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Rear-ended LovePanic

女装の明智が主人公の大学に来る話

2024.02.19 15:10

 一般教養の講義が終わると、彼はそわそわとスマホを開けた。授業を受けていた生徒たちは昼食に何を食べようか話しながら教室を出てゆき、彼とよく話す男子数人も親しげにやってくる。

「なあ、今日五号館のカフェでいい? 冬限定のローストビーフ丼終わるから最後に食いたくて」

 彼はあわてて新着のメッセージから顔を上げる。

「あー……ごめん、えっと、今日は、」

 そのときふと、教室の入口で彼の名を呼ぶ声があった。彼はワッと椅子から立ち上がる。机に広げたノート類を雑に引っつかむと、階段を駆け下りて声の主、茶髪のきれいな女子のもとへ走る。教室内はザワ、と沸いた。

「え、なに、もしかして……カノジョ?」

 先ほどの男子に遠くから聞かれ、彼は元気よくうなずいた。

「昼、弁当持ってきてもらう約束だったから、今日はごめん」

 言いながら彼はかたわらの細い腰を抱き、『彼女』はいささか気を悪くした目つきで彼をにらむ。ショートブーツのつま先は彼のスニーカーを踏んづけていたが彼はやはりデレデレしていて、室内に残っていた数人の女子たちは顔を青くしてつぶやいた。

「え、うそ……彼女いたの……?」

「見たことないよね、他の学校……?」

「超美人じゃん……」

 彼女はちらりとそちらを見やって、それからつい、と彼のパーカーの腕を引いた。行くよと小さくささやかれ、彼は浮かれた気分で教室を後にする。


 構内を歩けば男たち全員が振り返る彼女、ーー明智は白い清楚なブラウスにくすみピンクの愛されロングカーデをはおって、膝上の黒いスカートを履いていた。二月はまだいくらか冷えるからすらりと細い脚にはダイヤ柄の黒タイツを纏っている。背が高くて頭が小さく、まるで雑誌のモデルみたいだ。カーディガンで肩や腰のディティールが隠れているからとても男には見えなかった。

 学び舎がいくつも建ち並ぶあいだを歩きながら、明智はうんざりため息をつく。

「ハァ……ホントに最悪だよ、なんで僕がこんなことしなくちゃいけないわけ?」

 彼はにこやかに言った。

「だって、明智が言い出したんだろ?」

 明智の細い眉が歪む。

「……言いだしたわけじゃない、なんとかしろって文句言っただけ」

 それでも女装のかわいい明智が彼の大学に来たのは紛れもない事実だ。彼はニコニコとカーディガンの腰を抱いた。


 そもそも話の発端は、彼の大学の交友関係にあった。獅童事件の責任をとるため警察の下働きをしている明智とちがって彼は都内の大学に通っている。

 マンションで同棲する明智はしばしば、その大学生活に呆れた声を上げた。

「ねえ、これなに?」

 ブランドの高価なブレスレットだ。あるとき彼の鞄からはみ出ているのを見つけた。そんなもの買うタイプではないから問い詰めると、彼は思い出した顔つきでああとうなずく。

「もらった」

「は? 誰から?」

「同じ学部……? の女子だったかな」

「なんで」

「さあ……」

 さあじゃないのだ。下心以外にありえないだろう。明智は渋い顔つきで燃えないゴミの日にそれを捨てて、それから数日後、またげんなりため息をつく。

「ねぇ、今日は早めに帰れるって言ってたよね? ……酒くさいし、なに?」

「う……ごめん、飲み会、断りきれなくて」

「は? いつも断って帰ってくるだろ」

「……幹事の女子に泣きつかれて」

 いくらなんでも脇が甘すぎる。誰にも持ち帰られずに帰ってきたのが奇跡のようだ。一年のころはまだよかったが二年に上がるとサークルの後輩なども増えたらしく、学内に恋人の姿がない彼はもうほとんど狙われ放題だった。

 身長百七十センチ台後半、美形で寡黙だがノリはよく、困っている相手に親切であんまり頼まれると断りきれない。特待をとるほど成績良好でスポーツ万能、そのくせ抜けていてすぐ女に勘違いされるような言動をする。隙しかない天然たらしである。

 だから何度もそんなことが続いて、とうとう明智がキレたのだ。

「お前さあ、もうちょっと危機管理できないわけ!? どんだけモテてんだよ!?」

「べつに……普通にしてるだけなんだけど」

「その普通がダメだっつってんの! この前も女の子に傘貸して濡れて帰ってきただろ、ああいうの、ホントに勘違いされるんだからな!?」

 ホントになんでこんなたちの悪い男にほだされて付き合ってしまったのだろうと思いながら明智がガミガミ言っていると、さすがに怒られ続けてムッとした彼が言い返した。

「……じゃあ、明智が来ればいい」

「は?」

「明智が大学来て、恋人いるって周りにわからせればいい」

「…………………は?」

 行動力の振り切れた男は翌日さっそく女装用のセットをひとそろい買ってきて、明智は白い顔を真っ青にした。

「おま……うわ、なんでここまでサイズばっちりなんだよ、クソ、入らないって断ろうと思ったのに」

「……いつも、抱いてるから?」

「恥じらいながら言うな、クズ」

「……せ、せっかくだから、……この格好でする?」

「わかった、死に方だけ選ばせてやる」


 そうして二、三日後の昼休みに待ち合わせて、一日女子大生になった明智はプリプリしながら構内を歩いている。

「ホンッット散々だったんだからね、来る途中何度も男に声かけられて」

「え。ヘンなことされなかった? 大丈夫?」

「させるわけないだろ、お前以外に」

 明智は思わずそう答えて、それからしまったという顔をした。鼻の下を伸ばしきった男がとなりでニヤけている。

 いつもなら尻に一発入れているところだがスカートではそうもできず、明智はウォータープルーフの唇で悔しげに歯ぎしりした。もはや知名度は失っているが万一明智とバレてもまずいので薄めに化粧はしてある。用意周到な彼がしっかりと道具を買ってあったから、仕方なくそれを使ったのだ。

 有名私大の敷地は広大で学内には数え切れないほど校舎があり、あちこちに点々と食堂や購買があった。葉が落ちた並木の道をゆき、カフェで温かい飲み物を買って広場のベンチに腰を下ろす。

 すっきりと晴れて風もなく、カップルや学友らが同じように噴水を囲んで昼食をとっていた。明智はスカートの丈を気にしながら木の椅子に座り、肩掛けのトートから二人分の弁当を出す。

「あれ、弁当箱わざわざ買ったんだ」

「……料理、得意じゃないから。せめて見た目だけでもと思って」

 弁当というのは学校に来るための口実で、無理に作らなくてもいいと彼は言ったが明智は作ると首を振った。普段は彼が作るのでたまには自分がやってみたかったらしい。

 でも、と淡いオレンジのほっぺたを明智はまごつかせる。

「その……ごめん、あんまり上手にできなくて」

 愛らしいネコの絵が描かれたフタを開けると箱の左半分は白米、右側におかずが詰められていた。たしかに焦げ目がついたり食材のサイズがまちまちだったりと不慣れ感のただよう出来栄えだ。彼はううんと首を振った。

「明智が作ってくれたのが嬉しい」

「……まずくても文句言うなよな」

 卵焼きは炭の味でウインナーは辛くて、きんぴらゴボウは噛み切るのが大変だった。でも彼はおいしいおいしいとよろこんで食べる。

 恋人になってからも二言目にはゴミクズ殺すって照れ隠しに言う明智がこれを作って詰めるのはきっと、相当恥ずかしいことだっただろう。彼のために慣れない料理をして、人目を気にしながらスカートを履いてこんなところまで来てくれたのだと思うと彼は嬉しくて仕方なかった。

 明智はめったに好きだとかそういったことは言わないが、その分こうやって行動でしめされるとかわいくてたまらない気持ちになる。

 卵の苦さに顔をしかめ、明智はゆるく首を振った。

「あの、ごめん、全然残していいからさ」

「おいしいけど」

「……嘘つくな」

「ホントなのに」

 明智は怒ったような、情けないような顔をした。彼は目をほそめて手を伸ばす。日に透けるハチミツ色の髪をやさしくすいた。明智はチラ、と辺りを気にしたそぶりを見せる。彼はほがらかに言った。

「誰も気にしてない、ただの恋人にしか見えない」

 明智はかすかにマスカラの載ったまつ毛をそっと伏せた。恥じらいがちにうつむいて頭を撫でさせるさまに、彼はぐう、と奥歯を噛む。

 正直な話をするなら女物の用意をしたのは口うるさい明智への抵抗半分で、残りの半分はスケベ心だった。まさか本当にそれを着て学校まで来てくれると思ってなかったから、マンションで明智との行為に使えたらいいなくらいの気持ちで彼はそれを買ったのだ。

 それがこんな風に自分の大学でしずしずとしているのを見ると、明智なりに自分を他の誰かにとられたくないくらい大切に思っているのが伝わってどうにもいじらしい。

 嬉しくて彼はついついワシャワシャと明智の髪を撫でた。もう、と明智が唇をとがらせる。

「一応セットしてきたんだから、……やめてよね」

 言われてみればいつもより内向きに髪の流れがまとめられているように見える。こんなところまで気にして直してくるところがかわいい。

 彼は胸いっぱいになりながら、弁当の箱をすっかり空にした。

「おいしかった、また作ってほしい」

「……ハア、もう、君ってホントにバカだよね」

 明智はカーディガンの肩をすくめたきりで、いつもみたいにバッサリ嫌だとは言わなかった。明智なりのイエスの返事に浮かれて、彼は弁当の箱を片づけて明智にぴったり寄り添って座りなおす。『彼女』でいる分にはおかしくないと思ったのか、明智も普段ほどは嫌がらなかった。


 ぬるくなったコーヒーを飲みながらすこし話をしていると、向こうから彼の名を呼ぶ姿がある。男女四人は同じ選択をとっている顔なじみだ。彼はかるく手を挙げた。

「あれ、マジ? 女の子連れてる……!?」

「えっ、彼女?? こんなキレーな彼女いたの!?」

「ウソ〜〜ッッ!? フツーにショックなんだけど!?」

 彼は得意げにうなずいて、うつむく明智を彼女だと紹介した。

「美人だろ。ベタ惚れなんだ」

「いやマジキレーすぎ。どこの学校? 年上? 下?」

「一コ上」

「いいな〜〜〜〜〜年上美人!」

 明智は今すぐ死にたいとでも言わんばかりの表情で彼の胸を小突いた。彼は笑って明智の肩を抱き寄せる。キャアッと女子たちが悲鳴を上げた。

「てか、彼女いるんだったらもっと早く言いなよ!? こないだの飲み会後輩ちゃんに超口説かれてたじゃん!?」

「え……普通に話してただけだけど……」

「うわ、サイテー!!」

「サイテーだよ! ね!!」

 男子はチラチラ明智を振り返りながら、女子たちはさかんに彼の文句を言いながら校舎へ去って行った。

 ようやく噴水の音が聞こえるほどになって、彼はかるく肩をすくめる。

「あの調子なら、明日には全校生徒に彼女がいるって広まってる」

 明智はジト、と彼をにらんだ。

「……口説かれてんじゃねーよ、バカ」

「明智以外興味がないから気付けなくて……」

 明智はムスッとしながら彼の肩に頭をもたれた。彼はしばらく横顔をながめ、そろりと手をのばして明智の頭を撫でる。むずかしい顔つきはいくらかやわらいだので、どうやら撫でろというサインに感じたのは正解だったらしい。


「……午後の授業、何時からなの」

「え? ……あー、あと、十分くらい」

「……そうなんだ」

 彼はコーヒーの紙コップを最後まで傾けて、それからトン、と横に置いた。片手で明智の頬をつかみ、ふい、と顔をよせてキスをする。

「ッ!! ぅ、な、なに……!」

「したくなって……」

「なっ!? ば、ばか、外で……」

 明智は途中で言葉を切った。噴水の向こうではカップルの男が彼女を膝にのせていたし、そのとなりのベンチでは一切気にしない男子たちがカードゲームをしている。向こうの木の下では年配の男性がほのぼのと鳩にパンくずをやっていた。毒気を抜かれたらしい明智は肩を落とし、彼はそのおでこやほっぺたにちゅうちゅうとキスをする。鼻先をかすめるファンデーションの香りにドキドキした。

 タイツの膝をすり合わせてスカートを気にしながら、明智はぽつりとつぶやいた。

「いいな、女子って。こんなとこでこんなことしてても、誰にも気にされなくて」

 いささか寂しげなトーンに気づいて彼は首を振った。

「いつでも女装すればいい。似合ってる」

「ブチ殺すぞ」

「……それは冗談だけど。でも、明智が女子だったらよかったなんて思ったこと、ないし」

「え」

「まあ、女子でも好きになったと思うけど」

 明智ならどっちでもいいと彼が言うと、明智はしばらく考え込んで、それからきゅう、と彼のパーカーをつかんだ。


「……午後の授業、大事なやつ?」

「明智より大事な講義なんてない」

「お前、ほんとに……まぁいいや」

 明智は耳の横のウェーブをいじいじといじって、それからちらりと彼をみた。

「ね、……午後、一緒にサボらない?」

 一も二もなく彼はうなずいた。こんなに魅力的なサボタージュの誘いは他に知らない。明智はくすくす笑って、ピンクのカーディガンを彼の腕にからませた。