きらきら星を撃ち落とせ
お迎えが来た。
望む望まざるにかかわらず、そもそも記憶からもすっかり抜けていたのだが、このお迎えの日は私が設定したことを、来訪者の名前を聞いてごく自然に思い出した。インターホンのカメラに映る姿は覚えているより随分変わってしまったが、ホシ・ワタリという空想のような名前は、今でもよく似合っていた。
薄い上着を羽織って、小さな肩掛けのカバンを持って出た。踏み出したはじめだけ少し肌寒い、春の夜の空気だった。
ワタリはにこにこと笑って軽く会釈した。私もそれに合わせて手をあげる。数日ぶりのような気軽さだが、実際は十五年の空白が私たちの間にある。それなのに、じゃあ行きましょうか、と言って歩き出したワタリについて行く足は、ごく軽い。なぜ、こんなにも息がしやすいのだろうか。
どこに行くの。
聞いてみると、とりあえずコンビニに、と返される。
コンビニ。
一番近いコンビニはどこですか。
ちょっと歩くよ、十分くらい。
大丈夫です。うなずくワタリに、それはそうか、と心の中で納得する。十五年を放り投げておいて十分を気にする論はない。
ワタリは中学の同級生である。最後に会ったのは、しかし、卒業式ではなかったと思う。中学三年時、私たちはクラスメイトではなかった上、そもそもクラスメイトだったことさえなかった。きっかけをよく覚えていない。記憶の抜け穴から入ってきたように、ワタリはいつのまにか人間関係の中に入り込んでいた。何を話したとか、どこに行ったとか、具体的なことは思い出せないが、かつて今日のような春の夜に、どうしてか、私たちはこの日を決めたのだ。
コンビニでそれぞれ飲み物とおにぎりを買った。指定しあった訳でもなく、レジに並んだ別々の人間として偶然同じものを買っていた。
足りるのかな。聞いてみると、ワタリはじゅうぶんじゅうぶん、と満足そうに二回うなずいた。
コンビニの駐車場の車止めに腰を下ろして、おにぎりの包装を開ける。なんとなく二人の三角形を衝突させて乾杯をした。飲み物があるのに。
金江さんは、やっぱりあまり遠くに行っていなかったんですね。ワタリがおにぎりを頬張りながら言った。一口がちびちびと小さいのに、妙に口いっぱいに詰め込んでいるように見える。
私は就職の折りに実家を出はしたものの、県内のそう離れていない場所に部屋を借りている。大移動が億劫だったのだ。
遠くに越してたら、見つけられなかった?
とっくに食べ終えている私は、手持ち無沙汰でペットボトルを両手の平で転がしながら、ワタリを見る。膨らんだ頬が横に振れた。いいや、前の家が残ってて移動が楽だっただけ。金江さん自体はどこだって見つけられるんです。
にこにこと、ワタリは笑う。笑うと目じりがつりあがり、赤い線が顔中に走る。放射状に広がるその線を、なんだかおめでたいね、と中学生の時に言ったことがある。我ながら失言だったと思う。
金江さん、では質問をします。
はい。
いい人生でしたか?
あれ、そういうお迎えなんだっけ、と引っ掛かり、答えに窮した。殺されるのだろうか。おめでたいねと言った後にも同じことを思った。あの時出てきたような明確な凶器はまだ手にしていないが、ワタリ自体どこから出現したのかわからないのだから、おもむろに使用される可能性もある。
難しい質問ですか。
目を丸くして、紙パックの麦茶を飲みながらワタリは言う。もう赤い線は消えている。審判かと思って身構えただけだと答えると、何を言っているんだという顔をされてしまった。
お迎えのことを、私はずっと忘れていた。忘れていたのだから、私の中で重要度がかなり低い予定だったのだと思う。ワタリのこともそうだ。名前を聞いたとたんに思い出したものの、ただ思い出したというだけで、十五年の空白にはワタリの気配すらなかった。
ワタリが何年何月何日に私を迎えに来て、ワタリの故郷に行く。
大層な約束ではなかった。大層なことではなく、迎えに来られれば私は二度と戻れなくなるだろうと考えていた。言われなくとも、ワタリの故郷など知らなくとも、足を出せば進むだろうというように、目を閉じればものが見えなくなるだろうというように、その日を最後に戻れなくなる、と分かっていた。
今、ワタリが隣にいて、ワタリのサンダルから足の指がどんどん伸びていたり、顔を見ればいつのまにか目が四つに増えているが、その感覚は変わらない。どうもぼんやりしたもので、あるいはやっぱり旧知の人間に会えたことが嬉しかったのか、こうしてついてきてしまった。
ただ、先ほどされた質問の答えはどうだろう。
私、いい人生かどうかは置いといて、まあまあの生活をしているよ。
ペットボトルをもてあそびつつ、そう言った。
正直に言えば、現状の生活とワタリの故郷とを天秤にかけると、若干現状のほうに傾いている。ワタリの故郷はきっと環境が違うから大変だろうなという、大味な億劫さを感じている。この億劫さを尊重して私はのらりくらりと地元で過ごし、まあまあの生活を手にしている。そして、ワタリと再会することも容易にしていたようである。
ワタリは私の顔を四つの眼でじっと見て、一瞬顔中を青くしたが、すぐにまるごと元の顔に戻った。元の顔というと語弊があるかもしれない。
せっかくきたんですよ、ひどいな、でも金江さんはそうでしたね、あの時やっぱ撃ったほうが良かったんでしょうか。
再び答えに窮する。私がどう返答しても、ワタリが撃ったほうが良かったと思っているのならどうしようもない。
しかし、今度は本格的な危機はなく、ワタリは私より小さい足ですくっと立ち上がり、首をかしげてにこりと笑った。
じゃあ、何年何月何日にお迎えにきましょうか。
私はその姿を夢を見るような心地で見上げた。コンビニの明かりに照らされ、輪郭だけが夜に少しぼやける姿は、うつくしかった。
ワタリの全体が、とても好きだったことを思った。好きだと思った瞬間のことは思い出せないが、おそらく、かつて、今も。でもきっと私は、ワタリについて行くことはないのだ。
そう思いながら、何年何月何日にと答えていた。
喉が、舌が、勝手に動く。
本当に夢を見ているようだった。あまりに自分の意識とはかけ離れた動きだ。抗う隙が一分もない操られ方に、違うなこれ全部ワタリがやってんだろと言いたかったのだが、ワタリの混じりけのない、なさそうな笑顔を見ながら、私はゆっくりと昏倒した。
朝日に持ち上げられるように、目が覚めた。
瞼は開いたが、体が妙に強張っている。おぼつかないながら手で探ってみると、寝間着に着替えないまま寝てしまっていた。
なんでそんなことに。
昨日寝る前に何があっただろう。
脳が重たい感じがし、記憶がにごり湯のようで何も出てこない。頭をこんこんとたたいてみると、星が散ったような気がした。