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精神科医 諸藤(モロフジ)えみりの心のレッスン

私が出産を躊躇する理由

2024.02.19 13:52



こんにちは、

精神科医の諸藤えみりです。



先日、Threadsで

「ブログも書けないし

リールも作れない。

完全にスランプ!!」

と呟きました。



安心してください、

まだスランプです笑



何も書けないから

私の心情について

書いてみようと思います。



ずっと思ってて

ずっと書いてなかったこと。



私は子どもを産むことが怖いです。





私が聞かれて1番困る質問は

「どうして出産しないの?」。


聞かれるたびに

苦笑いしてしまいます。



産むのはいいです。

育てるのが怖いです。



出産すると

自分の時間がなくなりそう。



これも理由の1つですが、

1番は

「子育てで生じる

ネガティブな感情を感じたくない」

からです。



↑3歳くらいの私。

背景がビックリするくらい昭和。

(私、昭和30年代生まれだったっけ?

ってくらい🤣)




私の両親は不仲でした。

家はピリピリとした

緊張感が漂っていました。



両親は公務員です。

教育方針は

「将来は国立大学に行き、

卒業後はどこか

いいところに勤めるのが当たり前。」

というものでした。



たまたま私は勉強ができたので

親の敷いたレールに乗りました。



問題は弟です。

私には弟がいます。



弟は勉強が

得意ではありませんでした。



中高生時には

問題ばかり起こしました。

不登校にもなりました。


約20年前の当時、

不登校は珍しい時代でした。



母は途方に暮れ、私に

「どうしたらいいと思う?」

とよく聞いていました。



そんなこと言われても

弟と3つしか違わない私に

どうしたらいいのかなんて

分かりません。



私は母の悲しむ顔を見たくなくて

「ああしたら?こうしたら?」

と、精一杯助言していました。



まるで私も両親と一緒に

子育てをしているようでした。



でも、

私は1番つらいであろう弟に

寄り添えませんでした。



弟を認められず

弟えお両親の価値観に

合わようとしました。


それ以外の生き方を

当時の私は知らなかったのです。



↑高校生時代の私。



親と子が衝突することは

どの家庭でもあります。



私の家族の場合

少しずつ歯車が狂い始めました。



出口のない

トンネルにいるような感覚です。


弟を力でねじ伏せるだけの父親、

戸惑う母親、

誰も信用せず自分の殻にこもる弟。

そして私。



………何この状況。

ヤバくない?

(実際ヤバかったけれど。)



大好きな家族が1つ屋根の下で

いがみ合っている。



私の心の1番柔らかいことろを

容赦なくえぐっていきました。



振り返れば

弟がなぜ

ここまで荒れたのか分かります。


もし私に子どもがいて、

子どもが弟と同じ状況になったら

今の私は違う対応を取ります。



けれども

苦しかった記憶が強烈に残っていて、

私が親になることを

踏み留まらせるのです。



あんなつらいことを

また経験したくない。



↑大学の卒業式。



子育ては

ネガティブな面だけではないことは

百も承知です。



子育てが喜びの親は

たくさんいるでしょう。



あれだけ苦労していた母親も

「出産してよかった。」

と言います。



私も

結婚や結婚式に抵抗があったけれど

やってみたら楽しかった。



出産と育児だってやってみれば

楽しいことは分かっています。

それでも怖いのです。



それだけ渦中の私は

辛かったのだろうなと思います。



「出産、育児は

来世頑張るから今世は勘弁して😭


老後の

孤独も受け入れるから!!


会話ができるAIの開発を

早急にお願いします!!


開発が難しいなら

寂しいときは

ホストかキャバクラに通います!!」


と、神にお願いする私、、、(切実)



↑研修医時代の私。



じゃあ出産を

スッパリ諦めたかと言うと

そうでもない自分もいます。

心のどこかにひっかかっている。



純粋に子どもが欲しいのか、

「女に産まれてきたからには

出産せねば」

に囚われているのかは

分かりません。



まだ出産できるから(多分🙄)

余計に諦めきれない。



40代後半になればキッパリ諦められて

楽になれるのかな。



↑しまなみ海道を

皆とチャリで横断したとき。



出産したい気持ちはゼロではない。

でも、

怖い気持ちが勝っている。



今年の元旦に

「どうしても欲しいもの。」

を考えました。


出てきたのは仕事でした。



「子ども」

のワードは出てこなかった。

今の私には仕事が1番らしいです。



変わるときは変わるから、

仕事を1番にしときます。



私の怖い気持ちを無視して

無理に変えない。






私は外来で

発達障害のお子さんや

心に傷を受けた方の

診察をしています。



外来に来られた方は

私の診察を受けて

癒されるかもしれません。



私も彼らに寄り添うことで

傷が癒えているのです。



あのとき

弟にしてあげたかったことを

今、している。





オマケ

実家の家族関係は崩壊し、

現在再構築中です。


壊れるべくして壊れたって感じ。



壊れると痛みが出る。



痛みを超えたところに

新たな関係性を築くことができる。