国境の島 与那国島の自立ビジョンについて
離島にかえりというなる!?
日本最西端の島をご存じか。与那国島である。沖縄県八重山郡与那国町が正式地名。正確には一般人が訪問できる最西端の島ということになる。面積は約29キロ平米、人口は1700名ほど、そのうち約250名が自衛隊員とその家族である。気候は熱帯雨林気候で温暖、年間を通じて平均気温は20℃を超える。産業はサトウキビ農業や畜産、漁業である。特産品は泡盛と黒糖くらいか。
1500年、琉球王府が八重山諸島を支配下に収めた際に与那国島もその一島であった。薩摩藩の琉球侵攻により薩摩藩支配下となる。1870年代に明治政府に琉球藩を経て沖縄県の帰属となる。1890年代には日清戦争の結果、下関条約で清朝から日本に台湾が割譲された。琉球王国から日本の統治下となった与那国島と清朝から日本に割譲された台湾とは同じ日本に帰属する島同士であるし、その距離は僅か100キロであり互いに目視できる距離にある。台湾が日本統治であった時代には砂糖や米の貿易が盛んとなり徐々に人口も増え最繁期には実人口が2万人もいたとされる。この華やかなりし期間をケーキ時代(景気)と呼んでいるそうだ。1945年に与那国島は米軍の支配下におかれ、台湾は日本から分離されたことから両島の貿易は激減した。1952年にサンフランシスコ平和条約で与那国町は米国の統治となる。1972年に沖縄返還によって日本に返還された。
与那国島は群雄割拠の戦乱時代から琉球王国に制圧され、琉球王国が薩摩藩の支配下となったことから日本の帰属なる。そして、大戦において日本が敗戦すると米国の統治下におかれ、沖縄が米国から日本に復帰すると与那国島も一緒に日本に返還された。あまりに目まぐるしい統治の変化である。
さて、こうして与那国島の歴史をたどると栄枯盛衰は世の習いとは言うものの少しばかりの無常も感じる。栄えたのは台湾との貿易が盛んであったほんの一時期だけ、それ以外の時期は戦火にまみれるか産業が育たず住民が離島し人口は減少するばかり。現在では台湾との交易は見られない。そもそも与那国島にはCIQがない。税関は財務省が管理し、出入国は法務省、人や食品の検閲は厚生労働省、動植物の検閲は農林水産省であるが与那国島への設置の計画は進んでいない。2007年には与那国空港が開設された。台湾へのチャーター機は8回飛んでいるが定期空路の開設には至っていない。与那国島の目の前に見える台湾には500キロ以上離れた那覇を経由して行っている。「フェリーよなくに」による台湾渡航は果たしたもののタイタニック号の沈没を契機に締結されたソーラス条約によって定期航路は認可されていない。与那国島は日本国の一部であるから国が締結した条約には従うしかない。与那国を開港して外国船を受入れるには高いハードルが要求される。国境が近いことから密輸入のリスクも他に比べて高い。高いからこそ相当数の利用者や取引のボリュームが要求される。租税港として開港するにあたって万全な体制を整えるには高度な要求に応えるしかない。CIQを整備するには旺盛な貿易需要が必要となるがその見通しも立っていない。同じ八重山諸島では石垣島への需要の方が多いのは明らかである。
与那国町は2005年に「自立へのビジョン」を策定している。石垣市、武富市との合併をやめて独自の路線を歩んでいくためのビジョンである。ビジョンの柱となるのが台湾と公益と交流。与那国島から最も近い大都会が台湾。日本が対戦で敗戦する前までは与那国島の島民は出稼ぎや進学など台湾への往来が活発に行われていた。与那国島が与那国島の一番栄えた時期に回帰しようとする志向は至極当然である。
与那国町の自立へのビジョンは様々な障壁にぶつかりCIQの整備も開港も定期空路も設置には至らない。その後、行政は国境交流特区の申請することで状況の打開を試みる。政府は、「年間15万トンの輸出入量」「年間50隻の外航船の往来」「5,000トンの船が3隻以上接岸できるバース」等の基準をクリアする必要があること、台湾は日本と正式な国交がないことなどを理由に特区の認定には至っていない。確かに特区での認定は厳しいはずである。定期航路を設けるには相手国との連携も必要であるし、与那国島より東に120キロ先には石垣島もある。仮に八重山諸島で離島ならではの特区を計画した場合、その経済的には石垣島が他を圧倒するのではないか。さらに言うと、沖縄県内で特区や近隣諸国との連携に特区制度を利用するとなると那覇市での計画が優先されるのは避けられない。なにより、与那国島には中国語のスピーカーはほぼいないと言われている。
与那国島と双璧とも言われる国境の島が長崎県対馬市である。韓国の釜山へは海路で57キロほどであり高速船で1時間程度で行き来が可能である。対馬市はCIQも整備されておりコロナ禍明けの昨年2月には定期運航が再開している。対馬が可能で何故与那国島は定期航路を運航できないのか。答えは簡単、まず需要の差がある。対馬は人口3万人ほどであるから与那国町の約20倍。対馬には木材と水産物という輸出商材がある。チャーター便以外は福岡経由となってしまうが、商材は韓国のニーズに合致している。一方、与那国島の産物は黒糖と泡盛くらいしかない。これらが台湾のニーズに合致したとしても少量である。定期船やバルク船を見込むような需要は将来的にも見込めない。新たな産業を模索するにしても資本力が弱く人口も少ない。劇的な経済成長は見込めない。対馬は仕向け国が韓国であるから国交があり農水省のバックアップも望める。対馬のほとんどは森林であり林業の将来性は高い。クエやアカムツなどの高級魚も韓国で高く評価されている。ただし対馬もピーク時より人口は半減しており今後も人口減少は続くと目される。古くから対馬は日本本土と大陸との貿易の中継役や橋渡し役を担ってきた。国内での需要が今後は減少していく中で対馬も厳しい状況におかれているが韓国との貿易の拡大、他国との交流拠点など行政のロードマップは確立されている。与那国島は台湾との姉妹都市協定やチャーター便での往来で交流はしているものの交易には至っていない。台湾と日本との正式な国交はない上に産業の魅力にも欠ける。人材交流を諮るにしても受け入れ態勢も万全ではない。同じ島嶼であっても人口も多く島も大きい対馬と与那国島はあまりに対照的である。
与那国町のこれまでの取り組みを鑑みると自立へのビジョンの方針転換を検討するべきではないか。台湾との活発な交易を柱にした経済活性化案はノスタルジックにするのかもしれない。自治体の町税収入は2億1千8百万円ほど、予算規模は地方債42億7千万円ほどしかない。港の整備や企業誘致に多額の予算はさけない。これまで与那国町が求めてきた台湾との交易、航路空路の開港は何のためになのか。経済的な繁栄を求めていたはずである。とどのつまり島民の生活の向上を求めているに違いない。その手段は大規模な貿易でなくても良いはず。与那国町の経済規模は大きくない。約2400万人の人口を抱える台湾とは事情が違う。与那国島の人口は約1700人である。その少ない島民の暮らしが豊かになる手段は貿易に限る必要はない。基地提供による補助金、自衛隊員の増員による島民増加。太陽光発電施設も増えてきているし、風力発電施設も順調に稼働している。もしかしたら電力エネルギーだけは島内時給が可能になるかもしれない。国境にあることを活かす、離島であることを活かす方策はないものか。1986年、ダイバーによって新川鼻沖の海底で海底遺跡のような地形が発見されて話題となった。遺跡は宮殿の跡のようにも見え人工的に加工されたとも見え海底遺跡と見る説がある。遠い昔の文明が何らかの形で土地が沈降し海底に沈んだともいわれている。これをもとに竜宮城伝説のようなストーリーを創造できるのではないだろうか。若いカップルにもベテラン夫婦にも訴求されるような。また、国内最西端であることから国境を意識した平和を願うスポットを企画できないか。GO TO 与那国島をキャンペーンし国内の観光客を募る。インバウンドはお隣の石垣島などと連携し2島めぐりを中心としてツーリストへの訴求力を倍増させる。とにかく、自立ビジョンは経済が発展して人口も増えてケーキ時代の再来を夢見るのではなく、現在の島民の生活が向上するための施策を模索するべきであろうと思う。離島であることから日用品も食料も沖縄本島や本土に比較すると2割以上は高額である。島民の負担は確かに重たい。小規模なコミュニティーとしての島民の所得向上につながるようなコンパクトなビジョンが望まれると考える。
さて、与那国島にとって経済政策と同じかそれ以上に重要なのが安全保障の問題である。中国と台湾の緊張関係は日毎に増している。台湾有事が現実のものとなると与那国島へ与える影響は凄まじい。習近平政権は反台湾独立と祖国統一を目指すことを公言している。統一するには方法は2つしかない。平和的に統一するか武力によって統一するかである。習近平氏が平和的に統一する為に無期限に時間を使って工作をすることは考えにくい。習近平氏は国家主席の任期であった2期10年の規定を撤廃して3期目に突入した。台湾の統一という偉業を成し遂げることで建国の父と言われる毛沢東氏に匹敵しようという意思が窺える。台湾有事が現実となると多くの避難民が隣接する与那国島に押し寄せると予想されている。政府は昨今の世界政情が不安定なことから防衛予算の大幅増額を決めた。しかし、その中には台湾有事が起きた際の避難民の受け入れ施設の整備は盛り込まれていない。昨年、松野博一官房長官が島を訪れた際、糸数与那国町長は避難民受け入れについて直接支援を求めたが具体的な回答はなかったという。官房長官が支援を確約すると台湾有事の際の難民受入を台湾に向けて発信することになる。政府が難民受入に対して準備を進めることを公然とは実施できなくても有事が怒ると現実的には多くの船が台湾から与那国島に向かうことは避けられない。
2022年8月、中国は大規模な軍事演習を行った。中国の発射した弾道ミサイルが日本のEEZ内に6発も撃ち込まれた。その後、日本政府は米軍に対して与那国島の軍事施設の使用を承認した。米軍兵士が11月に与那国島に上陸したが40名ほどで行う小規模な軍事演習に留まっている。日本政府は中国政府の反発が予想されることから台湾有事を想定した解される防衛策の実行を回避している。しかし、このまま無策を通すことは与那国町民に対する棄民行為となるのではないか。政府は自衛施設として迎撃システムの配置を行うべきである。併せて、島民向けの大型シェルターの建設、港の再整備、ヘリポートの増設、自衛隊基地の増設と増員、食料等備蓄の増量など中国の顔色を伺うことなく早急に進めるべきだ。有事の折には尖閣諸島も防衛しなければならない。シェルターは避難民の受入に対応可能とする、港の整備は避難民の入港を可能とする、更に沖縄本島や石垣島に島民を非難させるための手段を国が先導して計画しないといけない。自治体の備えで解決できる問題ではない。ウクライナからの避難民がポーランドに殺到したように台湾からの避難民が日本を目指すことは容易に想像できる。政府が無策の現状を続けることは人道的にも許されない。
政府と自治体は本年2月5日に沖縄県の先島諸島からの避難計画の訓練を実施した。6日間で12万人の非難を想定している。気になることがある。この避難計画を実施するには武力攻撃予測事態と政府が認定する必要がある。その認定基準が不明である。考えようによっては認定基準を曖昧にしておいた方が運用しやすいということもある。いざとなった時に実施できないということになったら困るので政府の意図だけでも事前に知りたい。国民保護法は当然、日本国民の保護を対象としている。緊急時の外国人へも実施できる余地を規定してはどうだろうか。併せて、有事に際しての入管機能はどうなるのか。また、非難に際しては自衛隊の輸送に頼ると攻撃対象とされる危惧があると思う。民間の輸送力だけでは無理ではないだろうか。ポーランドは難民の受け入れに3000億円以上の予算を費やしたというが、日本政府が人道措置を講じるとなるとどこのどの予算で賄うことになるのだろう。とにかく、不安や心配は尽きないが着実に打開していかないと事態はすぐそこに迫っている可能性がある。
最後に言うまでもないことかもしれないが、たとえ僻地であろうとも国家はインフラを整えそこに住む人々の生活を支えないといけない。それを放棄したり移住を進めたりすることは棄民政策に他ならない。正確な財政認識を持っていれば自己責任論のような差別的な棄民政策は生まれない。コンパクトシティとは移動インフラを再整備して無駄なサービス拠点を無くすことである。都市の再開発とは一線を画す。こと与那国町に関して言うと国は移動手段をどのように確保するか。そして、製造業や漁業、観光業などの生産性をどのように上げるのか。国は与那国島をはじめとするいかなる島嶼への財政出動を惜しんではならない。与那国町は立ちはだかる国境の壁に嫌気がさして独立論が湧くよう機運に飲まれてはいけない。複雑な海洋利権が絡んでいることから尖閣諸島問題のみならず与那国島の統治について政府は毅然と執行しなければならない。
*政府の国境警備の方針はどのようなものか。与那国町には自衛隊が配備されたものの250名の隊員が情報集にあたっているのみであるように思われる。今後の与那国町の防衛体制に対する方針を問いたい。
*台湾に有事が発生した際には多くの台湾からの難民が与那国島に非難の為に訪れると予想されるが、現状においてそれを想定した体制が整備されていないが政府の方針は如何か。
*自衛隊を除けば与那国町の人口は減少傾向にある。国境の島への定住支援策は自治体だけではなく政府も積極的に関与すべきではないか。自衛隊にばかり島の維持や活性化を委ねてはいけないのではないか。医療、出産、流通、物価など住民の暮らしを守ることも国防の役割のひとつと考えるが政府の考えは如何に。
参考
与那国自立へのビジョン 与那国自立へのビジョン策定推進協議会
予約に自立へのビジョン断想 上妻毅 藤原書店 日本の国境問題
第4次与那国町総合計画
https://www.town.yonaguni.okinawa.jp/docs/2018042400229/file_contents/sogokeikakuhonpen.pdf
与那国島 Wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E9%82%A3%E5%9B%BD%E5%B3%B6
与那国町 決算
https://www.town.yonaguni.okinawa.jp/docs/2021121500017/
与那国町役場
https://www.town.yonaguni.okinawa.jp/
与那国島の防衛問題
<解説>与那国と台湾 防衛白書
https://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2022/html/nc014000.html
与那国島と台湾 防衛白書令和5年
http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2023/html/nc015000.html
沖縄を平和の要石に : 地域連合が国境を拓く
国立国会図書館請求記号 Z72-T592
国立国会図書館書誌ID 030808519
資料貼付ID: 1202100023877
資料貼付ID: 1202001400168
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I030808519
与那国島の歴史
http://shimanosanpo.com/churajima01/yonaguni00/rekishinen_07.htm
与那国開港をめぐる中央と地方の視点 舛 田 佳 弘
https://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/JapanBorderReview/no4/masuda.pdf
令和2年度 与那国町国境交流結節点化推進事業https://www.town.yonaguni.okinawa.jp/docs/2020080700018/file_contents/3siyousyo.pdf
実現性あやしい「先島諸島から12万人避難計画」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/307364
対馬の輸出振興と釜山との定期航路開設に向けた取り組みについて
平井 太郎・山本 裕
http://reposit.sun.ac.jp/dspace/bitstream/10561/1188/1/v8p135_hirai.pdf
長崎・対馬―韓国・釜山の高速船航路、3年ぶり再開
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOJC2491E0U3A220C2000000/