YaiちゃんとSriちゃん
●タイで再会した二人の大卒女性
2月初旬にタイに旅行に行き、学生時代からの友人二人に会った。友人の名は、YaiちゃんとSriちゃん。本名は、もっと長いタイ語で、ふだんは、ニックネームで呼び合うのがタイではふつうのようだ。
彼女らは学生時代、交流プログラムでタイを訪れた私を含む日本人学生8人にアテンドしてバンコクから東北イサーンまでの旅に同行してくれた。
二人は、バンコク市内の、こぶりのショッピングセンター内にあるオーガニックかつ伝統的タイ料理の店でのランチに招待してくれた。ストリートの屋台よりも料理の値段は少し高めだが、日本から来た私と友人を気遣い「クリーンで安全な料理を」と選んでくれたのだ。
彼女らは、いわゆる定年の年齢の少し前に仕事を辞めている。
Yaiちゃんは、大学卒業後ずっと国家公務員として働き、二つの部署を経験。一度は観光庁に配属され、なんどか日本出張も経験したそうだ。真冬の北海道に行ったときは「あたり一面雪景色。あまりの寒さに外に出られなかった」と笑った。
退職後は都会を離れて故郷に戻り母親や弟、妹たちと暮らす。
弟と妹はいまも仕事をしていることから、母と過ごすのがYaiちゃんの役割だ。とはいっても、母親は脳も体もまだしっかりされていて料理は自分で作り、朝食後は長い午睡をするのだ、とYaiちゃんはまた笑っていう。
Sriちゃんは当日、HONDAのファミリータイプの車を駆ってやってきた。タイでは多くの人たちが、日本車のクォリティを信頼しているのだという。おもに好まれているのはTOYOTAかHONDAだ。
Sriちゃんは、大学を卒業後、日系の企業で研究職として働いたのち早くに結婚をして子どもを産んだ。お子さんは息子さんと娘さん。息子さんのほうは医師になった。
●タイの経済事情
近況を伝え合ったのち、AllianceYouTooの活動のこと、シニア女性たちがおぼえる生きづらさなどに少し触れながら日本やタイの経済状況や、若ものたちの考え方の傾向、経済事情を含めた今の暮らしなどについて話が及んだ。
物価は今でもタイは日本に比べてだいぶ低い。
まちなかの定食屋なら、100円台でかけ飯を食べられたりする。
ただ、日本でも、タイでも「賃金と世の中でかかるコスト、年金とリタイア後の生活」という点でいうと多くの人にとってぎりぎりか見合わないと感じる水準であることには変わりがないようだ。
Yaiちゃんはいう。
働いていたときはバンコクで一人暮らしをしていたけれど、年金暮らしになってからは物価が高いバンコクではとても暮らしていけない。
田舎に住んであまり高望みをしなければ私には十分。タイでは物価の上昇と、賃金や年金の金額が見合っていない。
日本とあまり変わらない状況だというと、タイでは1997年に起きた通称トムヤムクン危機(アジア通貨危機)、その後の2008年のアメリカ発の金融危機の影響を受けて景気は低迷気味なのだそうだ。ちなみに、タイではアメリカ発の金融危機を「ハンバーガー危機」と呼ぶそうで「なぜどちらも食べ物の名称がつくのかしらね」とYaiちゃんは笑いながら言った。
●若者たちは?
また、タイでは大学で学ぶ若者の数が減っている傾向があるとも話していた。ちなみに彼女らは二人とも国立のタマサート大学出身のいわゆるエリートだ。
肌で感じ取っていることやメディアからの情報を自分なりに分析して現在のタイの状況についてユーモアを随所に散りばめ笑いながら、話すYaiちゃんとSriちゃんは学生時代と変わらず賢さや良い意味でのしたたかさを感じさせる。
二人が言うには、大学で学ぶことよりも、ビジネスでいかに稼げるかに関心を持ちインターネットで得る情報を自身の学びとして社会人になっていく若者が多いのだという。
大学で学ぶにしても、キャンパスで他の学生たちと交わって学ぶよりも、通信で学び、ときおり登校するスタイルの、効率性を選ぶ若者が多い傾向にあるそうだ。
若者の「大学離れ」について批判的な意見を聞けることを想像し、大学に行くことを選ばない若者が多いことについてどう思う?と聞くとYaiちゃんは大学に通うのと通わず学ぶのと一長一短がある。地方の若者にとってはわざわざ大学に行かずとも学べることはメリットだし、と真面目な表情で言った。
「あなたが若かった当時、インターネットで調べたり学べたりする仕組みがあったらどうした?」と聞くと、Yaiちゃんは「わたしは怠け者だし大学に行かないと勉強しないタイプだから大学に行くことを選んだと思うわ」とこれまた笑いながら答えた。
●私は私の選択をする、人はそれぞれ
ふたりに共通しているのは「ものごとには良い面と悪い面があるから、一概にこれが正しいとはいえない」と何につけ言うことだ。「わたしは○○を選んだ。理由は△△だから。そして選択は人それぞれ」という具合に続ける。
たとえば結婚や子どもについて。
4人は少しずつ状況が違う。
日本からの私たち二人は今は、以前の結婚相手とは離れている。
Sriちゃんの夫はタイの南部で息子と二人で暮らし、Sriちゃん夫妻は今は別べつに住んでいる。二人とも、いまは仕事をしていない。また仕事をしたいとも考えていないという。
「もう仕事はしたくない、目も悪くなったし、この先健康のことを考えるとね」。
夫とは別にバンコク近郊に暮らすSriちゃん、田舎で質素に母親やきょうだいたちと暮らすYaiちゃんふたりの共通の意見だ。
ちなみに、Yaiちゃんはこれまで一度も結婚しなかった。こんな質問をするのはタイではどうなのだろうと少しどきどきしながら「なぜあなたは結婚しなかったの」と聞いてみた。
「だって結婚したら喧嘩するってわかってるから」とYaiちゃんはおどけて言った。
その様子を見ていて、学生時代と変わらず、常に冷静にバランスをとりながら、自身を追い詰めることなくいつもゆったりと鷹揚に構えるYaiちゃんの強さ、しなやかさを改めて認識する。
Sriちゃんだって、夫にかしづいたり遠慮するという雰囲気を微塵も感じさせない。
別々に住んでいることを、今のところ、私たちはそういうスタイルをとってるのよ、といった感じだ。
彼女たちは二人とも学生時代、日本からの「家父長制度」のもとに育った男子学生たちと笑いながら対等に、しなやかにコミュニケーションしていたっけ。
なにより、初対面の日本人学生たちを方言で、大人でも言葉が通じにくいタイの田舎を含めて1ヶ月近く案内してくれた2人だ。
文化も宗教も、バックグラウンドも、パートナーとの関係性もまったく違う、タイの2人と日本からの2人。
タイの2人は、学生時代からずっと仲良しだ。
互いを干渉したり、どちらかがどちらかに従うという関係性ではない。
少なくとも日本人学生の私から見たら、当時はずいぶん大人っぽく見えた。
すべてのタイの女性たちが彼女らのように、自ら進む道を意思的に選び、今を受け入れ生活しているわけではないのだろうけれど。
●しなやかに、したたかに
タイでは働く女性をよく見た。町で見かけるカップルは、どちらかというと女の子たちのほうが主導的な印象を受けた。
きめつけない、決められることを好まない、自分の選択を信じて進み今を受け入れる。
学生時代に私が感じた2人の「大人っぽい」は、裏返せばこんなことなのかもしれない。
日本では家族や世の中の言う「これがベスト」「こうしたほうがいい」に素直に従いさえすれば、安寧に暮らしていける。
とくに女性の場合、家父長主義傾向の強い日本では、まわりの男性や目上の「指導者」の言うことは「正しい」とされ、女性はことさらおとなしく後からついていくことが当たり前とみなされてきた。
よく気がつき、常に控えめである女性は「よくできた」と言われ、言われる側の女性たちもまたそうあることを目指すべき、とされ、自分たちもそう思い込まされてきた。
同時にこうした日本の社会土壌は、女性たちから、自律的にあろうとする思考をうばい、あるいは、おかしさを感じながらもモヤモヤと抱えこむ生きづらさにつながった
タイの女性たちはその対局にあるようにも感じられる。
タイに暮らす彼女たちの思考や姿勢に学ぶところは多いように感じる。