「宇田川源流」【日本万歳!】 世界が悼んだ「世界のオザワ」逝去
「宇田川源流」【日本万歳!】 世界が悼んだ「世界のオザワ」逝去
毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けする。日本のすばらしさや、日本が世界から称賛されえる内容をご紹介し、その内容を細かく分析し、その中においてその素晴らしさが何に由来しているのかということを皆さんにお話をするということをしている。そのことによって、本件の内容において、日本人の国民性や日本人の生活習慣で世界が称賛する内容をしっかりとご紹介しようということになる。
このようなすばらしさは、基本的に「一人の特別なヒーロー」が称賛される場合がある。最も有名な例はアメリカ大リーグの大谷翔平選手や、サッカーの久保建英選手、将棋の藤井聡太八冠などがその様な特別なヒーローに当たる。実際に、この人々は添付の才能があり、また普通の日本人にはまねしようとしてもとてもその領域に達することも、近づくこともできないというような内容であろう。しかし、その称賛される中には、日本人としての誇りやプライドそしてその生活習慣や考え方が含まれていることになる。大谷翔平選手が、グラウンドのごみを拾ったり、あるいはファンサービスをしたり、旧同社のようにストイックな生活をするというのは、やはり日本的な内容なのではないかということになる。
一方「無名の日本人が、たまたま取り上げられた」というパターンがある。新聞やテレビで名前を見ても、基本的には有名人ではないし、また生活などにも普通の人である。何か特別な人ではなかったのである。しかし、その内容に関して、「普通」であるという事、つまり大多数の日本人が同様の行動を行いまた、同じ状況においてその行動ををとる可能性が高い。しかし、その内容に関して言えば、日本人ならばその人ではなくても同じような行動をとることになり、マスコミで報道されているのは、たまたまその人が選ばれているだけで同じであるということにある。それは「日本人の性質や習慣全体が称賛されている」ということであり、そのことから、その内容を素晴らしく行うということになるのである。
今回はその中で「特別なヒーロー」についてお話をしたい。そしてその「特別なヒーロー」が亡くなったということを伝えなければならない。
小澤征爾さん死去、88歳 心不全「世界のオザワ」世界的指揮者 N響事件、長野五輪で音楽監督
「世界のオザワ」が逝った。指揮者の小澤征爾さんが心不全のため、6日に都内の自宅で亡くなったことが9日、分かった。88歳だった。
小澤さんは桐朋学園中3年時に、指揮者の齋藤秀雄氏に弟子入り。52年に齊藤氏の肝いりで設立された桐朋女子高音楽科(男女共学)へ第1期生として入学、57年に桐朋学園短大を卒業した。
59年に成城学園中時代の友人の父でフジテレビ、産経新聞の社長だった水野成夫氏らの援助を受けて渡仏。同年にブザンソン国際指揮者コンクール第1位となり、翌年に審査員だったシャルル・ミュンシュ氏に師事。ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインに師事した。
61年にニューヨーク・フィルハーモニーの副指揮者に抜てきされるなど、若くして世界のクラシック界で活躍を始めた小澤氏だが、62年には「N響事件」が起きる。同年6月からNHK交響楽団(N響)と半年間の指揮契約を結んだが、27歳の小澤氏に対して「生意気」「態度が悪い」などの感情的反発で演奏をボイコットされた。これをきっかけに日本に見切りをつけ、世界のみに目を向けたと言われる。
その後はシカゴ交響楽団、トロント交響楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、サンフランシスコ交響楽団を指揮いて「世界の小澤」と言われるようになった。71年には新日本フィルハーモニー交響楽団を創立。73年にはアメリカ5大オーケストラのひとつ、ボストン交響楽団の音楽監督に就任。98年には長野冬季五輪では音楽監督を務め、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を受章した。
師の齋藤氏の没後10年となった84年には、メモリアル・コンサートを東京と大阪で開催。それを母体に、サイトウ・キネン・オーケストラを結成し、92年からは、国際的音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」を開催し総監督を務めた。15年からは「セイジ・オザワ 松本フェスティバル(OMF)」に呼称が変更された。昨年9月の同フェスでも、指揮はしなかったものの、車いす姿で登壇。指揮を務めた「E.T.」「スター・ウォーズ」作曲家ジョン・ウィリアムズ氏と握手し、会場を沸かせていた。
08年に文化勲章を受章。10年には食道がんと診断され、食道全摘出手術を受けたが、その後、演奏に活動に復帰していた。
◆小澤征爾(おざわ・せいじ)1935年(昭10)9月1日、満州国奉天市(現・中国瀋陽市)生まれ。41年帰国して、東京・立川へ。45年ピアノを始める。夫人は元モデルの入江美樹。長女はエッセイストの小澤征良、長男は俳優の小澤征悦。ミュージシャンの小沢健二は甥にあたる。
2024年2月9日 19時18分 日刊スポーツ
https://news.livedoor.com/article/detail/25852535/
今まで「ヒーロー」を扱ったものは、大谷翔平選手と、藤井聡太八冠であったが、今回は、小澤征爾さん、オーケストラの指揮者といえばよいのであろうか。「世界のオザワ」といわれた偉大なる音楽家であり、そして世界に認められた指揮者は、6日に亡くなられたという。
ここで、まず小澤征爾さんが亡くなられたことに対して謹んでお悔やみ申し上げます。
さて、日本と西欧では、音楽の「あり方」が異なる、というのは、私の大学時代の恩師である刑事訴訟法の渥美東洋教授の言葉だ。日本は「主旋律というメロディーと、曾野が王勢の伴奏というような形になっている」という。これは、日本の政治などもそうであるが一人の代表者と、そこに多くの人々がそれを支えるというような仕組みになっているという。ボーカルが一人いて、それとそのほかの人々がそれを支えるということになる。その為に主戦が和音になったり雅楽で合掌のようになるというような音楽は基本的に少ない。しかし、西欧のものは異なり、様々な音がぶつかり合って一つの音楽を作り出す。まさに和音というような形になるということになっている。まさに、いろいろな音がすべて主役になるのだということを言っていたのである。これが渥美東洋先生の言葉であった。
要するに、小澤征爾さんは「日本という枠を飛び越えた天才」というようなことではなかったか。そして小澤征爾さんはその内容を「音楽が楽しい」ということを、インタビューでは答えていたということになる。
もちろん音楽そのものの解釈の違いは、様々あるので、小澤征爾さんの解釈を違うと思う人もいる。その様に考えれば、音楽は「違いがあるからこそ楽しい」ということを教えてくれた人ではないか。
日本には、そのような天才がいるのだ。