母と私③
ユノです。
占い関係のお話は全くなく
思い出話なのでお忙しい方はスルーくださいね~♪
母と私というわりに母のお話ばかりですが・・・・
幼い時の母からの影響はとても大きいのでそのあたりも含めて・・・
ある方から子供が8歳の時の親が永遠らしいと聞きました。
私は母の年齢イメージは永遠に38歳なんです。
そのお話を聞いて謎がとけました。
潜在意識の中で母はずっと38歳なんでしょう。
38歳の頃の母・・・
8歳の私はまだ母のお人形ちゃんでした。
若い頃はお金に苦労したので、そのあたりは自分の夢を託してくれたと
聞いてますし、そうだったと思います。
女優とまではいかないですが、
ある程度余裕ができてきたら
ずんぐりむっくりの父とは逆に 昭和風に綺麗でオシャレでした。
八代亜紀さんが大好きな父でしたのでそんな感じかな笑
父が愚痴ってたし、私を度々苛つかせたことの一つ・・・
人に対しては誰にでも分け隔てなく 接っしていたので・・・
敬遠されそうな人や偉い人まで 普通に話するんです。
なので父と10分の道を歩く時も あちこちで ご挨拶しながらお話してしまって💦
1時間かかったってことも しょっちゅうあり 父は怒っていました。笑
人が好きなんです。
住まいが難波だったので、吉本芸人の下積みの方や ホステスさん、ホストさん
当時はあちこちにいたホームレスの方などいろいろ・・なんで知ってるの?っていうくらい、普通に話をしてびっくりしていました。
小さい所有していたハイツに売れない(亡)浜裕二さんことチャーリー浜さんが住んでた一人・・晩年の母はお母ちゃんって慕われていました。ちなみに父はお父ちゃん(雑誌の取材も受けました)
ワンマンな父なので思いついたら行動する激しい人だし、従業員さんも含め沢山の人が出入りしていた家で、今思えば子供の私は寂しかったところも。家族だけになりたい時もありました。でもそれが私の日常でした。
平穏な暮らしの今はほっとしたり・・寂しかったり・・・贅沢ですね。笑
母が38歳くらい・・今ではまだまだ若いですが・・一家を支えるバリバリの お母さんというお仕事をしていたなって印象です。
占いのお仕事をする今は いろいろな方が来られますが どんな方が来られても動揺することはないです。
おそらく 人とは違い激しい家庭環境でしたが、この経験は間違いなく 私の占い師として進むにはプラスだったと思います。