自分の性質を認めやりたいことをやっていこう
37歳から40歳の時期、ハワイ島に留学していた。
ずっとしていたリフレクソロジーのサロン勤務を辞めて、帰ってきてからのプランもノープランで、行った。
名目はロミロミ(ハワイの伝統的なヒーリング、マッサージ)の勉強
でも実質は、遊んでいたし、地元のカレッジで英語やハワイ語、ハワイ神話や歴史を勉強した。
元来怠け者で、傷つきやすい性格だったので、世界を広げていこう!とか、頑張ろう!とかいうよりも
なるべく傷つかないように心地よく遊んでいただけだった。
勉強は好きだったので、カレッジ生活は楽しかったけれど、
何かものにして帰る、とか強力なコネクションを残して、とか素晴らしい肩書きを残して、とかは全くなく帰ってきた。
つい最近までずっと、自分は悲観主義だと思っていた。
でもある人に
えっちゃんは超楽観主義だよね
という言葉をいただいた。
そうでなければ私の学歴や職歴で、アラフォーの時点で留学に行こうなんて考えない、と。
それを聞いて自分の楽観主義、というか何も考えていない自分、なんとかなる、誰かが助けてくれる、という
超アホな自分を痛感して初めて怖くなった。
そして、自分は超楽観主義ということが身に染みて理解できた。
実際、ハワイ島で出会った人の一人に
「あんたの人生は終わっているね」
と言われたことがある。
けれど、どうだろう?
帰ってきてから10年たつけれど、海辺の街で一人暮らしをしていて
ヒーリング、コーチング、カウンセリングをしながら生きている。
ちなみにハワイ島まで行ったのにロミロミをメインでやっていない。
恵まれているし、実際たくさんの人たちに助けてもらって生きてきた。
「あんたの人生終わっているね」
と言われた経験がある、と話すと本気で怒ってくれた人もいた。
住む場所や、お仕事をお世話になったりしたこともあった。
こんなに楽観主義だけど、一緒に遊ぶ友達も増えていったし、
今のお仕事もとても自分に合っている。
どうしたらもっと私の今やっている活動が必要な人たちに届くだろう?
ということは真剣に今も考えている。
最初は、自己肯定感が低くて自分のやっていることは大したことはないし、きっと誰も必要としていないだろう、
と本気で思っていた。
けれど、お金を払ってきてくれる人たち、生きることが楽になりました、人間関係が良好に変わりました、自立することができました。
などといろんなお声を聞くたびに、
この仕事をやってよかった。
そして、続けていこう、と心から今は思っている。
ハワイ島まで留学して、ロミロミも学んだのに、という気持ちを手放すのは
実は勇気が必要として、手放していくのが悲しかった時期もある。
でも、私がやりたいことは、実は最初から変わっていなくて
繊細で生きづらい人たちに(幸せに生きている人達も)人生の喜びと安心を感じて
その人らしい人生を送ることをお手伝いすることだと気づいた。
いろんな経験を本当にしたけれど、
その全てが今につながっているし、これからも私はその都度変化していくと思っている。
「えっちゃんのお仕事は、すごく人気が(需要)あって、目立つ要素は少ないけれど、
えっちゃん自身がその特性を受け入れて、やっていこうって受け入れたんだね」
という言葉をメンターの方からいただいた。
需要が少なかったら、私、生きていけないんじゃないか?
とその時一瞬不安になったけれど、すぐ、そうではない、と気づいた。
確実に需要があるし、必要な人もいる、そしてそれをやりたい私は、それをやっていれば
今まで通り、なんとかなる人生だし、それ以外のことをやろうとすると、おかしな人生になっていく
ということが骨の髄まで体感したからである。
風の時代、
旧正月が明けた
これからの時代の生き方、
色々言われているけれど、本当にやりたいことをやっていく、
ということは、実は楽な人生ではない。
楽ではないけれど、確実になんとかなるし、喜びから人生を生きることは間違いないと思っている。
これからの時代は、みんな本当に自分が望んでいることをやっていくと、生きていくのが楽しくなる時代だと私も心から感じている。
みんな、そんな人生を歩むことができると私は思っている
愛しています
ありがとう