偉人『マザッチオ』
本名トンマーゾ・ディ・セル・ジョヴァンニ・ディ・シモーネ・グイドッチと長く、マザッチオは本名のトンマーゾのマーゾからくる愛称で大きなトマトや汚いマーゾという意味を持つ。大きな人物であったとか、身だしなみに無頓着だったという話が残っているルネサンス絵画の創始者と呼ばれた画家である。ルネサンス文化に興味がない場合や宗教画に詳しくなければ知名度が低い画家であることは間違いないのだが、後世の名だたる画家らが彼の作品をこぞって模写したことは有名な話である。
さて今週月曜日の子育てサジェスチョンの『兄弟姉妹の喧嘩』の記事の流れを受けて、当時の宗教絵画の世界に於いて弟共にルネッサンス初期に活躍し、尚且つこんな偉人がいたのかという普及のため彼を取り上げる事にした。
当時の宗教画はかなり厳しい規制がされ、描かれた人物は無表情で血の通っていない蝋人形のように描かれていた時代である。しかしマザッチオはこれまでの宗教画のあり方に捉われず、自らの努力によって革新的に宗教絵画に新風を巻き込んだのである。
イタリア・フィレンチェが大好きという方にこれまで何人もお会いしてきたが、彼らの多くがレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ。ラファエロ、ジョットに注目している。しかし注目すべきは今回取り上げる若き努力家画家のマザッチオをである。マザッチオはわずか27歳という若さで亡くなり彼に関する資料がほとんど残っていないが、彼の作品の中からその功績と努力を垣間見ることができる。そして彼の革新的な意欲について彼の育ちと共に大いにを想像してみることとする。
マザッチオは1401年12月21日は公証人の父ジョヴァンニと宿屋の娘である母のヤーコパのもとに誕生する。彼が5歳の時に父が亡くなり、同年にマザッチオの作品の下絵を手伝っていたとされる弟のジョヴァンニが誕生する。母が再婚した事実はあるが彼の人生を紐解くような生い立ちを記したものやメモなどの類も残されていないことから、彼の短い人生の私生活ですら不明なままである。私生活は歴史の中に埋もれてしまっているが彼の作品は彼がルネサンス絵画の創始者であることを如実に語り、後世の偉大な画家らに多大な影響を与えたのである。
では手始めに彼の革新的な事実を取り上げておこう。当時の絵画=キリスト教の宗教画であった。これまでの画家がイエス・キリストに服を纏わせていたのに対して、革新的にマザッチオは丸裸にした最初の画家である。当時の考え方として『美しい精神は美しい肉体に宿る』と考えられていたためマザッチオはその考え方を幼子イエス・キリストをムキムキ鍛えた幼子にしたのである。おそらく当時この作品を見た人物は驚きの声を上げつつ精神性の高さを表現した作品を賛美したであろう。しかしマザッチオの革新的絵画はこれだけに終わっていない。
次に彼が挑んだのは宗教画に登場する聖アンナを老婆にした事である。宗教界がで聖人らは神に近い存在で永遠の若さが約束されたものとして描かれなくてはならなかった。しかしマザッチオはタブーとされた聖人である聖アンナを老婆にし若い聖マリアと幼子イエス・キリストの若さを強調したのである。絶対的宗教社会の中でこんなにも革新的に作品を描き上げるには相当な勇気のある人物か、何も恐れることのない絵画探究の持ち主であったと推測する。人間長いものに巻かれるのが性であり、そこから信念と覚悟を持って自分自身のすべきことを追求することは並の人間ではできないことだ。ましてや宗教色の強い時代に彼のようにタブーな世界に切り込んでいくことは命懸けであり異端児扱いされ投獄されても仕方がないことだった。彼の絵画の探究はその後の多くの画家らに強い影響を及ぼし、新たに次々と革新的作品を世に送り出した。
彼の作品で名だたる画家たちが衝撃を受けたのがこの『楽園追放』である。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロらが幾度も彼の作品を見にマリア・デルカルミネ教会へ通ったとされ、ミケランジョロは先輩画家の模写した『楽園追放』を貶した事により鼻が曲がるほど殴られた話は有名である。ではなぜこの『楽園追放』が多くの名だたる画家を魅了したのかはそれは幾つかの革新的理由があるからだ。まず1つ目は宗教画では人物は無表情でなければならなかったが、彼は人物に表情を描き込んだ。人間のアダムとイヴが神の啓示を破り禁断の実を食べ、神の逆鱗に触れ楽園を追放されたその姿と表情を描いたのである。そして2つ目はアダムとイヴの足元に陰影を施し、キアロスクーロと呼ばれる光による自然描写を実行し遠近感も表現したのである。同時代の画家の作品は陰影もなければ遠近法も用いられていない作品ばかりであり、彼はかなりの時間を費やし研究に時間を充てていたに違いない。
マザッチオはジョットのような閃きやテクニック、絵画センスが伴っていないにも関わらず彼がここまでやり抜くことができたのは、努力の人であり絵画的技法の研究に研究を重ねたからだということが作品から読み取ることができる。彼の功績は若く情熱があり地道に研究を重ねることができたこと、そして弟のジョバンニが彼の作品の一助を担っていたからこそ成し得たことであろう。画面の人物が記号的で無表情から人間らしい表情や仕草へと変化させたことは、後世の画家らを宗教絵画の厳しい規制から解放し、大いに絵画技術を躍進させたのは間違いない。マザッチオのおそらく万能の天才レオナルド・ダ・ビンチや彫刻家の寵児ミケランジェロの芸術は私たちが見た水準になかった可能性もあろう。
情報がない分想像ではなく憶測に憶測を重ねた記事となってしまったが、絵画的才能はなくとも何か一つに没頭できる才能を持ち合わせることは、乳児期に何か一つに没頭する経験を先ず獲得していたと考える。そしてその一つのことを極める忍耐も持ち合わせていたことが画家としての躍進に繋がっていたことは間違いない。そうでなければそれまでの画家が成し得ていないことを形にすることはできるまい。
マザッチオ、彼はあまりにも若く早世してしまったがために彼の言動や生い立ち、生活の一端を垣間見る記録がないものの、画家として足跡を辿る作品に目を移すと彼の類希なる生まれた後に獲得したであろう才能を認識することができる。
私にとって資料がないということは深読みを阻むものであるが、彼の作品から人物像を想像し生い立ちを勝手に推測する楽しみとブログ化する勇気を持つという新たな扉を開いた人物となった。皆さんもお子さんが描いた作品から何かを読み取ることができるか試してみては如何であろうか。