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白状

ex.今日でおしまい

2024.02.25 06:28

 物事を好きと嫌いで分けることはあまりしないけれども、雨は嫌いという言葉がしっくりくる。ちゃんと言うなら雨の日に外を歩くこと。そして知らない人を人間として知覚してしまうこと。

 傘をさして誰が誰やらわからない。足元もしぶきや雨粒で曖昧で、みんなが少し幽霊に近づくようだ。自分だけではない、俺も他人も区別がつかない。皆同じ、雨の中ならそれぞれ隔離されている。と思っていたのに、ふと前を見ると傘を傾けて笑い会う人同士がある。整った笑顔が刺さって、湿気にぬるく緩んでいた胸のあたりがパキリと割れる。どうせ隠れるのだからといつも頭を守るアレを忘れてきたのがいけなかったのかもしれない。上手く笑える人がいるという事実は、どうしようもなく心を責め立ててくる。とたんに自分の足元がはっきりして、泥のついたスニーカーが見えてしまう。皆同じではない。俺にできないことばかり、手からぼろぼろ落ちていく。白い傘の幕の中からずうっと出ることができないような気がしてくる。もし出たところで、俺は誰とも同じじゃない。

「赤帽、赤帽くんか?」

 肩甲骨をいびつな形の何かに突かれて、青信号が目に入る。振り返ると立尾がコンビニ袋ごと手を掲げて挨拶していた。

「お疲れさんって言おうとしたんだけど、信号渡れねえほど疲れてる?」

「うん、ちょっとぼうっとしてた。お疲れさん」

 ぴしゃぴしゃのコンクリートを踏みながら横断歩道を渡りきる。時々立尾のコンビニの袋が腿に当たって、少し痒い。

「面倒くせえ時期になっちゃったよな。毎日雨で部屋は気持ち悪いし洗濯しても乾かねえし、休みに出かけるのもだるいわ」

「どっか行ってきたの?」

「晩飯買ってきたんだよ」

 立尾はいつも文句のようなことを言うけれど、丁度よく声が乾いているから嫌な感じがしない。梅雨に良い。そしてやたら上手に笑おうとしない。

「俺も雨あんまり好きじゃないよ」

「だろ、傘がぶつかるのとかも嫌なんだよ」

 そうだね、と返事する前に、立尾の傘の先が俺の傘にぶつかった。二度。交差点でふと隣の気配が離れて、見やると立尾は「俺こっち」と指を指していた。軽く手を振って別れる。自分の家の方向に向いてから、ゆっくりと口の両端が下りていく。余韻が傘の中から抜けていく間に、俺は考える。笑いあう人を恐れる一方、帽子があれば俺は笑える。ひさしの下では笑っていても良いような気がする。だから本当は帽子が無いまま笑うのは苦手だ。だけど立尾があんなに俺の肩に雫を垂らしてくるから、おかしくて。

 家までの道がやたらとくっきりして見える。単純であることを恥じなければいけないと、物を思う部分のどこかが言う。雨降りのようなややこしい日は、気持ちが水分を含んで重い。自分から生まれた言葉がどんどん積まれる。思い出すのは霧雨の中でも乾いている立尾の背中だ。立尾は良いな。俺もあの人みたいになれたら良い。何となく「好き」と浮かべてみるとやたらとしっくりくる。もしいま、数ミリだけ単純になって良いならば、オレはもう一回立尾との会話を反芻する。数センチ単純で良いなら何度も。後で虚しくならない程度に。雨の日なんだから、俺も慰みがほしいんです。