わたしのすべて
「ねえミキちゃん、すごいものを見つけたの。じゃーん! ほら見て! 小学校の卒業アルバム! すごいでしょお? 昨日の夜掃除してたら出てきたの。仕事始める前のはずうっと封印してたし、もう二十年ぶりくらいかしら。ほら、やだあ見てこれ。アタシ坊主だったのよ。イヤッもうこんな頭してられるかって顔してる。ミキちゃん何組だったの? 小学生のころはお互い知らなかったのよねえ。何組? これ? ああっ可愛い! ミキちゃんもこの頃からすさんだ目をしてるわねぇ世の中ナメてる顔よこれ。憎たらしいわぁ可愛がりたいわぁ」
指先をせわしなく動かしながらゾフィーはいつも以上によく喋った。カウンターに広げられた大判の表紙の角が肘に刺さる。卒業アルバムなんぞさしたる興味もないが、指し示されるままに見てみると、確かにどの写真でも俺は妙に斜に構えた格好をしているし、ゾフィーは頭に手をやったり顔をズボンのすそを掴んでいたりと、居心地悪そうにしていた。
三十路をとうに過ぎて、人生通算で楽しかった時というのがほとんどない。小学生の時も例外でなく、それどころか記憶さえ曖昧だ。写真を見ても大した感嘆も出せないのに、ゾフィーは構わず熱中する。自分と俺を見つけては声を上げ、美男子やその兆しのある男子にはしゃぎ、当時嫌いだったらしい女子の悪い思い出を今更あげる。
俺がゾフィーと知り合ったのは、同じく上がった中学で、初めて同じクラスになってからだった。口ぶりからするともう小学生のころからゾフィーは「そっちの目覚め」があったようだが、こんなに話すことがあるからには、居心地が悪いなりにいろいろと感じながら生活していたのだろう。
低く酒を飲む俺の隣で、うるさくしていたゾフィーが、ふと口をつぐんだ。黄色いマニキュアの爪を確かめるように手をかかげて、そして、ため息をついて、言う。
「あら、また、生えてきちゃった」
手の甲、返し、手のひら。ひらひらと何度か振って、そのまま流すように俺の顎に押し当ててくる。
「ね、生えてきたわ。嫌よね。ね、食べて」
ゾフィーの言い方はまるでゴミを捨てておいてとでも言うようだった。もう何十回聞いたか分からない言葉だから、慣れが雑さを背負っているのはわかるが、始めのころはもっと申し訳なさそうにしていたはずだ。
少しだけ、拒絶したい気を持ちながら、俺はゾフィーの手を取って、指先から少し離れたところで唇を動かす。少し開いて、閉じ、咀嚼する。俺の口の中にはただの空気しか入ってきてはいないが、ゾフィーは細かくかみ砕かれ、嚥下されていくはずのものをじっと見つめている。茎、花びら、萼、雌しべ、雄しべ、花粉が、粉々になって水分を含むのを想像している。この間は、ゾフィーは決して言葉を発さない。
おままごとのはじまりは、一年ほど前だった。
手から花が生えてくる。邪魔で困る。取ってほしい。
二人で酒を飲んでいた時にそう言われた。俺はもちろん何か突飛な冗談が始まったのだと思って笑うところだった。笑えなかった。ゾフィーが苛立った顔でしきりに指先を噛んでいて、酔った視界に鮮やかな血で、口周りが酷く汚れていたからだ。
花なんかないと言っても聞かなかった。酒気の吹き飛んだ俺が、どんなに手を掴んで、あると言い張る花を素通りさせてみても駄目だった。今そうやって触っているのに何を言うのかと怒鳴るばかりで聞かなかった。終いにはその手を口に突っ込まれ、むせ返った勢いで吐き出された手を見て、ようやくゾフィーは笑った。食べてくれたのね、ありがとう。
数か月に一度のことだからいいかと思っていた。実際に手を噛まなくても、こうして噛んでいるふりをするだけで、ゾフィーはひどく安らかな顔をする。下手な化粧で余計に目立つシワを、ふっと薄くさせて、身体に花があったって困りはしないような顔をする。この頃おれは、その顔を直視することができない。
「なくなったわあ、ありがとう。いつも悪いわね。でも、花なんか食べてるおかげで、ミキちゃんいつまでも若いわよ」
にやにやと笑うゾフィーに、ふと、その呼び方をやめろと言った。彼の顔にはまだ安らかさが残っていて、それを見るでもなく見ているだけで、腹の奥のほうが膨れてくる。
「なあに、突然」
前の呼び方でいいだろう。ささくれだつ気持ちを抑えられず、口ぶりが荒くなってしまう。ゾフィーは自分の酒に手を添えながら、子供をあやすようにしきりに笑った。
「あたしの勝手よ。前の呼び方だっていいけど、ミキちゃんはあたしをゾフィーって呼ばなきゃだめよ。もういないんだからね、その男は」
わかってるよ、と、中身のない返事をしながら、やけになってつまみの何だかわからないクラッカーのようなものを口に押し込んだ。
何もかも本当のことを言おうとしないゾフィーを、俺は何度こうして揺さぶろうとして諦めたか。わかっているんだ、何でもないようなふりをしても、どうしようもなく心が波打つときがある。その都度、少しだけ言葉をかけて、かわされた後を追うことができない。
彼の言う通り勝手だ。何て名前で俺を呼ぼうと、性別を変えようと、花の幻肢を俺に押し付けようと、俺が否定しない限りは、いや否定したって勝手だ。
でも、だったら、なぜ、花が生えたというときは、10代のころの“謙三”の顔になるんだ。どうして、あんなにきれいな顔で、笑ったりするんだ。
ゾフィーは再びアルバムを開いてあれこれとしゃべり続けている。6年生の時、ゾフィーは清掃委員で、俺は園芸委員だった。やっぱり二人とも少しだけ嫌そうな顔をしている、可愛くない子供だった。