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白状

干渉する男

2024.02.25 05:07

 昔から、妙な輩に声をかけられる質だった。

 痴漢痴女の類はさほど珍しくない話として、道を歩けば追いすがられ、椅子に座れば人生相談をされ、夜寝ていれば世捨て人が駆け込んでくる。

 どうやら俺の生活のなす線は、他人のそれとの交点がやたら多いらしいと、気づいたその時にたまたま職無しのツテ無しの気力無しであった俺は、露天商を始めた。

「ねえ、聞いてますか?」

 目にとまるものが品物であれ俺であれ、立ち止まらせれば勝ちだと思った。

 商売はいつも、大きな池をど真ん中に抱えるI公園の沿道。

 萎びた品物を並べる萎びた爺さんの間に座り込み、ごく若い頃に他人から押しつけられた物共を適当に配置した。

 本日は数メートル後ろで誰も足を止めないパントマイムの音楽がガシャガシャ鳴っていて、僅かに場所取りに不安を感じたが問題はなかった。

「今日は売り物少ないね」

 午前中の間に今日の食い扶持くらいは稼げた。露天商を始めてからというもの、貧窮のため一日一食だが、案外人間保つものである。こうして日がな一日適度な木漏れ日を浴び、木々の吐く酸素を吸っていると不思議と腹が減らない。俺はこの頃、人間の肉体の可能性を感じている。

「どこ見てる?」

 生ぬるい風がそよいで、池の生臭いにおいと土のにおいを首筋にすり付けていく。じっとりとかいていた汗がすこし蒸発して、冷えた。

 膝に置いていたタオルで、首と顔を拭い、息を吐いた。

 夏が終わりへ傾きつつある。

「これ下さいよ」

 耳の穴にぴたりとハマる言葉に焦点を合わせれば、鼻先にすらりと長い指が近づいていた。

「下さいよ、お兄さん」

「売ってないっすよ」

 切っ先のような指を、首を傾げて避ける。

 斜めの視界に斜めにしゃがみ込む人物は、30そこそこと思われる男だった。

 家族連れやカップルが背中に行き過ぎる、その光景にあまり溶け込まない、仕事のできそうな、しかしどこか角の崩れた雰囲気の男だった。

「売り物は地面に置いてある物だけっす」

「だったら、ね、お兄さん、地面に座ってるじゃない」

 だから売ってよ。

 不自然なくらい口の端を吊り上げて男は笑った。馴染みのない種類の笑顔と、妙な抑揚の話し方に、まじまじと顔を見つめると、どうやら日本人ではないらしいことに気づく。高い鼻。端長い眉。切り開いたような二重。折り畳んだ膝の前で組まれた色黒の指には、金の指輪が三つばかりはめられている。

 外人のホモか。

 腹の中で舌打ちをして、タオルで口元を隠した。

「体は売ってないんすよ。そういう系なら他当たって下さい。電車乗りゃ良いとこ見つかりますよ。教えましょうか」

「アー、アー。お兄さん貧乏でしょ」

「は」

「私の家に来たら、飼ってあげますよ」

 不躾な言い方に文化の違いを感じた。俺は元々少ない愛想をかなぐり捨てることに決めた。

 男の高そうな仕立てのスーツと金釦に腹が立ったからだ。

「商売の邪魔なんで、どいてもらえますか」

「ここ、何時に片づける?待ってますよ」

「帰ってくれ。あんたの所には行かねえから」

「いくら?いくらで、来てくれる?」

 だらりと投げ出していた手に男の指が這った。

 途端にぞわりと肌が粟立ち、真っ白になった頭で男の顔を殴りつけた。

 と思ったのだが、無心の攻撃にも関わらず男は体を捻って避け、つきだした拳は手首から掴まれてしまう。

「くそが!」

 体の奥から吹き出した恐慌とした感情を罵り言葉にして唾棄している内に、男はつかんだ手を強く引いた。

 浮いた腰は踏ん張ることも出来ずに、一本釣りに釣られた魚のように男の懐に突っ込んでしまった。

 男の体は予想以上にでかかった。抵抗しようと自由な片手を振り回したが、胸と胸をつき合わされてしまい、押しやることが出来ない。

 錯乱する瞳が一瞬正気に戻り、男の真っ黒な瞳を、そこに映る見たことのない表情をしている俺を捉えた。

 なんだ、情けねぇ顔してやがる。

 叫ぼうと口を開けたが、声も息も男に食われてしまった。俺の唇全体を覆うように、男が噛みついてきたのだ。

 キスなぞという甘い単語は出るはずもなかった。歯列の形をまざまざと想起させるように、ザラザラした舌がうごめいている。頭の中で、警報がひっきりなしに鳴り響く。

「っざけんなよくそ野郎!」

 ばたつかせていた手が男の後頭部に当たり、夢中で髪の毛を掴むと、男はのどの奥で呻いてやっと離れた。

 俺は両隣で呆けた顔をしてこちらを見ている爺共に向かって「警察を呼べ」と叫んだ。

 他にも色々喚いた気がするが覚えていない。しかし俺の出す声があまりにでかかったのか、男は苦笑いを浮かべながら立ち上がった。

「ごめんごめん。謝るから警察は呼ばないでくれよ」

 取り縋ってでも警察に突き出す気でいたが、突然耳通りが良くなったように感じて俺は黙ってしまった。

 木漏れ日を背負った男が、それがなぜか先程の違和感が全くなく、力が抜けたように笑っていた。

「まさか暴れるなんてなあ。そんなに嫌なら今日は帰るよ。怖がらせてしまってごめんなさい」

 するするするする。流れ込んでくる流暢な日本語。

 またね、と、最後まで満面の大苦笑のまま、男は軽く左手を挙げて去っていく。

 ぼんやりと固まる俺を、人波をすり抜けてきた弱々しい風がそっと押し返す。

 俺は中腰だった尻を地面に落ち着かせて、乱れた品物や値札を整えた。

「兄ちゃんよう、さっきの奴知り合いじゃねぇんだろ」

 タオルで口を拭っていると、右隣の爺さんが伺うような上目遣いで話しかけてきた。

「知りませんよ、あんな変態」

「あいつ、兄ちゃんのこと見てたぞ」

「は、」

「ちょっと離れた所から、じっと見てたんだよ、あんたのこと。何回か見たよ」

「今日より前に?」

「ああ」

 それだけ言うと、爺さんはまた前を向いて、ただの萎びた露天商に戻ってしまった。まるで木彫り人形か干物のようだった。

 俺はしばらく黙り込んだ。唇は何度拭っても拭い切れた気がしない。口の周りがヒリヒリし出した時、俺はトラベルバッグを開いて、並べ直した品物を中に詰めた。

 来たときよりも空いている中身に、地面に敷いていたシートを砂をはたいてから畳んで入れる。

 すっかり片付けを終えて、俺は両隣の爺さんに会釈をしてから歩き出した。

 真後ろにいたパントマイムの男の前には、相変わらず一人の見物客もいなかった。俺はその足下に、先程使ったタオルを投げた。

 眠りから覚めたように、どこかで蝉が鳴く。少しして、寄り添うようにひぐらしがすすり泣いた。

 夏が終わりへ傾きつつある。