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涅槃図や今とこしえをはみ出して

2024.10.06 10:02

Facebook山地 弘純さん投稿記事

本日2月15日はお釈迦さまがお亡くなりになった日です。

仏教寺院では、この日に「涅槃会」という法要を行い、お釈迦さまの最期のメッセージを読み解きます。

涅槃とは「ニルヴァーナ」の和訳で、吹き消すという意味があるそうです。

それは単に命の灯火が消え、魂の肉体からの解放というだけでなく、煩悩の火が消え、死と再生を繰り返す命(生死輪廻)からの脱却をすることであり、我々の理想とする境地です。

涅槃図をご覧ください。

15日ですから、空には満月が輝いています。ここはクシナガラという辺境の地。

背後に流れる川はネーランジャラー川。

旅の途中であったお釈迦さまは、チュンダという貧しき人が精一杯のおもてなしをした食べ物にあたって命を落とすこととなります。

最期の時、お釈迦さまは中央の台座の上に頭を北に、足を南に寝転んでおられます。

(それで仏教徒はお釈迦さまを慕い、死の際には北枕にするようになりました。)

周りには多くの方々が集まり、お釈迦さまの死の瞬間を嘆き悲しんでおられます。

身分の偉い方も、身分の低い方も、裕福な方も、貧しい方も、さらには動物たちも分け隔てなく一様にその場にいることができました。

空からはお釈迦さまのお母様の摩耶夫人が訪れ、助かるようにと薬を投げました。

しかし薬はお釈迦さまの元には届かず、それがひっかかった沙羅双樹の木の左4本は大きく成長し、花を咲かせます。

(逆に右4本が白く老いた木で、薬のかかった左の4本は青々とした葉をつけたという右左の色の違うものもあります)

寿命にしたがうために、毒だとわかっていても食べ物の施しを喜んでいただいたという説や、わざと薬を受け取らなかったという説もあります。

「チュンダのせいで亡くなるというのは間違いで、チュンダの供養を最期に選んで逝くのである」という経文にあるお釈迦さまの言葉が、自己の選択の尊さ、自分軸で生きることの大切さを教えてくれます。

亡くなるお釈迦さまの体から黄金色の光が滲み出ています。

お釈迦さまが最期に残された言葉があります。

「自燈明法燈明」の教えです。

「自らを灯火としなさい。法を灯火としなさい。他のものを灯火としてはなりません。」と言い残されたのです。

まさに答えは自らの中にあるということですね。

そして法という時代を超えても変わらない普遍の真理と照らし合わせながらいくのです。

他のものに答えを求めるのではなく。

改めて、人生の責任を自分で取ることを教えてくださっています。

それだけではエゴを撒き散らすのみになるため、法燈明と二つの光で進むのでしょう。

そして具体的にはどのような行いを修めるのかというと、身体、感覚、思考、集合意識をしっかりと観察することと説かれています。

なるほど。

素晴らしいメッセージです。

そうすることで、自我という囚われから離れて、真実なる認識の世界へいくことがイメージできます。

#善住寺寺宝の涅槃図

https://www.kiyomizudera.or.jp/yodan/vol7/index.html 【意味を知ればより深まる 清水寺「大涅槃図」拝観のツボ】より

そもそも涅槃って何? 知っているようでトリビアな、お釈迦さまの一生

清水寺に残る「大涅槃図」。次のページで詳しく説明しています。

2月15日の涅槃会(ねはんえ)は、4月8日の降誕会(ごうだんえ)、12月8日の成道会(じょうどうえ)と並び、お釈迦さまを尊ぶ大切な仏教行事です。今回のよだん堂では、涅槃会と当山に残る「大涅槃図」についてご紹介しましょう。

まずは、お釈迦さまについておさらいを。お釈迦さまは、紀元前5世紀ごろ、大国コーサラ国に属する釈迦族の王族の子として、北インド(現ネパール領)のルンビニーに誕生。16歳で結婚、一子を授かり、生まれてからずっと何不自由ない生活を送っていました。しかし、居城・カピラ城の門の外で老人や病人、死者に出会ったことから、この世の四つの苦しみ「生老病死」を知り、また、欲を捨て修行に生きる出家者のおだやかな姿に心を動かされ、地位も財産もすべて放棄し、29歳の時に出家されたのでした。

そして、あらゆる苦行を勤められ、35歳の時、ブッダガヤの菩提樹の下で、ついに成道(悟り)を開かれました。

サンスクリット語で覚者(悟った者)という意味の仏陀(ブッダ)となられたお釈迦さまは、サールナートという地で修行仲間に初めて説法をされ、以来80歳までの45年にわたって大衆布教、教化活動をされました。その活動範囲は広大なものであったと言われています。

お釈迦さまが人生の最後を迎えられたのは、クシナーラの沙羅双樹の木の下。信者たちに囲まれて、静かに旅立たれていかれました。その後、信者の手によって遺骸は火葬され、遺骨は各地の塔(サンスクリット語でストゥーパ、舎利塔、仏塔)に分けて祀られました。

「涅槃」とはサンスクリット語でニルヴァーナと言い、すべての煩悩の火が吹き消された状態、すなわち安らぎ、悟りの境地を指しています。また、生命の火が吹き消されたということでもあることから、入滅、死去を意味し、お釈迦さまが亡くなられたことを「涅槃に入る」と表現します。その様子は「涅槃経」という経典に記されており、それに基づき描かれたのが「涅槃図」なのです。

清水寺の「大涅槃図」ここが見どころ

満月とお釈迦さまの生母

沙羅双樹にくくられたお釈迦さまの赤い包み

嘆く弟子アーナンダ。一説によると、アーナンダは大層男前だったらしく、いかにハンサムに、かつ嘆きの表情をうまく描くかが涅槃画のポイントのひとつであるという解説もあります。

足をさする老弟子スバッダラ

馬や牛、さる、キジ、象に獅子…あらゆる動物がお釈迦さまの最後の説法を聞こうと集まっています。

「涅槃図」には、描くものの意味や配置など、さまざまな約束事があり、このポイントをおさえると、より興味深く拝観することができます。上部から順にご紹介しましょう。

●その1...満月

お釈迦さまの入滅の日は2月15日のため、十五夜の美しい満月が描かれています。

●その2...右上の雲上の一団

最も大きく描かれているのは、お釈迦さまの生母・摩耶(マヤ)夫人です。天女たちに付き添われ、お釈迦さまの弟子の阿那律尊者(アヌルッダ)に先導されて、息子のもとへ向かっているところです。

●その3...8本の沙羅双樹

横になられたお釈迦さまを囲んでいるのは沙羅双樹の木。左から4番目の幹には、赤い布に包まれたお釈迦さまの托鉢の器が描かれています。

この沙羅双樹のうち、右4本は白く枯れ、入滅の悲しみを、左4本は青々と葉を広げ、お釈迦さまの教えの不滅を表現しています。また、一説には、8本の沙羅双樹はお釈迦さまが説かれた八正道の教えの象徴とも言われます。

八正道とは、物事の道理を正しく見る「正見」、物事を正しく考え判断する「正思」、正しい言葉・うその無い真実の言葉「正語」、邪念のない正しい行い「正業」、規則正しい生活「正命」、正しい修行・正しい努力をする「正精進」、正しい信念・正しい目標をもつ「正念」、迷いを離れた安らかな境地・安定「正定」。これら人間の八つの正しい生き方のことです。

●その4...弟子たちの嘆き

宝台下中央で嘆き悲しんでいるのはお釈迦さまの側近の阿難尊者(アーナンダ)。「これから涅槃に入る」と言われ、止めなかったことを激しく後悔していると言われています。お釈迦さまの足をさすっているのは、すでに120歳であったという須跋陀羅(スバッダラ)。お釈迦さまの45年にわたる布教教化活動の偉業を労わっています。

●その5...動物たちも集合

下の方には多くの動物が描かれ、中には象など当時日本では見ることができなかった動物や、想像上の生き物の姿もあります。食物連鎖の理や、普段は互いに争いあう諸動物も、この時ばかりは揃ってお釈迦さまの入滅を悲しんでいるのです。

記録に残る「大涅槃図」制作エピソード

「大涅槃図」は、経堂にて公開しています。

清水寺の「大涅槃図」は、江戸時代の画家・山口雪渓により描かれました。雪渓の名は、雪舟や牧渓といった室町期の名絵師の水墨画を学び、一家を成したことに由来しています。享保17年(1732)、89歳でその生涯を閉じるまで、京都でたくさんの作品を生み出し、活躍しました。

当山に残る記録『成就院日記』によると、宝永5年(1708)2月13日の記事に、「当山の経堂に涅槃尊像の儀、絵師・山口雪渓、去年亥の十二月より書き初め、当子(ね)の(年)二月までに描き終わり表具出来(しゅったい)。即ち成就院後見善良房並びに下坊中寄り合い十二日に開眼供養の法事之有り候」という記載があります。

つまり1707年の12月から描き始めて2月中旬には仕上がり、2月12日には成就院をはじめとする僧たちによって法要を行ったということ。当時の絵師の仕事から想像すると、もちろん弟子たちも作業にあたったでしょうが、縦3m91cm、横3m3cmを2か月半で仕上げたとは、プロフェッショナルの技にはつくづく驚かされますね。

「大涅槃図」は平成15年(2003)に全面的に修復されましたが、この際は、約1年の歳月をかけて慎重に行われ、当時の鮮やかな色がよみがえりました。

当山では、2月15日9時より経堂にて涅槃会の法要を厳修し、法要後、「大涅槃絵」を一般公開(無料)しております。皆さまも、ぜひこのご縁にお手を合わせていただき、 当山と共にお釈迦さまを偲んでください。

*一般公開は2月15日の法要後より、例年約1週間実施。9時より16時まで入堂自由です。