって言いなさいよ」

思う事とは別の想いが口から滑っていく。

「いや、なんていうかまあ……悪い」

悪いことなんて一つもないのに。獠が今まで

生きてきた環境を思えば、話せないことぐらいいくらでもあるはずだから。

「何で謝るのよ? 別にそんなの今に始まったわけじゃないじゃない」

「…もうそろそろお前にも伝えておこうかなって、な」

ズルい。今更そんな事───

「……そう。あ、でもそんなにたくさんじゃなくていいから。今月の電気代! それで充分」

「…分かった」

そういえば、とはたと気づく。何度かこんな事あったっけ? 有りすぎてどの時か忘れていたけれど、どうしても足りなくていよいよ副業か、と頭を抱えていた時に、獠はいつも。


『あ? しょうがねーなー、ほれ、俺の小遣い足してやるよ、今回だけだからな』


『ふーん…、お! タイミングよかったな、香! ちょうど今パチンコで勝ってさー、これ使えよ、仕方なくだからな』


あんたが男の依頼受けないからだ! とその物言いにカチンときて、ハンマーで制裁していたけれど、あれも分かりにくい助け舟だった。

「で、さ、お前」

「…何?」

「これ長期募集ってあるけど、短期の間違いじゃないのか?」

思考が固まる。

赤字で丸を付けた欄をもう一度獠が指で弾く。間違いなんかじゃない。何度も見返しながら最後に一つだけ小さく丸を付けた。

「短期もあるって言ってた」

嘘だ。大丈夫。声は上擦ったりはしていない。

「……そうか。でもこれはもういいよな?」

こくんと頷く。

ツメが甘いって言われた事があるけれど、本当にそうだ。早く捨てておけばよかったのに。

「光熱費払えないのは流石にまずいよなあ。

あーあ、来月くらいは何でも受けてやるよ」

肩をすくめながら、獠が笑う。

「来月だけ?」

声が低くなる。これは長年の条件反射。それに乗っかるように、獠がクッとまた笑う。

「時々は、な。お前にバイトまでさせたなんて知られたら槇村が化けて出てきそうだしぃ?」

「は? あんたが我儘言わなかったらこんな事になってないんですけど?」

「えー? だってりょーちゃん、男の依頼は楽しくないしい?」

クネクネと軟体動物のように揺れる目の前の男に、香の瞳がすうと細められる。

「そういうことだから、俺の勤労意欲が湧くような依頼人を───、て、待て待て、かお───!!」

ドッゴーンという音と共に、冴羽アパートが縦に揺れる。秒で香の手から召喚されたハンマーが今は床にめり込んだ男の頭上に横たわっている。

「フン! 寝言をぬかすな! このもっこりバカ!!」

パンパンと両手を合わせて払いながら、振り向かずにリビングを去る。

これでいいんだと息をひとつ吐く。

獠だって、きっとそう在りたいから今までの日常に乗ってきてくれたんだと思うから。

「でも……」

曖昧なままだった事に多分直球で答えたのはどうしてだろう。今まで変化球ばかりで、それに慣れきっていたのに、今更。

「考えてもしょうがない、か」

こんな時はただひたすら体を動かして、考える時間の隙間すら埋めていくに限る。

そう結論付けて、リビングのドアを開けてやり残していた浴室の掃除へと向かった。




その日は雨が降っていた。

傘を忘れて、駆け足で家路へ急ぐが雨足は強まるばかりで、アスファルトに叩きつけるザーという音が、耳を掠めていく。

ドンと近くで地面に響く音が鳴る。雷雨に変わった空には稲光が走る。

「参ったなあ……」

流石にこれじゃあ、雨の中を走り抜けていくのは危険だと判断をして、ため息をつきながらすぐ側の軒下がある場所に避難をした。

壁にもたれかかり、俯き加減になると鼻先から雫が一つ落ちた。


「また会えたわね」


聞こえてきたのは──

体に緊張が走る。今の今まで人の気配なんて何処にも無かった。それとも、この雷雨の音で気づかなかった? また? でもそう、だってこの声は──

背中越しにあの時と同じ温もりを感じる。

温かい。夢じゃない。

雨音はもう耳に入らない。雨の匂いに混じって、自分とは違う香が、ふわっと鼻先を通り抜けていく。

振り向くと、瞳が合う。

「なんで……」

在るはずがない人。

心臓はうるさく跳ねて、でも瞳は逸らせない。


「また会いたいと願ったから」


癖っ毛が肩先で揺れている。

困ったように笑う顔は鏡の中でいつも見慣れた顔。でも目の前の彼女の方が大人びて見えた。

「初めまして、こちらの槇村香さん。私はあっち側の槇村香。よろしくね」

あたしと同じ顔をした彼女は、同じ声でそう言って笑った。





ごめんなさい🙏になりますが、先に書いていた砂上の暁はいったん引かせて頂きます🙏

時間がだいぶあいていたため、もう少し話を簡潔にまとめてまたアップさせて頂きたいと思います🙏

先にこちらの話を上げさせて頂きます🙏

先の方まで書いているので、今週までにはまた続きを上げたいと思っています🙇

本当にこんな場所までいつもお越しくださってありがとうございます🥹🥹🥹



2024.1.6