ノートの切れ端、鴉の子 -イミテとシャムの物語-
コエが戦いを仕掛けて来てつばさが勝ち、その願いによって私の身体には魔法が戻った。
それでも自分をできる限り人間して扱おうと決めたのは、今までの自分がいかに狡く、都合よく、そして見返りを求めて魔法を使っていたかを全ての記憶を取り戻すことで知ったからだ。
勿論、それでつばさを助けた事を後悔している訳じゃない。守れたものも沢山ある。
でもその裏で生きるために多くの罪のない人の命を奪い、つばさを手に入れる為に翅を傷つけたのも確かだし、私にとっては全ての元凶だとしても多くを従えて世界を動かす力を持っていた神をこの手で殺したのも確かだ。
だから、この力は……大切に取っておくのがいい。もう、ずるはしない。
そう思って過ごす日々がそう甘くはないことに気づかされるのも、私らしいといえば私らしい。
これは私なりの、些細な『日常』の話。
「お疲れ様です、お先に失礼します」
週数回、楽器店でのアルバイトを終えて、歩いて帰れる距離の帰路を颯爽と歩く。のんびり歩かないのはせっかち故のただの性で、特別理由があって急いでいる訳ではなかった。片手間につばさから来るメッセージに返事をして、夕飯のメニューを考え、ちょっと寄り道でお菓子を買って、新曲のメロディを頭の中で考えて……遠くなった過去の自分を考えれば確かに浮ついても見えるかもしれない、でも今となっては『いつも通り』の帰り道。
「……」
だから、ふとした気配で誰かついてきてるわね、なんて思うのも久々だった。
趣味でやってる歌手活動のファンの子の気配とも、アメ達のような身内の能力者の気配ともまた違う、どこか殺気立ったような気配。
ここがコエの作った世界である以上、私の命を狙ってきた敵対勢力達が乗り込んできたとも考えにくい。
……そもそも、もう私に誰かが欲しがるほどの魔力はないはずだからこその、違和感がそこにあった。
「っ!」
瞬間、そんなはずはと思ったのが勘違い、とでも言うように、目の前に衝撃を覚えて咄嗟に受け身を取った。明日にはつばさも1週間ぶりの出張から帰って来ると聞いて、帰ったらお茶菓子に出してあげようと買ったマフィンの箱が手からぽろりと外れて転がっていく。その光景に苛立ちが滲み出た。この1週間、どれだけつばさの居ない家が退屈で寂しかったか、誰か知らない奴にこれから邪魔をされると思うと苛立ちが顔に出る。小さな舌打ちを交えて体勢を整えた。
続いて来る二発目は視界に捉え、普段は必要ないからとセーブしている力を解く。軽く地面を蹴るだけで数メートル跳ね上がる身体に、久々すぎて少しドキッとしてしまったが驚いている暇はない。
三発目が見えたので、その軌道から反れる為に宙で一回転。地を手で受け止めて膝で着地。避けた攻撃が急カーブして私の脚を取ろうとしたのは、蹴り返した。妙に見覚えのある蔦の魔法。……『私の魔法』だ。
「……『誰か』居るのね?」
その『誰か』が判別できないことが違和感だった。私の魔法を真似できる相手と言えば、つばさか、アメか、コエか、意外なところで可能性があるとすればきぃちゃんぐらいだ。けれど、その気配も手段も知っているものじゃない。こんな悪ふざけは誰もしない。強いて言うなら自分がそれを逆に仕掛ける側になることはあるかと思うぐらいだ。まあ、余程相手に敵意を持たない限り奇襲だなんてそんな真似はしないのだけれど。
「……成る程」
そこまで思考が回ったところでその意味を理解した。道端の木の陰。攻撃が向かってきた方向にご丁寧にも同じ魔法で吊るし上げる。
「っ、離せっ!!」
「……どっから抜け出してきたのかしら」
「『新月さん』の真似事なんてしようと思えば幾らでもできる!」
予想外に細い身体を捕まえて引きずり出したのは、青紺のぶかぶかのセーターに水色のYシャツ、灰色のプリーツスカートと同じく灰色のタイツ姿。黒いローファーを履いた、一見すれば女子高生のような姿の『私』だった。その目は荒みきっていて私より身体は細く、髪はサイドが緩くうねっていて後ろは結んでいない……いや、あの時の姿が怖くて『結べない』のだ。もう片耳のサイドは邪魔なのか耳に掛け、前髪は顔を隠す程に長い。
「その割には似てないわね……うまく描き写せなかったのね、暫く筆も持たなかったから仕方ないわね?」
「うるさい、うるさい、うるさいうるさい!!」
じたばたと吊るし上げられたまま癇癪で叫びだすその姿は、同い年のはずなのに異様に幼稚に映る。
『新月さん』という珠莉の呼び方からも……この子はNoTeの国に住まう、珠莉の元に居た『サナ』だ。恐らく、珠莉の書き写す能力の真似事をしてこの『現代』に乗り込んできたのだろう。
……だが、それも不完全だったらしい。よく見れば顔は似ているがとても同一人物とは思えない。
「私に復讐にでも来た、ってところでいいのかしらね」
「……チッ、気づかれてたか……」
「気づくも何も、『私』ならそうすると思うもの」
けれど、その思考は間違いなく『私』だ。
粗方、ここは自分の物語のはずなのに、そこに自分が居ないことに嫉妬して私を狙いに来たのだろう。我ながら中々の嫉妬心だと思うと、客観的に見せつけられるのは少しキツい。我ながら呆れる。
「貴女から見たら、お菓子持って鼻歌唄いながらほっつき歩いてた今の私は浮かれてるようにでも見えてたのかしらね。悪いけど……嫉妬に狂って破滅を望んで、弱りきった貴女ひとりにやられる程平和ボケはしてないの。だから大人しくNoTeに帰りな……っ!!!」
魔法の蔦でNoTeのサナを締め上げようとした瞬間、逆側の茂みから何かの影が飛び出す。捕まえていた『サナ』を掠め取って行く、ピンクのパーカーに臙脂色のプリーツスカート、少したわんだ緩いローテール。サイドの髪には段の入った、タレ目気味の少女……。それもまたやはり……アイドルバンドを組んでいた時の『私』だった。彼女もまた、珠莉の手で書き写した私のひとりだったはず。
「ざんねーん、いつから『ひとり』だって思ってた?」
「っ……確かに、浮かれてたかもしれないわね……訂正、する……」
その姿に驚いている間に形勢逆転、今度は私が縛り上げられてしまう。
少しオーバー気味の口調は、アイドルとして目立つためにわざと演じた性格そのもの。こっちは演じるのがそこそこ上手いのか……セーターの方のサナに気を取られて気配に気付けなかった。
「と思ったら大間違い!!」
「うそおー!」
が、敵が2体に増えたぐらいなんだ。あっさりその拘束を魔法で破って、反撃に出る。拘束を抜け出して1、2ステップで緩衝しながら着地すれば、すぐさま近くの茂みの葉を巻き上げて2人めがけて叩き込んだ。悲鳴を上げたのはパーカーの方だ。
お生憎、今更自分がひとりふたり増えたぐらいでもうビビらないし驚かない。
元々双子として同じ顔には嫌と言うほど慣れてるし、アメ達に比べたら似ても似つかない。
しかも相手の記憶はこっちは自分のこととして既にすっかり記憶している。すなわち戦法だって分かる。
「っ、んだよ、自分だけっ……自分だって『本当』のサナじゃない癖に! 本物ですって顔して甘っちょろい人生歩んで、仲良しごっこしてるクズの癖に……渡せよ、その席渡せ……『サナ』を渡せ!!!」
その反撃をその細腕に受けどうやら肩を負傷したらしい。痛みに顔を歪ませながらも魔法の球が渦舞く片腕をセーターの方が差し出して来る。その言い分からして、どうやら救済のあったサナである自分を恨んでいる様子らしかった。
「……悪いけど珠莉についていくって決めたのも、その上で死を望むまで消耗したのも貴女の選択でしょう? 私だってここに来るまで正しいどうかも分からない、決して甘くない選択を繰り返して来ただけ。貴女から見て羨ましいってだけで勝手に妬まないでくれる?」
「う、ぐうっ……! くそっ!」
その腕をやられるより先に颯爽と掴んで逆側に捻り上げれば、向こうの勢いはその腕に渦巻いていた球と共に沈下する。が、痛みに歪む口と睨みの勢いだけは衰えなかった。
「こんなもの……!!」
「っ!!!!」
瞬間、先程転がされて偶然足元に転がっていた小箱を黒いローファーが踏みつけた。
……帰り道に買ったマフィンだ。
「…………ふざけんな!!!」
「う、ぐっ……?」
……瞬間、つばさの為に買ったものであったことを思い出して、それまで装っていた冷静が頭から抜け落ちた。セーターの方を押さえつけていた片腕を地面まで捻り倒して縫い付ける。その様子を見て慌てて、それまでこちらを見ていただけだったパーカーの方も応戦に駆け寄ってきた。が、そいつの足も蹴り払って地面に転ばせ、隣に押さえつける。
「自分だからこそ言ってあげる、貴女には協調性がない! 口下手でしかも言葉も汚い! それで愛してくれないだなんて子供みたいに拗ねて駄々こねて、その癖自分は背中追って貰えるのをただ待つだけで行動しない!! 相手にして貰える訳無いに決まってるの!!」
「うるさい、うるさい、うるさい!!!!!!! どいつもこいつも!!!」
そのまま自分にも耳の痛い話を、敢えて大声で叫んでやる。相手が自分だからこそ物理攻撃では読み合いが続くだけ。精神攻撃で戦力を削ぐ事がこの時間のサナに効くのは分かっている。その読みは当たりのようで、向こうは耳を塞ぎながらまた子どものように癇癪に身を任せ始めた。暴れ狂う膝がこちらの腹に入ったが耐える。
「そんな行動で愛想尽かされても諦めきれないでしがみついて、勝手に思い走って媚び売ったところでそんなの作り物でしかなかった!! そんな事で本当に孤独なんか埋まらない!!」
「……ぅぅう……!!」
同時に、その横でどうにか逃げ出そうと足掻くパーカーの方も、フードを掴んで引き寄せて耳元で叫んでやった。苦い顔で私の手を振り払うと、慌てて押さえつけていたもうひとりを私の腕から引きずり出して駆け出す。
「ねえ、に、逃げよ! 一旦逃げよ!?」
「チッ……」
パーカーの方が慌ててセーターの方にそう声をかければ、セーターの方も名残惜しそうに一時撤退に賛成したらしい。そのまま二人は街の中へとよたよた消えていった。
あの様子じゃ追うこともできなくはなかったけれど……。
「…………私も冷静じゃなかったわね」
足元でくしゃくしゃになってしまったお菓子の箱を見て、やってしまったと頭が冷える。
さっき吠えた攻撃の言葉は自分にも深く刺さって、ため息を吐くしかなかった。
「…………ねえ、どうする? このままじゃ勝てないよぉ……」
この世界の『サナ』の元から逃げ出して、とぼとぼと知らない街を歩く。
私はこの世界とは別のところに居た『サナ』で、今手を引いて一緒に歩いてる、また別の『サナ』に誘われてここに来た。
この世界のサナを乗っ取ろう。そう提案されて。
だけど、奇襲を掛ける作戦はうまく行かなくて、取り敢えず撤退して逃げ場を探してる。同じサナが住む世界でも、ここじゃ知り合いもツテも何も無いから味方は居ない。
お互いしか頼る状況がない中で、さっきの言葉が効いたんだと思う。言い出しっぺの方のサナはさっきから何も話してくれなかった。
逃げるように駆け出して、疲れ切って……それでも数十分行く宛もなく歩き回った頃。
引っ張っていた腕が途端に、すとん、と地面に吸い込まれていって振り返る。
セーターのサナはついに、道端にぺたんと座り込んでうずくまって、歩けなくなってしまった。
「ね、ねえ……大丈夫……?」
お互い、呼ぶ名前すらない。駆け寄って顔を覗き込めば顔色の悪さに一瞬竦んでしまった。……『私達』は、気持ちと身体が強く連動する。特にもう最初から消耗しきっているこの子は……一言だって文字通りの致命傷だ。……ここのサナ……オリジナルのサナはそれを分かってやったんだと思う。
「どうして……」
ぽつり、と座り込んだ方が零した声には、もう襲いかかったときの勢いはない。
「駄目……? 話すのが怖くて、言えないから行動で示そうとして、それでも突き放されて……苦しくて、逆らわないとやってられなくて、気持ちが届かないなら同じぐらい苦しめばいいし、そうしたら自分の事考えてくれるかもしれない……無視しないでくれるかもしれない……それが例え憎悪でもなんでもいいから気持ちを向けて欲しかったって思うのは……駄目……?」
俯いた頬からぽたぽたと涙の雫が溢れて、曇り始めた空から溢れる雨と同じように地面に水玉を描いてく。見る限り、こっちよりひとつふたつ年上の『サナ』は、子供みたいにしゃくりあげて、涙を拭い拭い泣き出した。
「オリジナルから見ても……あの子から見ても……やっぱり、私って、『要らない』……?」
その声はこのまま、静かな霧雨のさあっという音にすら消え入りそうで。
「…………えっとぉ……」
どう励ましてあげたらいいか、答えが見つからない。返事に困っているとまたぽつりぽつりと濡れた声が溢れる。
「本当に死にたくて死んだ訳じゃない……」
「でも、死にでもしなきゃ伝わらないと思った。これしか手段がなかった」
「誰かの物にならないと生きていける自信もなかった」
その言葉の一つ一つ、子供みたいなわがままにも、溺れるぐらい深い絶望にも聞こえる。
「……わかるよ……私も……死ぬつもりだったし、突き放されたら生きていけなかったもん……」
その言葉に頷くことしかできない。
***
夕方に降り出した雨は、一晩強く続いた。
一旦家に戻った私は踏みつけられたマフィンを目の前に、窓の外を見上げる。あの子達はどこへ逃げただろうか。
吐いた暴言がもう元に戻らない事ぐらい、痛いほど体感してきたのにどうにも凝りないなと眠らず反省した頃、明け方には家を飛び出す。
あの弱り具合で、濡れるのが嫌いな『私』が雨の中、そう遠くには行けないはずと見込んで街を駆けた。
ふっと通りすがり気になったのは、街の中にある小さな公園の中の遊具。ドーム状になっているその中で身を寄せ合う二人を見つけ出した。
「居た居た」
「……っ!」
ぐったりとしたままのセーターの方の代わりに、怯えた目をパーカーの方が向ける。その目が一瞬で敵意の目に変わるのを見て、私は昨日の反省を交えて戦意は無いことを示すつもりで両手を上げた。
「……悪かったわよ、昨日は酷い事言って。つばさと暫く会えてなくてイライラしてたの! ……1週間、出張でね。今延長になったって電話があって、ちょっと八つ当たりみたいな事しちゃって……。たった10日会えないだけで辛くなるのに、一生振り向いて貰えなかったとか……生死も分からない状態で離れ離れとか……『私』が耐えられる訳ないもの……」
遊具の外から、できる限り柔らかくそう声を掛ける。こんな狭いところに敵ともなる相手が突然に踏み込めば強い恐怖を覚えるだろう。相手が自分だからこそ分かる距離感だ。けれど、今の限りではその距離が把握を遅らせた。薄暗い雨の日の薄暗い遊具の中……話して暫く、セーターの方からの返事がないことに一歩遅れて気がつく。
「……そっちのサナ、大丈夫?」
「ええと……昨日あれから動けなくなっちゃったの……」
パーカーの方は私と隣でうずくまるセーターの方を交互に見ながら、困ったような慌てたような様子だった。これはまずいかも、と思うと距離を取っている場合ではない。
「ちょっと我慢しなさい」
遊具の中におもむろに乗り込んで、セーターの方の頬に触れてみる。
「さ、わるな……」
「私は呪われないわ」
セーターの方の呼吸は大分浅く、この肌寒さには似合わない程身体は冷や汗に濡れていた。それでも震えながら私の手を払おうとするのは、触った相手を呪い殺してしまうと人間たちに勝手に謳われたのを自分で信じてしまったから。……あんなのただのおとぎ話だと知っている私には効く脅しじゃない。
「ちが、う、いたい……」
「……分かってる、この熱じゃ痛むでしょう……」
その脅しが通じないとなれば、もう強がりも限界だったのだろう。セーターの方は首を緩く振ると、痛みを訴えてきた。触られるだけでも身体が痛い。それだけ熱を出してるのは触れるだけで分かった。精神性の発熱をよく出すのもこれまた『私』によくある事だった。
これは一晩かなり我慢してたのだろう。我慢強さにおいては恐らく、この子は私より不必要な強さを持っている。その辛さに同調を見せながら労るように身体をさすってやれば、辛さに耐えきれなかったのかぽろぽろと涙を零し始めた。
「う、ううぅっ……」
「泣かないで、魔力下がっちゃうから……」
この頃の私は、ボロボロの身体を魔法で維持していた。泣くことで魔力を失えば命の危機も間違いない。
慌ててセーターの方を背負うと、持っていた傘はパーカーの方に押し付ける。
「濡れるの嫌だと思うけど、お互い様だから我慢して。我慢は得意でしょ?」
そうして、自分でもびっくりする程に軽い自分自身を背負って、雨の中を駆け抜ける。襲ってきた相手を家に連れ込むだなんてルナに知られたら説教も間違いないだろうけれど……ふたりを家に連れる他、今は案が浮かばなかった。
「あらら……限界だったのね……」
家に到着するまで数分もなかったと思うけれど、その間に体力が尽きたのだろう。小雨の中を夢中で駆けて家に着いた頃には、セーターの方はぐったりと意識を失っていた。
「ええと、私のベッドでいいか。今拭いてあげるから待ってて」
聞こえてないと分かっていても、静かに声を掛け、どうせろくに使わないベッドに寝かせる。
寝顔は案外落ち着いて見えるから、眠りの様子お私と同じなら暫くは起きないと思うけれど……魘されて飛び起きたり暴れたりしないといいけど。
「あのぅ……なんか手伝う……?」
「貴女は休まなくても大丈夫?」
「うん、なんとか」
取り敢えず身体を拭いて温めてやらなければ、とタオルを取りに行こうと立ち上がったところで、つん、と遠慮がちにパーカーの方が私の袖を引く。どうやら片割れが動かなくなったことを不安に思っているらしいが、それよりもなんだか視線が異様にチラチラするところを見ると……。
「悪いけど、何か隙を狙ってるなら無駄よ」
「……やっぱり駄目?」
なにか付け入る隙を見計らっているようだった。上目遣いにウインクを決められたところで、自分自身の色仕掛けにそうそう引っかからない。えへへ、と笑う顔はさっきとはまるで顔色が違った。セーターの方が嫉妬や攻撃性に強いなら、こちらは狡さや演技強めの自分というところだろうか。
「……手伝いとかいいから、側にいてあげなさい」
「え?」
「心配なんでしょ、この子のこと」
それでもどこかソワソワした様子が拭えないところを見ると、ピンと来るものがある。……さっきから私の行動とこの子の行動は利害が一致しているのだからそうだろう。
「私から逃げるときに自分だけ逃げたらいいのに、一番にこの子の手を引いてた。そもそも『サナ』の立場を奪うつもりなら、いずれこの子と戦う羽目にだってなるはずなのに、わざわざ結託して自分主体で動かない辺り……この子よりは私の立場が欲しいわけじゃなさそうだしね……この子に作られて誘われて、理由聞いちゃったらほっとけなくなったと見ただけよ」
内心を言い当てられて気まずいのか、パーカーの子は「んー」とか「うー」とか呻きながら更に落ち着きを無くして指を弄る。恐らく、最初はそのつもりもなく、チャンスがあれば利用するつもりで行動を共にしていたのだろう。それでも徐々に危うくなっていくセーターの方を、今では確実に心配の目で見ているのは明らかだった。
「ま、理由を話し辛いのも分かってるから答え合わせはいいけど……。多分、私も放って置けないのよね……相手にしなくても自滅しそうなぐらい危うく見えるんだもの。今までもそう。自分の敵の立場にある相手とか、落ちこぼれた方とかについつい手を掛けちゃって……必死になって……。それで相手も同じく尽くしてくれるとか勝手に期待して見返り求めて……」
そういいながら、雨に濡れたままのセーターの方の顔を軽く拭ってやる。やつれて細った、疲れた顔。愛されたくて藻掻いた記憶。あの時の自分が目の前に居て、今の私を乗っ取りたいぐらい羨ましく見えると言い出したら同情しない訳がない。
「そんな期待、最初からしなかったら、あの人に見放されなんかしなかったんだろうな……」
「…………!」
何度分かって欲しいと願ったことか。思い出せばつい、後悔が口を出る。その言葉を聞いてパーカーの子はどこかハッとしたような顔で肩を竦めた。
たぶん、私のこの言葉は……今目の前で眠るセーターの子の本心でもある。
何か思うところがあったのだろう。私に続いてパーカーの子も、セーターの子の枕元に寄り添った。
「タオル取ってくるから見ててあげて。ついでになんか温かいもの持ってくるから大人しくしてなさいよ」
「……この子に、言わないでね?」
「交渉成立ね」
その様子からもう大丈夫そうだな、と確信しつつも、中身は私だ。信用ならない。下手な行動を取ったら許さないからねと釘を刺せば、今の話は本人には黙って置いて欲しいといわんばかりに人差し指を口元に仕向けられた。二人だけの内緒。そういう事にしといてあげましょう。
「……無事に起きたらいーなー……」
そのままタオルを取りに部屋を出た間際、横目に眠るセーターの子の手をパーカーの子が握っているのが見えて、思わず聞こえない程に静かな笑いを零してしまった。
ここは……どこだろう……。
『見慣れない天井』って実在するんだ……。なんて一瞬、見当違いの事を考えてから何気なしに首を傾けた。瞬間、ベッドサイドにまじまじと添えられた視線に身体がビクリと硬直する。自分そっくりだけど少しタレ目のその顔は、すぐに気持ち悪いぐらいオーバーにぱああっと嬉しそうな顔になって、クソデカ大声で叫んだ。
「『イミテ』! 起きた!?」
「……『イミテ』?」
聞き慣れない呼び名で呼ばれて余計に寝起きで淀む頭が混乱する。確かこの世界のサナを襲って乗っ取ろうとして、自分とコイツをこの世界に書き写して、でも結局失敗してぶっ倒れて……順序を辿っても、どこにも名前を手に入れた記憶がない。
「シャムはねー、『シャム』だよ☆」
「……なにそれ」
イミテと呼ばれた自分と、シャムと名乗るコイツのテンションの落差がひどい。そういやなんか知ってるより大人しいなって思ってたんだけど、コイツの本来のテンションってこうだった……。いつの間にエンジン全開になったんだろうと考えて、考えきれず残る眠気が邪魔をする。掠れた声で聞き返すのが精一杯だった。
「クーちゃんが考えたの☆」
「クーちゃん」
「オリジナルサナ」
さて、私が気絶して今の今まで眠って、起きるまでどのぐらいの時間が経過していたのだろう。
「……いつの間に寝返った?」
「イミテが寝てる間に何度か騙そうとしたけど騙せなかったんだもぉん~♡ 楽な方についた方がお得♡」
どうやらすっかりシャムとやらはここのサナに懐いていて、すっかり良くして貰ったのか知らないがそれで調子を取り戻したらしい。両人差し指を頬に添えてニコニコし始めるからがっくり来た。なんだわざわざ連れてきてやったのに使えねえ奴……。と内心舌打ちをして、餌付けされたカラスをじとりと睨んでから気づく。
「おま……てか『イミテ』、『シャム』ってもしかして……?」
その名付けの意味合いにようやく不快感で目が覚める。と、そこにすっかり当たり前のように部屋に入ってきたのは、他の誰でもないここの『サナ』だ。
「イミテーションのイミテ。シャムはそのままシャム。模倣品とか偽りとかそういう意味よね」
「……ふざけないで欲しいんだけど、喧嘩売ってるつもり?」
「そう思う?」
片腕をなんとかベッドに突いて状態を起こし、サナの顔を睨んでやる。その名の意味合いは聞く限りこちらをパチモン扱いしているようにしか聞こえない。涼しい顔で勝ち誇ったみたいに笑われると、やっぱりコイツは生かしておけない。ふざけんな……!! 今度こそ私が、私だけでもコイツを倒して乗っ取ってやる……!!
「……痛……っ!」
そう思ってベッドから立ち上がろうとするけど、身体は言う事を聞かなかった。身体に走る激痛に思わず悲鳴を上げて、掛けられていた毛布に縋る。アイツの毛布なのが気に食わなくてすぐに顔を上げると……サナの手が直ぐ側に迫っていた。ふっと顔に影が落ちる。
やられる。
咄嗟にそう思って身体を竦めた。
どれだけ自分の物語の中で殴られようと慣れない痛みを覚悟した瞬間。
その手は額にそっと触れて、サナは何の抵抗もなくベッドの横に膝をつく。
「熱下がったわね、良かった」
「ど、どうして……優しくする、の……」
「……こうして欲しかった、って覚えてるから」
そのまま、ゆっくり抱き寄せられてそっと頭を撫でられる。それを目で捉えていたはずなのに一瞬、何をされたか分からなかった。
何度も、何度も誰かに縋りたいと願っていたはずなのに、いざそうされるとどうしていいかわからなくなって。一瞬、手が迷う。
「貴女の話は私の話……。後悔はしてるけどそれが全部悪いことだったとは思ってない。あの時の私はあれが精一杯だった。反抗することでしか気持ちを表現できなかった。受け取って貰えなくて苦しかったし悔しかったね……」
「…………っ」
それでも、気持ちを代弁されてしまうと……身体は勝手にサナの背に縋って、涙が溢れた。その通り過ぎて、何も言い返せない。嗚咽を呑むのが精一杯だった。
そうだ。誰にも分かって貰えなかったけれど、あれは私の精一杯の想いだった。それしかできなくて苦しくて、どうしたら伝わるのか、この気持ちが晴れるのか、どんどんわからなくなっていって、意地を張れば張るほど収集がつかなくなって……。
「貴女はあの子の為に精一杯自分の気持ちすら偽って、嘘を貫き通した。……それって必ずしも責められるだけの事じゃない……結果、あの子を貴女は突き放すことで、自分の怒りや悲しみから守り抜いた。だから『イミテ』、貴女は自分を偽った事を罪と思わないで欲しい」
イミテ。イミテーション。模倣。真似。
本心を殺して殺して殺し続けて、正しく振る舞えない自分を隠す為に私は嫌われ続けた。嫌われようと振る舞った。サナの偽物で有り続けた。あの子が読んだおとぎ話のサナから遠ざかって、本当の自分を見て欲しくて。『可哀想』だなんて目で見て欲しくなくて。私はあの子を呪い殺すような存在じゃないと信じて欲しくて……!!
同情で成り立った幸せより、憎まれてでもいいから目の前にある本心を見て欲しくて……!!
それは……間違いなくおとぎ話に語られたあの子の憧れたサナでも、今目の前に居る本当のサナでもない。今、ここに居る自分の生き方、そしてその結末に付いた、私だけを指す名前……。
「…………う、ううっ……ごめんなさい、上手くできなくてごめんなさい……でも、でも」
「……私だけ見てって、あの子の自由を奪いたくなくて言えなかったけど、頑張ったんだよね……」
「うわぁあぁぁ……!!」
そう言われて、また抱きしめ返されるともう嗚咽も我慢できなかった。
その様子を見て、さっきまで笑っていたシャムも一転、目を潤ませる。それを見過ごさなかったサナは、私を抱きしめていた片腕をシャムに差し出して肩を抱き寄せる。
「『シャム』、貴女も。誰も味方に思えなくて、ひとりで無理して笑って誤魔化して演じて……不安を零すことすら許されなくて……きょうだいのことも、友達のことも、メンバーのことも傷つけてしんどかった……でもその演技がちゃんと、貴女の歌を聴いた誰かに届いた事を忘れないで」
「うんっ……」
サナは両腕に私達を抱き寄せると、まるであやすように二人の頭を撫でる。たったそれだけ、自分同士の傷の舐め合いだと分かってるのに……いや、そうだからこそ表出せる『痛み』が確かにあった。
「私は貴女達の記憶を悪くなかったって思ってる。痛かったことも悔しかったことも全部、無くしたくない大事な過程」
「「っ……」」
未来の自分がそう言う事に二人で息を呑む。嫌な記憶として処理されていないか、要らない存在じゃなかったか、自分のした事は正しかったか? お互い、不安に思わない訳はなかった。ただ、確かめるにはあまりにも自信がない。……だから、いっそ乗っ取ってしまおうと考えたに過ぎなかった。
「今だって素直に話すことはうまくできないし、ちょっとした事で嫉妬して機嫌損ねて……人に言われなくたって面倒だと自分でも思う」
その語り口調とは裏腹に、サナは少し仕方なさそうに笑う。ちょっと困ったジョークを言ったか、子供に譲歩した時のような諦め混じりでいて、でも納得の行く答えは既に出ているような安堵した笑みだった。
「でもこれが『サナ』で……そう簡単に変えられない。誰にも。多分これからも自分に振り回されて誰かを振り回してしまうかもしれない……。その時にきっと貴女達の記憶を思い出してブレーキになってくれる。そう思えば、今ここに貴女達が来てくれて良かった。……警告してくれたのよね、きっと……」
そういって更に、サナは私達を強く抱き寄せた。お互いの頭と頭が触れる位置まで来ると、不思議と……いや、必然と……? サナのその言葉が本気だと触れた頭から伝わった気がした。
「……そう、なのか……な」
「そうかな……」
「そうしときましょうよ」
いつしか、その言葉に納得で頷いてしまっていた。その頃にはすっかりコイツを乗っ取ろうという気は涙と共に流れ出ていて、私は既に『イミテ』だった。
「……私はここの『サナ』であることを譲れない。ここは私が守って、そしてつばさに守られて、コエに望まれて在る世界。つばさとコエが望んだ『サナ』は私。……だけど、貴女達の存在を要らない過去にはしない。それだけは約束する」
同時に、コイツには勝てないなという確信も生まれる。そう言いながら自分を確かめるように胸に手を当てるサナは、同じ存在でも経験と自信がまるで違った。コイツはコイツなりに私とは違う、痛みも甘んじて受け入れるような経験を積んだのだ。私にみたいに我儘で通じない修羅場も山場も戦い抜いて、恵まれてるんじゃなくて自分で勝ち取った『本物』なんだ。
「……全て許して貰えた訳じゃないけど、私はここで珠莉の記憶ともきちんと話をしてる。……珠莉も、冷たくしてごめんって言ってくれた。イミテ、貴女の話せなかった『言葉』は無駄じゃなかった。それは保証する」
そう言うとサナは私とシャムの肩を離した。そこでようやく合った目に、うっすら涙が浮かんでいるのを見ると、コイツにとっても今、痛くて苦しい記憶の話だったのだと気づいて……自然と口から出た。
「……ごめんなさい……」
「……!」
そのまま、静かに頭を下げる。それ以上を言うことはやっぱり素直になりきれなくて難しかった。
ただ、攻撃をしたことも、楽しみにしてた事をぶち壊したのも怒られて当然の行為だ。自分なら怒り狂っても仕方ないのが分かるから……余計に謝らずにはいられなかった。
「…………私よりよっぽど、偉いのね」
それでも、自分の非を認めて頭を下げるそのハードルがどれだけ高いかはお互いが良く分かっている。サナは驚いた様子の後、今度は自分自身に呆れたように笑った。
「……シャムも、ごめんなさい……」
「うん。いいの、もうこれでおしまい。キリがなくなっちゃうわ」
それに続いてシャムも申し訳無さそうにしょげた。その様子にまた謝罪と吐露大会が始まりそうになる。サナは私達の頭を軽く叩きながら、笑って話を切り上げてくれた。こういう気まずくならない流れを作ってくれるところも、湿っぽい雰囲気が苦手故の振る舞いなのだろう。今は助かった。
「……『サナ』」
「ん?」
そんなところでもう、私達の目的は綺麗さっぱり無くなった。いつまでもここで傷の舐め合いをしている訳にもいかない。そう思うと求めることはひとつ。
「もう、終わらせたい……疲れた、休みたい……」
ちゃんと死にたい。自分の物語を終わらせたい。死んでも死にきれない想いなんてもう沢山だ。シャムも巻き込んでしまったし、ここはもう私達の居場所じゃない。それに正直、もう足掻くのは疲れてしまった。
「えへへ、シャムももう飽きちゃった!」
「……サナに終止符打って貰えたら、多分……やっと、諦めつけられると思うから……お願い」
どうするかは、サナに決めて欲しかった。シャムもそれは同じ思いのようで、頷きながら私の手を握る。二人でサナの顔を真っ直ぐ見つめて答えを促した。
「……そうね、つばさが帰ってきてまた誰か連れ込んでる~なんて言われちゃ困るものね?」
その顔に何か閃いたように、サナはケラケラと笑ってジョークを返してくれた。その様子から嫌な予感はしない。反論はなかった。
「大丈夫、悪いようにはしない」
そうしてサナが取り出したのは一枚の栞。
新月さんの能力から生まれた人物の物語を終わらせるためのアイテムだった。
その意味を知っている私とシャムは静かに頷く。そっと、栞が二人の頭に掲げられた。
「いい夢を……おやすみなさい」
……波の音が聞こえる。
「……イミテ……イミテ!!」
「ん……なに、シャム……もーちょい寝かせて……」
「あーもう違うよぉ! ここどこ!?」
身体がだるい。動きたくない。朦朧とする意識の横で、小うるさいカラスが鳴くので耳を塞いで寝返りを打った。瞬間、口に入ったのは細かい砂。なんだよもう、変な夢……と思ったところで、シャムに揺すり起こされてそれが夢じゃない事に気づく。ようやく身を起こした。
小さな浜に広がる水平線、浮島に建つ少し大きな家。
軒先に手作りのウッドデッキと物干し……質素そうだけどこじんまりした、少し可愛らしい風貌の庭。
これまた手作りっぽい花壇はよく整備されていて、畑みたいなゾーンもある。
なんだろうこれ、自給自足? 反対側には資材みたいなのも幾つか積まれている。
こんな孤島でどうやって入手したんだろう……まで、考えて、今その『こんな孤島』に自分達が転がされている事に気づいて二人顔を見合わせた。
「……あら、貴女達が『サナ』の言ってた新入りさんね」
何が起きた? とどちらが先に言う前に、振ってきたのは落ち着いた声。見上げれば、先頭に立って穏やかに笑っているのはボブヘアの女性。その後ろで、子供とも大人とも見て取れない、背丈の小さな人? が4人、こちらを興味ありげに伺っていた。
「私は『咲七』。ここは……まあ、シェアハウスだと思ってくれて間違いはないかしら」
指先で字をなぞりながら、音は同じでも違う人物だという事を示したかったのだろう。咲七と名乗った人物はサナとの関わりを匂わせながら、そっと私達の前にしゃがみ込んで目を合わせた。それは恐らく敵意はないという意思表示なのだろう。
「ね、ねえここどこ? なんで海の上?」
それでもシャムが警戒気味に、私の腕にしがみつきながら状況を聞き取ろうとする。
「んん……なんて説明したら分かりやすいかしら?」
その質問に、咲七とやらは少し困った顔で笑った。
自分たちの説明もちょっと小難しい事を考えると、向こうにもそれなりの訳があるらしい。
「シンプルに『あの世』でいいんじゃないか?」
「そうねアリウム、それが一番簡潔かもね」
背後で様子を見守っていた、アリウムと呼ばれた水色で丸いショートボブの小人が口を出す。少し冗談じみた口調はジョークのつもりらしい。
「あの世?」
「……私達は全員、葬られた『サナ』の記憶。貴女達と同じよ」
その響きを思わず繰り返したのは私だった。
『悪いようにはしない』最後に聞いたサナの言葉を思い出す。
「貴女達を歓迎するわ」
そう言って、咲七が私達を室内に促す。恐らくこの人たちは『お仲間』なのだろうと察したけれど……さて、上手くやっていけるか。不安に足は出遅れた。
「……いこ、イミテ!」
けど、そんな迷いに浮いた手をシャムが引いてくれてようやく立ち上がる。
……そうだ。今度こそはお互い、独りではないんだ。
「……うん」
その手を握り返して、新たな扉へ足を踏み入れる。
『イミテ』という名前とともに。