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白状

行う

2024.02.25 06:33

 息が、少し苦しいような気がしていた。

 実際ややつまり気味の呼吸になっていた。あまりに静かな空間にあって、自分の鼻腔で擦れる息の音をひそめるためだ。美術館に来ると、いつもそうだった。息の薄いまま歩き、頭がぼうっとして余計に疲れてしまい、最後の方の展示はなんとなく流し見になってしまう。

 一旦休憩したほうがいいかもしれない。館内には点々と椅子やベンチが置かれていて、自由に休みながら観覧できるようになっている。いつもはあまり利用せず、疲労に押し流されるように出口まで行ってしまうが、今日は座ってみても良いかという気分だった。

 視線をさまよわせると、数メートル先の壁に小さなプレートがあり、休憩スペースを指し示している。矢印の先にはひと二人分くらいの間口があり、奥は明るい。

 入ってみれば、一面の窓ガラスの前にベンチが二つ並び、向かいの壁際に一つだけ作品があり、鑑賞スペースにもなっていた。幸い誰もいない。ベンチに腰掛けてトートバッグを脇に置いた。深く息を吐く。自分は鑑賞に向いてないかもしれないなと、これまでも何度か思ったことを繰り返す。

 数回深呼吸をして、視界に意識を戻す。ひとつポツンと置かれていた作品は、骨格標本だった。人間の骨格だ。肋骨、鎖骨、肩から肘までの骨。上半身を帯状に切り取ったような骨が、細い支柱に掛けられている。

 きれいな骨だった。白く、なめらかな輪郭が、窓ガラスからの採光を反射して淡く光っている。目を細めて、手触りを想像した。冷たくて、すべすべしていて、力を込めるとわずかに軋むかもしれない、歯を立てて舌を這わせれば、それ自体には味はないだろうが、自分の唾液が甘くなるような心地がするだろう。

 ここは美術館なので、なんらか作品ではあるはずだ。口の中に湧いたつばを飲み込みながら、作品名などを探した。よく見ると、支柱の土台に印字がある。

 立ち上がって近寄り、文字を追う。

 作者名は聞いたことのない名前。作成年は去年。作品名は、行い。

 嫌な気持ちになった。勝手に後ろめたくなったのだ。この作品に対する曖昧な欲求を指さされたような気がした。シニカルな作風は好むところではないので、すっかり興ざめし土台を覗いていた上半身を起こした。

 ほのかに甘い匂いがした。まぎれもなくその骨格から放たれているものだった。乳のような、もっと遠くの、遠くから、呼ぶような、かすむような甘い匂いだ。途端、口の端が濡れた。慌てて拳で拭い、すぐにバッグを取ってその空間を出た。

 ひと月も経たないうちに堪えられなくなり、代替として安価な全身骨格の模型を購入した。

 あの作品と同じように一部を分解し、椅子を一脚買い足して、食卓の向かいに座らせている。食欲が、増している。