情愛とは愛ではなく、「自分の在り方」に徹することできますか?
皆様、あけましておめでとうございます。
新たな年を迎えるにあたり、
生きとし生けるすべてのものにとって、
平安で調和の世界となりますよう
心より祈念致します。
さて、今年も心の本音エネルギー全開で、
年甲斐もなく突っ走る覚悟ですので、
おつき合いの程、よろしくお願い致します。
先日のこんな出来事がありました。
妻が義父から
「家族との関係で悩んでいる相談を受けた」
との話を聞きました。
私も以前から、それとなく状況は知っていましたが、
「その時が来たか」
と感じました。
その時はそう思っていても時間経過とともに変わり、
さらに感情の動きでも左右されます。
本心から問題として悩み、そして解決したいと
真剣に考えているのかどうか、
また、ご本人が本気で向き合おうとしない以上、
仮にこちらがどれほど待ったとしても、
何もできないというのが実状なのです。
"本当の意味で手を差し伸べる"、
とは何なのか?
それを私事として突きつけられ、
考えさせてくれる出来事だった
身内であればあるほど、情愛というものが
湧くというケースが多いかと思います。
仕方のない面もあると同時に、
"私自身の在り方"
を問われているとも言えるのです。
"自分の在り方"
それを通すことができるのか、
と考えさせられることがあります。
しかし、何だかんだ先のことを言っても
キリのないことで、今の時点で、
そのことを考えたとしても、
サラサラありません。
結論として、ただ私が今できることは、
「義父にとって識って学ぶべき必要な状況」
という視点から、
ご本人のため、そして私自身のために
「ただ静観し見守るしかない」
としか言えないのです。
冷たく非情な対応と思わるかもしれません。
しかし、その状態こそが
"自分の内側にある完全性に
焦点を合わせている"、
それなのです。
たとえ義父というご縁があった人でも、
"自由意志を尊重する"という
自然の法則に従う以上、
どうにもできないのです。
仮に情愛に流され、私が義父に
軽率でお節介な行動を取ったら、
義父自身にとって必要だった学びを
結果的に妨げる可能性があるのです。
今回の記事に登場した義父だけではなく、
妻の実家にいる他の家族にも、
お互いの状況、立場の違いはあるものの、
義父と同様のことが言えるのです。
年始に親族が集まった時に、
その"家族間の冷戦"
は既に始まっていたようです。
重要なことは、私自身がそのような状況に対して、
巻き込まれず、如何に冷静に対応できるかが、
鍵となることは言うまでもありません。
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