四月 晴天 測定不備
電子音、水の音、呼吸、ツグミのなく声、つーつーつー。拍動に追随する静電気、投球時の関節のきしみ、おかみさんのスリッパの音、遠くではためく布団、森の光、つーつーつー。おお、これは、流動と停止のラピッドサイクル。
窓枠に押し付けた腹に空気がつっかえる。それでも遠くの地面に投げた視線を沈み込ませる快楽は一向に減らない。柔らかそうな土は降り立てば僕さえも無数の原生生命の中に組み入れてくれそうだった。
「音でないものを録音するために何がいるかね」
「録音ですか。録音?音じゃないものを?音に変換したいんですか?」
僕は何も人間の男に問いかけたのではなかった。目の前に広がる大地に、己の狭小な視界の中でさえ八百万が息づく自然に問うたつもりであった。
しかし首の後ろで、早口が甲高くまくし立てた。あまりの忙しなさに視界にチラチラとノイズ光が走る。
「いや、うむ、画でなしにおいでなし形でなし。流線を記録するに近いものとして、音を、いや、線を。空白と線をね」
「モールス、モールス信号ですか、あのね、無線機なんざぁ持ち込めやしませんよ。先輩、何してるんですか、さっきから」
「何も」
内耳につのる高音にあっという間に神経が削られ(その速さたるや、電動刃のごとく。恐ろしき!)、僕はズルズルと窓辺から部屋へ脱落した。水晶体が、ひび割れた様に目が効かない。こいつの声はつくづく悪素に満ちている。
「煙草をおくれ」
「またぁサボるんだからそうやって。僕ぁねここに、ここにね、あれ、何をしに来たのでしたか」
いいから、少し黙ってくれ、と歯の隙間から絞り出して、なんとか袖卓の上を手探り煙草を掴む。さっきまでの滑らかで透き通った心地が滅茶苦茶になってしまった。男もしきりに頭をかいて自分の所在を探っている。遠目にも汚れた眼鏡の奥で、細い眼球が走り回る様に動いている。すがめた目でそれを見ていると、ややあって、黒目の軌跡に何らかのアルゴリズムの支配を感じ取った。
おお、これは、音こそ悪いが動きには中々写し残すべき特徴がある。
「君、こっちへ来なさい」
「なんですか、なんですか。マッチですか。知りませんよ僕どこにあるか」
小刻みに首を巡らせながら手を振り回し始めた男の襟を掴んで、どうにか目だけを見られる様に引き寄せた。生臭い鼻息が下唇にかかって胸がざわついたが、それどころではない。
邪魔な眼鏡も指に引っ掛けていずこかへ飛ばし、近くで見てみるとまず気になるのは葉脈の様な血管と瞼の淵の毛穴だ。ぐるぐると躍動する球体は時折何かを見つけては止まり、また八方を巡りを繰り返す。狭い水槽の中のマウスの様であった。
見ているうちに、僕が想定していた型とはやや傾向が違うに気づいていく。差分については後に研究するとして、頭の旗色がイエスからノーへ8割型変わった頃、退屈が積乱雲のように急速に生まれ、体を広く圧迫した。憂鬱だ。するのではなかった。
「もういい、呼んだのは僕だ。だけどもう帰っていい。用事はまた、次にたのむよ」
血流さえ鈍りそうな重苦しさに飲まれて、男から顔をそむけた。ばかな人間が言葉を無くしたその間を、風が一吹き二吹き通り抜けて、唐突に男は飛び上がった。
「貴方!如何でも文句は言えませんよ!」
ドタドタと外の階段が揺れるのを背中で感じながら、深々と、深々と、息を吐いた。
いくらもせず、階下で下宿のおかみさんが何かあったのかと声を持ち上げてきたが、唸り声で押し戻した。
全てが去ってしまえば、後にはまた自然の在り様や、遠く関わりのない平穏がそっと寄り添ってくる。僕の常とはこうである。こうでなければならない。じっとガラス管を心に再生させる、冷たい甘美を愛しているのだ。耳を貫いてくる鳥の声は、どんなに鋭かろうとわずかな温かみを残してくれるだろう。そうあるべきなのだ。僕はそれを作らねばならないのだ。
「先輩!愛です!あなたへの愛を!」
がつん、とんかちが投げ込まれたのかと思った。がばりと窓枠につかみかかると、先の男が学生服の上着を振り回しながらあっちへかけていった。これだから、人間の観察は、始末に負えない。